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2018年01月20日

目からウロコがちょっと落ちる・・・かも。「完全教祖マニュアル」架神恭介、辰巳一世

この本に出会ったのは、幻冬舎の編集者、箕輪厚介の次のツイートでした。




箕輪さんをTwitterでフォローしていると、この人自身が何かの教祖じゃないかと思ってしまうほどの影響力を発揮していると感じるのですが、その箕輪さんが「はじめに が面白すぎる。」と紹介したのがこの「完全教祖マニュアル」です。

笑いあり、なるほど唸らされるエピソードあり、オススメの本です。

どんな本だった?


いやあ、面白いです。これ。
ぶっ飛んでいて、強烈にシュールな匂いがプンプンします。

例えば箕輪さんが「面白すぎる」と呟いた”はじめに”。
刺激的なフレーズが目白押しです。幾つか紹介しましょう。

・みなさんは、人に尊敬されたい、人の上に立ちたい、人を率いたい、人を操りたい、そんなことを思ったことがありませんか?
・新興宗教の教祖になれば、あなたの夢は全て叶うのです!
・神の啓示を受け取ったあなたこそ,本書を熟読し、役立てるべきなのです!


ほらほら、ガンガン煽ってきます。

・たとえば、ベツレヘムで生まれた大工の息子も、三〇歳を過ぎてからたった三年間の活動で、世界一有名な教祖としてサクセスしたのです!


おっと出てきました。これってあの宗教のことですよね。世界中の人の祈りの対象にされている存在を「世界一有名な教祖としてサクセス」と俗な物言いで評価するんですよ。斬新に感じました。

この物の見方というか、語り口は全編を通じて同じです。
宗教というものを一切神聖視せず、俗に、俗に、解説していきます。

「教祖マニュアル本」という体裁を取っていながら、実際にはオモシロ宗教読本です。
でもちゃんと各章の最後には振り返りのためのチェックリストがあります。
これも面白い。
宗教 ✕ マニュアル本 という化学反応で新鮮な笑いを感じました。

例えば「第二章 大衆に迎合しよう」ではこんなチェックリストが。

□ 誰でも一分で理解できる教えか?
□ 小学生でもすべきことが分かるか?
□ 葬式はしているか?
□ 現世利益は謳っているか?
□ 偶像は用意できたか?


この絶妙なさじ加減が最高です。

読むことで得られたもの


しかしながら、笑いだけではありません。
紹介される事例を通じて宗教に対しての理解を深めることができました。

理解というと語弊があるかもしれません。
違う角度から照らすことで、違う発見をすることができるというか、「ああ、こういうように捉えると分かりやすいな」という感じです。

時には本質を突いていると唸らせるところもあります。

「第六章 困難に打ち克とう」の「他教をこきおろそう」の項目で繰り広げられる鎌倉仏教のエピソードの中ではこんな事が書かれています。

これは要するに、ある思想がマジョリティになり権威になると、それでは救われない人、不幸になる人、不都合なこと等が出てくるので、それに対処するために新しい思想が生まれてくる、という話です。


これは説得力のある話だと感じました。
宗教だけでなくビジネスや文化にも通じるかもしれません。社会を覆う「マジョリティ」にはどうしても適合できない人が出てくる。それは人間の多様性ゆえに絶対です。
その人達の視点で新たな思想が生まれ、それによりその人達は救われる。その思想に共感出来る人が増えてくるとやがてマジョリティ化し、そうるとまた新たな不適合が生じるーこの繰り返しによって時代がアップデートされていくのだなということを気付かされたという訳です。

この本風に言えば、悟りを開いたということになるのかもしれません。
いや、神の啓示ですね!何しろ「完全教祖マニュアル」ですから。

読後の満足感は良かったです。
あー、面白かった!

posted by 霧島もとみ at 2018年01月20日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本:教養

2018年01月15日

信用って何だろう?

