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ウイークエンドFP
普段は会社で決算や税務申告を担当しています。週末にファイナンシャルプランナーとして活動している会社員です。宜しお願いします。
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2009年05月25日
奥さんと僕物語その14
NICUにてpart5

NICUでいろいろなことがありました
そろそろ我が家の双子も退院が近づいてきました
そんな矢先に1000以下の早産の赤ちゃんが入院
してきました あまりの小ささにびっくりしました

退院間際だったのでどんなご両親なのかは
わかりません 元気になってください
ちなみにNICUの一ヶ月の請求額ですが。。。

なんと130〜150万が実費となります
児童福祉センターに申請手続きをしたので
差額の数万程度で済んでます
社会保険の関係で不祥事があると

ほんっっと腹が立ちます
NICUだけでも多額のお金が必要です
医療費を本当に必要にしている方
に使ってほしいですよね

さて一気に書いてしまったこのお話も
連続で書くのは一旦お休みです
他にも書きたいことがありますので。。。

まず「ハゲしいなんて言うな!」ですブログでも
書いたのですが奥さんの親戚の青年の友人(長い)
がですね。。。24歳で薄くなってしまったんです
それでなぜか僕たち夫婦に相談に来たんです
本人の了承を得てブログに書くことにしました
ただ写真とか顔がわからなくてもかんべんしてほしい
とのことです ブログタイトルは彼が付けてくれました

次に「我が青春のスターレット」です
独身のときEPと呼ばれるこの車でいろいろ
チューニングして走ってた頃のお話です

最後に「奥さんと僕物語2」です
新婚時代にですね 僕は腫瘍ができてしまい
入院そして手術してるんです
その時のことを書こうと思います

日替わりで書いていきますので
良かったらお付き合いしてくださいね






2009年05月23日
奥さんと僕物語その13
NICUにてpart4

奥さんのママ友の旦那さんが亡くなった。。。。。
僕は奥さんの面会にいって聞かされました
いつも時間一杯まで休みの日は面会してたそうです

帰るときはいつも「会いたい会いたい」と言ってたそうです
あまりに悲しすぎる現実。。。。。。
みなさんも考えてみてください

いつもあたりまえに家族がいる
ある日突然二度と会えなくなるんです
これは家族に限らず恋人でも同じです
僕は現実を受け止められるんだろうかと思ってしまいました

この方のお子さんも未熟児でしかも羊水がにごっていたので
傷害が残るかもしれないと医師に言われたそうです
しばらくはふさぎこんでいたんですが。。。。。

そんなある日お子さんとの面会でNICUに入り
子どもを抱きながら笑顔になっていたそうです
僕は奥さんにそれとなく聞いたんです

僕の奥さんにこんなことを言ったそうです

「私はこの子の母親やります一緒に生きていくことであの人も
私たちの中で生き続けます だから笑顔でいなくっちゃ」

よく聞いた言葉で

女は弱しされど母は強し っていいますよね?

こんなに強くて気高く感じた方は初めてでした
世の旦那さん!負けてられないですよ!!








2009年05月22日
奥さんと僕物語その12
NICUにてpart3

NICUで双子は順調に育っていきました
時々保育器からでてきて


抱っこもできるようになったんです


ここまでいろいろあったんですが


多くの人に支えられてなんとか


ここまできました元気で育って


ほしい入院中はこればっかり


考えたんです何回も書いて


しまうんですが。。。。。。。

僕も慣れない手つきで


哺乳瓶を使ってみたりもしました


画像はわざとですが


荒くさせてもらいました


あまりキレイでないですが


ご了承願いますね


奥さんがですね入院中


となりのベッドで入院していた方と

NICUのママ友になっていました
隣県からの入院だったので旦那さんが
休みにならないと面会に来ることが
出来ないんだそうです


でも。。。。。。。ある日突然に。。。。。。。

旦那さんは交通事故で亡くなられてしまったんです

奥さんは隣で一晩中すすり泣く声を聞いたそうです









2009年05月21日
奥さんと僕物語その11
NICUにてpart2

NICUでやっと双子に会えました
先生は触れてあげてくださいと僕に
言われました

初めて触れる赤ちゃん。。。とても小さくでも
生きようとする力強さみたいな感じがしました
両手の平に収まりそうな。。。。。。。。。。
触れるのがこわいような。。。。。。。。。。

