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サルカメ合戦 IV


フィリピンの「サルカメ合戦」
-「サル」の古語に関する脱線の多い考察-












「この蟹や 何処の蟹?」
-「蟹」の語源に関する脱線の多い考察-



再び「蟹の歌」について

以上、「この蟹や いづくの蟹?」について考察したのですが、現在の私の結論は、
「南の島(オーストロネシア)産まれ)」が答えです。

「蟹の歌」を、現代語に訳して引用します。(ちょっと私流に意訳しましたが。)
(語句の解釈は、武田祐吉「新訂古事記」(角川文庫)を参考にした。)


この蟹は 何処の蟹だ?
百伝う 角鹿の蟹だ。
横歩きに歩いて 何処に行くのか。
(中略)
ニホ鳥のように 水に潜っては 息を継ぎ
ササナミ道を ズンズン行くと
木幡の道で 美しい乙女に出会った。

櫟の木の立つ井戸のある ワニ坂の土の
上・中・下の 三つの土の 真ん中の土を取って眉墨にして
目も鮮やかに眉を描いた 美しい乙女に 出会った。
(以下略)

ここで私が面白いと思うのは、「海幸彦・山幸彦」の説話との類似です。

兄の海幸彦の針を無くした山幸彦が海岸で泣いていると、塩椎の神がやってきて小船を与え、これに乗れという告げられます(書紀では目の無い籠に入れて海底に沈める)。

言われた通り舟に乗って波に流されていると、道が現れ、ワタツミの神の宮殿にたどり着きます。門の近くに井戸があり、その上の木に登ってしばらく待っていると、豊玉姫の侍女(書紀では豊玉姫自身)が水を汲みにやって来て・・・と展開するワケですが、

「水に潜ると、道が現れ、井戸のある、木の傍(ハタ)、で美しい乙女と出会う、」

という基本ストーリーは、「蟹の歌」と完全に一致します。この類推を適用すると、「ワニ」と「ワタツミの神」が対応するワケですが、「海幸彦・山幸彦」の説話で、豊玉姫が山幸彦の子を産むときに「八尋ワニ」に姿を変えた事を思えば納得です。この歌の伝承者が、九州の海人族と関係がある事は明らかです。

「蟹の歌」は海人族に伝承される「異族(山幸)との聖なる婚姻」を寿ぐ儀礼の痕跡と思われます。更に「蟹」を「亀」に置き換えると、この歌は結末は別として「浦島太郎」の説話に変換されます。

また、もし「サルカニ合戦」が、一部の論者が指摘するように、カニに象徴される水の精と、サルに象徴される山の精との対立を描いたものだとすれば、この民話は、「海幸彦・山彦説話」の別バージョン(動物編)とみなす事もできます。

この稿の発端は、フィリピンに「サルカニ合戦」と良く似た民話がありますという事だったのですが、前回この話しを紹介した際には、この民話の起源が古いものである証拠を示すことはできませんでした。しかし、今回の検討結果によれば、少なくともこの民話のモチーフの一部については、記紀の神話と共通する要素が認められます。

だとすれば、フィリピンと日本の「サルカニ(メ)合戦」は、起源を共有する非常に古い説話に遡るのではないかと推定することは充分に可能ではないかと考えます。



古代史との関係:

上で述べたように、応神天皇の伝承の箇所に現れる「蟹の歌」が古代九州海人族の婚姻儀礼の痕跡と推定される事は、応神天皇が九州の産まれであるという記紀の伝承と整合します。

更に「カニ」については、村山説にあるように、日本語と韓国語で共通祖語を立てる事が可能です。このような語彙は、明らかな借用語を除くと、私の考えでは、そう数多くはありません(但し、今後考えが変わるかもしれませんが)。この事は、いわゆる「応神王朝」の成立に係わった人々は、九州を根拠地として朝鮮半島と深い関係を持った集団ではないかという推測を産みます。応神天皇の母親の神功皇后は、「新羅征伐説話」の主人公です。言語学的からの推定と、記紀の説話は微妙に交錯します。

ここから具体的な歴史過程を導くことは到底ムリな算段ですが、少なくとも、神功皇后から応神天皇にかけての古事記の伝承が、なにがしかの「史実」を含んでいるという推定の補強にはなるのではないかと考えます。


日本語の起源との関係:

以前から、私には安本美典氏流の、日本語には、チベット・ビルマ祖語、或いは古代南方中国語混入しているという説に共感する所があり、現在もその可能性は真面目に考慮すべきと考えています。

「カニ」の語源は、この考えを支持すると考えた時期もあったのですが、現在では、この語もAN祖語(kaRa;)起源と考えるようになりました。



今後の予定

この稿で述べたような、言語学と古代史の境界のところであれこれと想像を巡らすのが楽しいワケです。今後も「神話・説話に現れるAN語の解析」をテーマにしようと思っています。今のところ持ち合わせのネタは、フィリピン神話における「ナナマタのオロチ」です。フィリピンでは「八マタ」ではなく、なぜか「七マタ」なのです。

しかし、次回はその前に、本論の「基礎語彙100語比較」で述べる事が出来なっかった「数詞」について補足しておこうと思います。高句麗語で「10」を tk と言った事は良く知られています。これが日本語の「十」(to2wo)と関係があるという説がありますが、本当にそうなのか、検討しようと思います。

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