西野亮廣さんが「革命のファンファーレ」で「これからは個人の信用が価値を持つ時代だ」ということを書いていました。

堀江貴文さんも「信用こそが大事だ」と以前の著書から一貫して書かれていますし、最近では佐藤航陽さんが「お金2.0」で信用経済を提唱されています。
最初はその意味が良く理解できませんでしたが、その考え方が腑に落ちてきたという感覚を今は持っています。これは「お金2.0」を読んだ時の衝撃と揺さぶりで、それまで自分の中にパーツとして蓄積されていた何かが、急激に形を成したんだろうなと思っています。

信用とは?


信用とは、つまり、自分という個人に対する信用の事です。
信用を与えるのは誰かというと、それは勿論「他人」です。他人が個人に対して「この人なら何かやってくれそうだ」「これまでこういうことをやってきたから、今度も大丈夫だろう」という考えを持ち、その個人に対して信頼や確信を持つということが「信用する」ということです。

大辞林で「信用」を引くと次のような説明が書かれています。

間違いないとして受け入れられる、人や物事のもつ価値や評判。


おおむね外れていなさそうです。
よかった。

その信用は誰がするのか?というと、既に書きましたが「他人」です。
そう、他人に信頼されることがここでいう「信用」を持つことです。
では「個人」が他人に信頼されるためにはどうすればいいのか?その事がこれからの自分の生き方のキーワードになるような気が急にしたので、今このブログを書いています。

ブログを書くことは、自分の中では匿名的な行為として位置づけていました。
だからブログで記事を書いていることは実生活上の知り合いには話していません。現実の私という個人とは切り離し、ネット上の誰でもない存在として記事を書いているのが今のこの人格です。

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なぜ実生活上の知り合いに話さないの?というと、それは単純な話で、「自分の考えをその人達に見せたくない」と考えていたからです。実生活の人たちとは必要最低限の表面的な付き合いを行い、自分が頭の中で考えている事や、「これは面白い」と考えていることは密かにネットで叫び、「俺はネットでこんなことを書いているんだ」という小さな承認欲求を満たそうとしていたのです。

でも、それって一体何になるんだろうということをいつも考えていました。
・時間や労力を割くほどの価値があるんだろうか?
・文章力の練習になっているのだろうか?
・自分の「コンパス」が指す方向と一致しているのだろうか?

そこにこの「信用」という感覚が飛び込んできた時に、何かがスパークしたような、啓示のようなものを受けたような不思議な感覚があったのです。

今やっている行いは、「信用」に繋がるものでは無いよと。


信用を得るということは「他人とつながること」


先程書きましたが、私は実生活の人格とネット上の人格とを切り離しています。
それはつまり「自分自身が実際に考えていることでは実生活の人間と繋がらない」と宣言をしているということです。自分という個人は実際には見せずに表面上の付き合いをする、言い換えれば、「他人と繋がらない」生き方を選択しているということなんです。

この状態で「信用が欲しい」と言うのはものすごく大きな矛盾を抱えています。
なぜなら他人は、自分の何の繋がりを感じない存在を信用するなんてことは無いはずだからです。

ではどうしたら「信用」は得られるのか?
これはTwitterでいわゆる「信用力」の高そうな人をフォローするとすぐに分かります。
自分を出していくんです。どんどん。

「自分」という個人を「他人」にどんどん見せていくことで、他人のセンサーに引っかかっていく。そして行動する。言葉と行動の発信が他人の琴線に共鳴すれば、その他人の中に「信用」が生まれる。
これがきっと「信用」の構造なんだろうと閃きました。

ということは、そもそも「自分という個人」を発信していかなければ「信用」なんていつまでたっても得られない。貯金できないってことなんじゃないか?何か自分は他人の評判を恐れるあまり大事なものを見過ごしてきたんじゃないか?