一人の赤ちゃんを触ったらまた手洗いです
何度も手洗いを繰り返すので途中で
手が痛くなってしまいました

数日後 奥さんも回復して双子とご対面!!!
「小さいね、でもかわいいね」奥さん
「うん 元気で大きくなってほしいよね」僕

そんなNICUのなか同時期に入院してした
お子さんとご両親のなかに印象に残る方が
いらっしゃいました

その方のお子さんはNICUに入院して
既に一年が経過しようとしていました。。。。
満一歳の誕生日をNICUの保育器で
迎えるんです。。。。。。。

お母さんは折り紙で飾りつけをしていました
保育器から出ることは出来ないので
お誕生おめでとう!の飾りつけは全て
保育器の周りです

お父さんは誕生日プレゼントを買ってきて
保育器の外から話しかけていました
「プレゼントだよ 誕生日パーティーで開けてあげるよ」
NICUには両親以外は誰も入れません

誕生日当日は日曜日でした ご両親と担当医 看護師さん
でお祝いをしていました ガラス越しに祖父母の方も
誕生日おめでとうと色紙でつくったバースデーカード
(特大版)をかざして手を振っていました

どうかNICUに入院している赤ちゃんたちが
元気になりますように と思わずにはいられませんでした

もう一方印象に残った方がいらっしゃいます
また次回に。。。。。。。。。。。。。。










2009年05月20日
奥さんと僕物語その10
NICU(新生児集中治療室)にて

双子が生まれてスグに運ばれたのがNICU
(新生児集中治療室)でした

奥さんが病室に移りその後僕が呼ばれました
「お子さんと面会できますので入室の説明をします」
入室の説明????

看護師さんにつれられて入室のやり方を教えてもらいました
まず部屋の前に準備室みたいな部屋がありまして
靴を脱いで入室します次に滅菌済のスリッパを履いて

紙みたいな材質でできている帽子(シャワーキャップみたい)
を着用後割烹着みたいなエプロンを着用します
マスクは風邪をひいていたら着用です

次に手洗いです まるで手術の前みたいに
袖まくりをしましてですね
イソジンスクラブみたいな強力な殺菌ソープ
でブラシまで使って手を洗います
肘の近くまで洗うんです

