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2015年10月05日

ほぼ日手帳の「今日の一言」・・・正解病について

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ほぼ日手帳は1日分が1ページで構成されていて、その一番下に「今日の一言」が書かれています。
このような一言がありました。

「たくさんの人のとても多くの時間が「正解」を探すことに費やされているように思えます。
遠慮なく言えば、「正解」探しばかりで人生終わっちゃう人ばかりじゃない?
(中略)
「正解」病は、いまの時代病のような気がする。」


ふと心に留まりました。
自分にも当てはまるのではないか?と感じたからです。

いつも考えています。
「何が正しいのだろう」
「何が正解なのだろう」
そして正解を見いだせないまま、動くことができない、そんな毎日を送っている気がします。

改めて指摘されると、「正解」とは何なのでしょう。
誰が「正解」を決めるのでしょう。
世の中には絶対者がいて、世の中のあらゆることに「正解」を出してくれるのでしょうか。

漫画「天」の中で、人生を停滞させていた「ひろゆき」に対して赤木は確かこう指摘していました。
「まるで正解を出してからでないと動けない、詰将棋のようだ」
「それはこの世の有り様と違う」
「まずは動くこと・・・」
「乱戦よ・・・勝負事は大抵・・・」


正解があると思うから、それ以外は間違いという考えに囚われて、結局行動がとらわれる。
それが赤木のメッセージでした。
だとすれば、正解がないと思えば、何でも出来るのかもしれません。

そして最近気がついたことがあります。

「この世界に正解はない」という事実と、
「この世界に正解は必ずある」という自分自身を縛り付ける無意識下の思い込みです。


世界とは、今の人間が創りだした世の中のことを指しています。
もっと大きな世界、つまり宇宙とか存在そのものといった科学的な世界には、きっと大きな「正解」があることは間違いない事だと思います。少なくとも、今までの歴史の中で様々な定理が発見され、今も生きています。もしこれらの正解が無いのであれば、世界そのものはあっという間にバランスを崩し、崩壊してしまうでしょう。

しかし、この「人間の創りだした世界」すなわち社会には正解はないんです。
それはなぜかというと、人によって考えることは違い、前提が違い、思考過程が違い、結果の解釈すら違ってしまう。
各々がそれぞれの「正解」を持ち、それが正解だと言い合っているのがこの世の中なのですから。

正解なんて後からついてくる解釈の話であり、他人の「正解」を予測しつつ、自分が考える「正解」がどこまで押し通るかを試してみるしかないのがこの世の中なんでしょう。

しかしこの正解病、自分は長い間この病に浸かりすぎていました。
理屈では分かっても、本当に理解して自分の思考ルーチンの中に組み込まれるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。
訓練、訓練・・・
posted by 霧島もとみ at 2015年10月05日 | Comment(0) | TrackBack(0) | メンタルヘルス
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他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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