そう考えた時、時代に取り残されてしまったような痛烈な焦りを感じ、寒気すら覚えました。

おそらく最初に名前を挙げさせていただいた方たちが言うように、これからは「信用」が力を持ってくる時代がやってくると思います。
そうなってからではきっと遅い。

信用を得るということは「他人とつながること」から始まる。

それをこれからは念頭に置き、自分の行動を変えていきたいと思いました。
そのことを覚えておくためにこのブログに書きます。
posted by 霧島もとみ at 2018年01月15日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2018年01月08日

最高の2日間でした!「UVERworld IDEAL REALITY TOUR」2017年8月26日・27日(ひめぎんホール)の感想!

2017年8月26日土曜日。
私は愛媛県で最大を誇る県民ホール、ひめぎんホールの前に立っていました。

見慣れていたはずなのに、今日に限っては全く違う景色に見えました。

それは今日が、UVERworldのライブの日だからです。

子供の頃から近くに住んでいたひめぎんホールでUVERworldのライブを過ごせる。さらに初めての2days参戦!嬉しさと気合とが入り混じった興奮が、景色を装飾して違うものに見せているのです。

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席は1階21列目。遠いなあ…と思っていたらホールに入ってみると全然近い。しかもほぼ正面。
席に座ってTAKUYA∞の歌声を想像しただけでもはや泣きそう。

というわけで時間は大分過ぎてしまいましたが、忘れられない2日間の記憶をここに書きます。

本文の続き
posted by 霧島もとみ at 2018年01月08日 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2018年01月06日

自分が見ていたつもりの世界を大きく揺らす本!「サピエンス全史(上)(下) 文明の構造と人類の幸福」ユヴァル・ノア・ハラリ

サピエンスとはホモ・サピエンス、私達人類を指した生物名です。

今でこそ人類は地球上で最も力を持った生物で70億もの人口を誇っていますが、15万年前には、アフリカ大陸の一隅でほそぼそと暮らしていた人類の一つの種に過ぎなかったそうです。
そんな私たちの祖先「ホモ・サピエンス」が、どのような力により他の人類種や多くの動物種を滅ぼし、地上を制覇することが出来たのか?という疑問を投げかけるところからこの本は始まります。

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ホモ・サピエンスという名前は知っていたものの、ネアンデルタール人などとの差異などは全然知らない私には、生物史的なロマンがあって面白そうな本だなあ・・・ということで読み始めたのですが、読み進めるほどにぐいぐいと筆者の世界に引き込まれ、読み終える頃には自分が見ているつもりだった「世界」の姿を大きく揺さぶられてしまうという(あるいは引っくり返されてしまう)、凄い本でした。

訳者あとがきに次の文章が書かれています。

読書の醍醐味の一つは、自分の先入観や固定観念、常識を覆され、視野が拡がり、新しい目で物事を眺められるようになること、いわゆる「目から鱗が落ちる」体験をすることだろう。(中略)まさにそのような醍醐味を満喫させてくれるのが本書『サピエンス全史』だ。


全く同感です。
歴史学上の事実を元にした著者の鋭い観察眼による考察・指摘は、今までに私が触れたことのないものばかりで、読んでいく度に目から鱗がぽろぽろとこぼれ落ちていくのを感じました。
読み進めていくうちに、全く違う角度から照らし出された世界の姿が次第に見えてくるんですね。
あるいは、これまでに自分が読んでいた本や触れた知見、体験的に感じていたことが「物事の成り立ちからシンプルに考えると、それはこうなんだ」という本書がもたらすヒントによって再整理され、見たことのない形に変わっていくような体感がありました。

印象的だった内容「ホモ・サピエンスの認知革命と、虚構について語る能力」


本書では、15万年前から現在に至るまでのサピエンスの歴史において、大きく影響を与えたものとして次の3つの革命が挙げられています。

・認知革命
・農業革命
・科学革命

この中で最も私が興味深かったのは「認知革命」でした。

認知革命とは7万年前から3万年前にかけて見られたと考えられている、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことだそうです。広く信じられている説としては、偶然の遺伝子の突然変異により(※)、サピエンスの脳内の配線が変わり、全く新しい種類の言語を使って意思疎通をしたりすることが可能になったということだそうです。
(※原則として、動物の行動は基本的に遺伝子にコーディングされている能力の範囲に留まるのだそうです。)