手を洗ったあとはどこにも触ってはいけない
と言われました
NICUの前にある自動ドアは下に足を
入れるところがあって

ここに足を乗せるとドアが開きます
やっと入室して会えました。。。。。。
小さな小さな赤ちゃんが保育器の中で寝ていました

いろんなデータを取るために管やら電極みたいな
ものをつけられて。。。。。。。。

1500以下の超未熟児です
元気に育ってほしい。。。。。。。。。
願いはそれだけでした





2009年05月19日
奥さんと僕物語その9
小さなキセキ

病院で絶対安静になってしまった奥さん
とにかく一日でも長くお母さんの体にいることが
双子にとって何よりも重要と先生は言われました

面会時間いっぱいまで奥さんと話をしていたのですが
いつも明るくちょっと勝気な性格の奥さんがですね
「さすがにまいってきたよ。。。」と弱々しく言いました

絶対安静からすでに一週間。。確かにツライよね
先生は「心配だなあ。。。。
可能な限り安静ですが。。そろそろ限界ですかねえ。。。」

そんなことを話していたらその夜ですね
陣痛がはじまってしまったんです
「すぐに帝王切開します」先生

僕は面会にきていたので奥さんが手術室に入って
いくまで声をかけていました
「大丈夫だから!がんばって!!」

手術室に入った後両方の実家に電話しました
すぐに両方の親が病院にかけつけてきました
一時間くらいたったでしょうか

手術室から看護師さんが小さな透明の箱を
ガラガラ押して出てきました
「生まれましたよ」

僕と両家の親は覗き込んだんですが。。。。。
一人しか見えません
ガーゼにたいなもので隠すようになってました

「見られましたか?」
「はい」と返事するまもなく「急ぎますので」
と行ってしまいました

あとから聞いたんですがこの日の手術室には
産婦人科部長と小児科部長が立ち会って
処置されたそうです

看護師さん達は口を揃えて
「こんなことってないよねえ」と言っていたそうです
この病院最高の医師が二人も揃ったんです
ちょっとしたキセキ?なんて思ったりもしました

でも気になるのは双子の行き先です
NICU(新生児集中治療室)なんです







2009年05月16日
奥さんと僕物語その8
Pさんへ
いつもありがとです。これからも宜しくお願いしますね(-^口^-)
僕もリンク貼るようにしますね

早産 全力のドライビングアタック

破水したみたい。。。。。この言葉を聞いてとにかく病院へTEL
入院施設のある病院なので早朝でも電話対応してくれました

救急車を呼ぼうと思ったんですが...こっちから行ったほうが早い
スグに当時の愛車EK9(シビックタイプR)で病院へ行くことに。。。

バスタオルを何枚も車に敷いて積んで奥さんを乗せて
イグニッションをON!いっけーー!!
病院までは約35分くらい川沿いに出ればあとは一直線

でも飛ばしすぎたりコーナーでGをかけると奥さんと子供が。。。
走りながらサーキットで走り屋やってた時のことを思い出していました

アクセルやブレーキはかかとをつけて親指に集中する
ブレーキングはストレートで8割終わらせておく
コーナリングフォースを得るため加重移動をスムーズに
ステアリングはコーナーにあわせて最小限にきる
一度きったら可能ながきり動かさない
そのためにコーナーのクリッピングポイントを見極めろ
クリッピングポイントは点じゃない線で捕らえろ
その線に合わせるのが最速ラインだ


心のなかで叫んでました
「頼むEK9!最高のパフォーマンスを見せてくれ!!
 奥さんと子どものために」

早朝で車も少なく信号もほとんど点滅でした
病院につくと連絡を受けた主治医の先生が待機されてました

スグに病室に運ばれ処置。。。。。。。
奥さんは点滴を2.3本つながれ絶対安静になってしまいました
予定日はまだ先。。。。どうなるんだろう。。。。。。






2009年05月15日
奥さんと僕物語その7
 出産まで

いろいろありましたけど
双子を授かり僕たちは幸せを感じながら
日々をすごしていたんですね

病院ですが近い病院との希望をだしたらですね
IVFの先生が一番最初に行った病院に戻ること
になったんですね

「三人目がほしくなったらまたおいで」:先生
この言葉に僕たちは満面の笑顔でお礼を言いました

さて、僕たちが最初の病院に戻った時の先生がですね
以前の主治医だった先生の研究室の後輩だったんです

この先生もとても良い感じで診察してくださいました
「双子だし僕もできるだけ力になります」
ホント担当医には恵まれています

だんだん双子が育ってきたんですが
主治医の先生がですね別の病院を進められたんです
「設備と施設が整った病院がいいと思います
 紹介状を書きますから転院しませんか?」

僕と奥さんは先生と良く相談して転院することにしました

転院先の病院は当時の国立病院でしたそして
今度の主治医はなんと!!一番最初の先生でした!!!
なんと産婦人科の部長になってたんですね

すべてが順調にみえました。。。。。。。。。
でもある日の朝早く AM4:30くらいだったかなあ。。。
奥さんの衝撃の一言

「ねえ!起きてよ!!」奥さん
「なに?こんなに早くどうしたの?」僕
「破水したみたい。。。。」奥さん
ええええええ!!!!








2009年05月14日
奥さんと僕物語その6
不妊治療の日々part4

IVFの結果を知るために奥さんの通院に
付き添っていきました

検査が終わって診察室にいくとですね
先生がちょっと難しい顔されてたんですね

「先生どうなんでしょうか?」僕:奥さん
「ちょっとにぎやかになってしまいましたね」先生
「にぎやかって?」奥さん
「多胎です」先生
「双子ってことですか?」奥さん
「二卵性の双子ですね」先生

しばらくは実感が沸かなくてふーんみたいな感じでした
でも帰り道だんだん嬉しくなってきて
会話も弾んでいました

なかなか子宝に恵まれませんでしたが
喜びもひとしおです

不妊治療って精神的にも結構キツイ時があります
本に載っている体験記で最後に「あきらめないで」
と最後によくメッセージが書いてありました

僕も実感として言えます
辛くても夫婦で支えあって、あきらめないでください

この物語がですね。。まだ続くんです出産時にですね
けっこうとんでもないことになったんです



2009年05月13日
奥さんと僕物語その5
不妊治療の日々part3

AIHという方法を何回か繰り返しましたが
次の方法を先生が提案されました

IVFもしくはICSI(イクシ)という体外受精の方法です
どちらも受けるほうからするとですね
あまり変わらないんですが
ICSIのほうは精子の運動能力が0でも妊娠可能なんですね

僕と奥さんは随分と考え話し合いました
互いの実家の応援もあってですね
IVFを受けることにしたんです

この方法は準備期間があってですね
奥さんは薬を服用しながらIVFの日を待つことになりました

当日は朝早く病院にいきまして手続きを行いました
手術扱いで実際は入院しないんですが
入院扱いで手術が終わると外泊という形で
家に一旦帰るんです。

この方法では実績がある定評のある先生なので
僕と奥さんは先生を信じてトライしました

僕たちの赤ちゃんはいつになったら会えるんでしょうか?
体外受精でも妊娠しにくい方は何回かトライすることに
なるそうです。

はたして一回目の結果は。。。。。。。。





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