2011年04月07日
pray for japan jpの鶴田さんのこと
「prayforjapan.jp」は震災後、もっとも有名なサイトのひとつになった。
国内外から希望や励ましの“つぶやき”が時々刻々集まっている。
そのなかから、感動のメッセージをまとめたサイトを作ったのは慶応2年の鶴田さん(男性)。かれは優しいメッセージの代弁者として一躍有名になった。
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3月11日、鶴田さんは自動車免許の合宿で那須高原に来ていた。教官が空き時間にドライブに連れて行ってくれ、ちょうど牧場に到着した瞬間に地震は起きた。
震度6弱の揺れによって車はバウンドし、信号は止まった。何とか合宿所にもどり着くと、停電のための暗がりと、断水が待っていた。
鶴田さんはノートパソコンを部屋から持ってくると、かろうじてつながったe-モバイルの電波を通じ、NHKのインターネット配信のテレビ映像を流した。津波に飲まれて流される車や家、横転した船舶、燃え盛るタンク、言葉を失い浅い眠りについた。
早朝、ツイッターを見ると、惨状はより確かなものとなって世界をめぐっていた。同時に世界中の人たちがツイッターに「#prayforjapan(日本への祈り)」というハッシュタグを付け、悼み、励ましのことばをつぶやいていた。その数は1分間に100件以上。
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逡巡している間もなかった。「これは日本の財産になる。絶対に誰かがまとめて、まだ知らない人たちにも届けないと」。気づいたら、毛布に包まりながら、祈りと希望の呟きを一覧で見られるサイトを作っていた。
作業開始から2時間もあれば十分だった。夕方には日本人が励ましあう「心に残るツイート」をまとめたページも完成する。「半年、1年と、被災者の心の支えとなるような存在に慣れたらいいな」。
すぐにツイッターで評判になり、アクセスが急増、多くの返信があった。
「感動しました」 「涙が止まりません」 「日本人であることを誇りに思います」
このときを、鶴田さんは「鳥肌が出た。振るえが止まらなかった。驚きすぎて、更新作業ができないくらいだった」 と振り返る。
(2011年3月31日)ブログ「スキピオの部屋」よりhttp://www.k4.dion.ne.jp/~skipio/1.html
鶴田博之さんのブログ
http://www.mocchiblog.com
今夜10時より30分間、放射能を愛の波動に変容するための144000人の祈りに参加してみませんか?http://duluce.blogspot.com/2011/04/lightworker-httplightworkermike.html