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2017年01月10日
『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』・・・600万人もの犠牲者の無念をはらすために!
冬休み中にレンタルした映画
子供たちの用事でTSUTAYAに行ってたまたま目にとまっただけの映画・・・
さほど期待もしてなかった映画だったけど 見ておいて良かったそれ以上でもそれ以下でもない衝撃の映画だった!
今までもいろんな戦争にかかわる映画、ホロコーストをを含めて見て来たけど、イスラエルで行われていたこの重要な裁判を知りませんでした
アドルフ・オットー・アイヒマン(Adolf Otto Eichmann[1]、1906年3月19日 - 1962年6月1日)は、ドイツの親衛隊(SS)の隊員。最終階級は親衛隊中佐。ドイツのナチス政権による「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担った。
戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、1960年にイスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行された。1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられ、同年12月に有罪・死刑判決が下された結果、翌年5月に絞首刑に処された(ウィキペディアより)
価格:5,076円 |
内容解説
1961年、イスラエルのエルサレムでは、歴史的な裁判が開かれようとしていた。
被告は、アドルフ・アイヒマン。第二次世界大戦下のナチスの親衛隊の将校であり、“ユダヤ人問題の最終的解決”、つまりナチスによるユダヤ人絶滅計画(ホロコースト)を推進した責任者である。
15年による逃亡生活の果て、アルゼンチンで身柄を拘束されたアイヒマンは、イスラエルに移送されエルサレムの法廷で裁かれることになった。
このテレビ放映権を獲得したのは、アメリカの若き敏腕プロデューサー、ミルトン・フルックマン。
TVというメディアに関わる者として、フルックマンは強い使命感に駆られていた。
彼が監督に指名したのは、才能があるにも関わらず、反共産主義に基づくマッカーシズムの煽りで職を失っていた米国人ドキュメンタリー監督レオ・フルヴィッツ。
悪名高きナチスの戦争犯罪人の素顔を暴くためには、一流のスタッフが必要だった。
政治の壁、技術的な問題、さらにはナチの残党による脅迫などさまざまな壁を乗り越え、撮影隊は裁判の初日を迎える―。
600万人のユダヤ人を非人道的なやり方で命を奪ってきたナチス政権!
虫の息で生き延びた人たちをあざ笑うかのように逃げ延びて生きていた「アドルフ・アイヒマン」を15年かけて拘束し、裁判へとこぎ着けた!のに・・・「私は無実です!」 なんてどの口が言うんだろう
裁判の最中、顔色一つ変えずに証言を聞いているアイヒマン。
証言はホロコーストを生き延びた人たちの悲しくておぞましいもので、当時の実写映像が使われています。
骨と皮だけになった収容所の人達がモザイクなしの全裸の映像は
これが人間の姿なのと目を覆いたくなる様な姿です・・・
その中でも幼い子供たちが不安と悲しみに満ちた目で並ばされてるシーンがあるんだけど
もうショックでショックで
「シンドラーのリスト」でも実際の映像が使われてはいたけど、何度見てもショックな映像です・・・
どんなに酷い証言を聞いても、どんなにおぞましい映像を見ても、表情一つ変えずに無実を言い張るアインヒマンに罪を認めさせる証言を引き出すための緊張感ある駆け引きの映画です。
革新派の敏腕TVプロデューサー、ミルトン・フルックマンと米国のドキュメンタリー監督レオ・フルヴィッツが
「ナチスがユダヤ人になにをしたのか、世界に見せよう。そのためにテレビを使おう。これはテレビ史上、最も重要な事件となるだろう。過去、現在、そして未来においても」
とアドルフ・アイヒマンの裁判を世界中にテレビ中継するという前代未聞の実話に基づいた歴史映画です。
この裁判をTV放送したことで、世界中の人がユダヤ人やポーランド人が何をされたのか、どれだけ残酷だったのかを目の当たりにしたようです。
この裁判で600万人とも言われる犠牲者の無念が晴らされたとは決して思わないけど・・・
途中ある女性が「今まで誰も聞いてくれなかったけど、この裁判が始まってから自分たちがどんな目に遭ってきたか・・・やっと世界中の人が耳を傾けてくれた!」と言うシーン(大まかなイメージです)が心にズシンと残りました。
*最初はみんな口を閉ざしていたそうです。そしてみんなに聞かれるから事実を話すと、そんなの嘘だ!作り話だと言われ、また口を閉ざしていたそうです*
広島・長崎もそうだけど・・・引きずってたら前に進めない!けど決して忘れちゃいけない歴史はあると思い知らされました・・・
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タグ:映画