パソコンなどのプログラミング言語のひとつ
BASICが誕生から50年を迎えたのだそうです。


1980年代あたりにポケコン(ポケットコンピュータ)とか
NECの初期PCであった、PC-6001とかPC-8001とか
持っておられた方なら、たぶん一度ならずとも、
この言語でプログラミングをされていた筈です。

なんせ、Windowsとかなかった古えのことですから・・・


BASIC言語と言えば、私がまだとても若くて会社でまだ
バリバリと仕事してた頃に、たいへんこの言語で苦労した
記憶があります。

PC-6001.png


直属上司から「asago、お前パソコンを持ってるだろう?
会社の在庫管理システムが電子化されて大幅に変更になる。
それで各部署でソフトを組める人間を人選してプロジェクトを
組むことになった。お前それをやってくれ!」

「は〜、俺はパソコン持ってますけど自分の名前をCRTに
出力させるくらいの技量ですから、在庫管理のソフトなんて
できるわけがないじゃあないですか。だいいち会社の仕事
するためにパソコン買ったわけじゃないし・・・」

「それに、この前入社した大学出の優秀な奴にヤラセばいいじゃあ
 ないですか? あいつ理系だし・・・適任だと思うけど・・・」

「いや、だめだ、お前やれ」


ということで、指名された理由も、何を具体的にすればいいのかも
ほとんど納得できていないまま、先の見えないトンネルに立たされた
ような気持ちで、プロジェクトメンバーにさせられたのです。


プロジェクト会議の回数を重ねるにつれ、何をどうしようとしているのかが
見えてくるに従い、やるべきことの量の膨大さと質の深さが解り
やっぱり、自分にはとてもできないことだと、また上司に泣き言・・というよりも
こんな辛いことを能力のない自分にさせるのは、いじめだと文句を言ったのでした。

会社でも、思ったことをストレートに出して生意気盛りの頃でした。
ただ、唯一取り柄があると言ったら、やっぱり男です。
人に負けるのは大嫌いでした。弱音など人に見せたらオシマイと
ずっと思ってきました。

 でも、今度のこのプロジェクトの役割はあまりに大きくて、ダンプカーを
一人で持ち上げろ・・と言われているようなものに当時は見えました。

定められた期限は3ヶ月。
それまでに、BASIC言語でソフトを組み、所謂トライアンドエラーの繰り返しで
バグ取りを完了させて工場全体で一斉にシステムを切り替えるというものでした。

人間腹を括ったらやるしかないのですが、当時の私には人生で初めての
大きな試練というか難事業のようなもので、何度も何度もBASIC言語の
達人に教えを乞いながら、馬鹿にされても歯を食いしばって頑張りました。

3ヶ月の間、まともに寝たという記憶がありません。いや、ただしくは寝ては
いましたがBASIC言語が頭の中を駆け回っていて眠らせてはくれませんでした。

パソコンだけは早くから所持していたけど結局俺は何をしようとしていたんだろうか?
自分の名前くらいしか画面に出せなくて数十万円のお金をだして、何をしてたんだろうか?
BASIC言語や機械語の本も買っていたけど、何も会得していない自分に情けない、歯がゆい
思いをこの時ほどしたことはありませんでした。


3ヶ月後、応援してくれた職場の仲間のお陰もあり、なんとかソフトを
立ち上げることができました。
体重は相当減りズボンがゆるゆるでした。


しかし、ソフトが無事に動いた時に人生で初めて仕事上での
達成感を得ました。なんせ、こんなことが自分にできるとは
思っていなかったのですから。


物事がうまくいかなければ、すべてまわりのせいにする・・・
そのくせ人一倍負けず嫌いでどうしようもない自分・・・
ほんとうはそう思っていました・・自分のことを
わかっていました、自分のこと・・・周りがどうみているかも・・・


当時の上司はそんな私をなんとかしようと私に大それた
仕事を任せたのですね・・・
鈍い私はそのことに後で気がつきました。



ハナミズキも散る頃、もうじきその上司の命日が来ます。


BASIC言語関連記事 ⇒ ここからです


追伸: いまはアフィリエイトという、これまた飛んでもない
     ことに挑戦しています。なかなか思うようにいきません。
     でも、あきらめはしません。あきらめたら、そこで終わりですから・・・


想い出は遠くの日々
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