ここで筆者が注目したのは、「虚構について語る」能力でした。
「ライオンはわが部族の守護霊だ」という架空の物事について語る能力が特徴的で異彩を放つと筆者は言います。
なぜ虚構を語る能力が特徴的なのか?その問いに対しては「集団で虚構を共有することで、生物が持っている集団形成の限界を突破できた」と説明します。

社会学的には、サピエンスの本来の能力的には150人程度の集団行動が限界なのだそうです。
それが「虚構」を共有することでその限界を突破し、大規模な集団を形成して行動することが可能になり、他の種に対して圧倒的な優勢を持つことが出来たというのが筆者の仮説です。

虚構というのは社会であったり、国であったり、宗教であったり、貨幣であったりと様々な形を取りますが、筆者はいずれも自然には本来無い、人間の想像の中だけにある存在であると説明します。そして、それらは非常に効率的に作用する機能であり「想像上の現実」として力を持っていると続けます。

この考え方に触れた時、私は脳内に電流がスパークするような錯覚を覚えました。

自分にとって(おそらく多くの現代に生きる人間にとって)存在することが当たり前になっている国や宗教、社会、経済などあらゆるものがサピエンスが作り出した「虚構」であり、「想像上の現実」なのだということを告げられ、自分の世界が大きく揺さぶられたことを実感したからです。
例えるなら、映画「マトリックス」で死から復活したネオの目に世界が0と1というデジタル情報として見えたときのような・・・。

この考え方は実は色々な本で読んだことはありましたが、あくまで個人の考えのレベルであり「本当かなあ?」「そういう事もあるかもしれないけどなあ」と腑に落ちることはありませんでした。
しかしこの本では、生物学と歴史学、社会学など複数の視点から根拠と考察を重ね、客観的な視点から仮説を提案しています。
知識としてだけでなく、体感的に「分かった」とさせるほどの説得力を私は感じました。この本の凄いところです。

それ以外にも本書には目から鱗の内容が多く記載されています。
最後まで興味深く読むことが出来ました。これまで自分が知っていると思っていた歴史や人類の発展とは全く違う視点で綴られた内容とその威力に、恥ずかしい話ですが読破した夜は高揚感で中々寝付けませんでした。
正月休みの間で良かったと思います。
万人に勧められるかどうかは分かりませんが、これは実りの大きな一冊です。

その他、感じたことの追記。


全ての章を通じて、筆者の考察は理性的で客観的だと感じました。
過去や現在を理想的に語るのではなく、事実をあくまで事実として捉え、自然は自然として捉えようとしていると感じました。
そうすることでサピエンスが急激な変化を遂げた原因と、それらがもたらした効果とを解き明かしていくことのみに集中したという印象です。
だからでしょうか。
筆者が何を考え、伝えようとしているのかということが読むだけで伝わってきたと感じました。

また、この本がなぜビジネス書のコーナーに並んでいたのか不思議に思っていました。
学術的コーナーじゃないのか?と本のタイトルと表紙を見た時には思ったものですが、読むとその理由が何となく分かりました。
ビジネス書は、大雑把に言えば「これからの世界をどう生き抜いていくか」というジャンルです。
このサピエンス全史は、学術的でありながら「この世界がどういう構造で成り立っているか」ということを書いた本であり、ビジネスのヒントになるエッセンスが十分以上に詰まった本だからビジネス書だ!という事なんだろうなあ、いうのが私が考えた理由です。

世界を知ることは、そこで生き抜くことの最も基本的で必要不可欠な事です。
この本を読んで世界の見方を変えてみることをお勧めします。

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霧島もとみ
他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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