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サルカメ合戦 II


フィリピンの「サルカメ合戦」
-「サル」の古語に関する脱線の多い考察-



サルの来た道?

現代日本では「猿」は saru ですが、古語に「マシ」という語がありました。万葉集に「猿」を「まし」と訓じた多くの例が見られます。一例を挙げておきます。


吾妹児(あぎもこ)に 恋ひつつあらずは 秋萩の 咲きて散るぬる花にあら猿を (#120)

ここで「あら猿を」は、「あらざるを」ではなく、「あらましを」と訓みます。

古今集(905-914)では「ましら」という語形が見られます。


わびしさに ましらななき あしひきの 山のかひある けうへにはあらぬ  (雑体1067)

おそらく、「ましら」は「まし」+「ら」で、「まし」は猿の古形です。「ら」は「等」と思われます。

方言にも「ましら」が残存していて、青森・岩手・秋田・山形・和歌山にサルもしくはサルの忌み言葉があるそうです。(図説琉球語辞典 中本正智 1981 金鶏社による)

ここで、上に紹介したフィリピン民話の題名

"How Pagong Made a Fool of Matsing" (いかにカメはサルをコケにしたか)

を見て下さい。サルは、matsing で、「猿」の古語「マシ」と良く似ています。というか、上代日本語の「シ」は、tsi に近い音だったと推定されるので(森博達「古代の音韻と日本書紀の成立」p.125)、語尾の鼻音を除いて音が一致します。



左の図はフィリピンの言語分布を示したものです。この民話は、フィリピン中部のパンパガン地方(左図のKpmで示した地域)に伝わるものです。

フィリピンでmatsing という語形を持つ言語は他に何があるかと言うと、私の持っている資料では、タガログ語があるだけで、この語が分布するのはフィリピンでも中部に限定されています。

オーストロネシア諸語全体で見てみると、「サル」を表す語は、西マラヨ・ポリネシア語群(敢えて分かりやすく言えば、マレー・インドネシア・フィリピン)にのみ存在します。

これは猿が東南アジアの動・植物分布相を区分する、「ウォレス・ライン」を超える事ができなかったためです。(R. Blust "Linguistic Value of Wallce-line" 1982による。ちなみにウォレスというのはダーウィンのライバルだった有名な博物学者です。)


デンプウォルフは、「猿」を表すオーストロネシア祖語として、bluk を再構していますが、上の理由により、この語の分布もあまり広くはありません。

注目すべきは、グアム島、チャモロ語macheng です。これはどう見てもタガログ語のmatsing の同源語ですが、グアムに古代から野生の猿が生息したはずはないので、おそらくタガログ語からの借用語と思われます。

更に面白いのはサイパンでは「猿」は saro なのです。サイパンは戦前日本人が多く居住していたので、多分、こちらは日本語からの借用語と思われます。(私が参照した辞書には何のコメントもないけれど、多分、借用語でしょう。)


面白いことに、マリアナ諸島のチャモロ語には、「マシ」と「サル」が同居しているのです。

左の図は、現在考えられているAN語族の話し手の移住経路を示したものですが、台湾からフィリピンへの移住の後、フィリピン中部から移住の波が大きく東西に分かれたと推定されています。
(J. Lynch "Pacific languages" p.54 Map14の一部を拡大して改変)



これは、まだ想像の域を脱しない仮説にしか過ぎませんが、私は、東に分裂した集団の一派がマリアナ諸島経由で日本に移住してきた可能性があると考えています。

「証拠らしきもの」は、「花」と「星」です。(なんか宝塚みたいですが。)

「花」は、AN祖語では *bunga で、第一母音は u なのですが、チャモロ語では、banga で、日本語(pana)と第一母音が一致します。

「星」は、AN祖語では *bi(n)tuqen で、日本の potsi (oの甲乙不明)とあまり似ていないのですが、チャモロ語では、pution で、もし日本語の第一母音が甲類のオ(O1)であれば、周知のように o1 ⇔ u の通音は上代日本語で良く見られる現象なので注)


注) 例えば、/uto・ utu/ /suko-si・ suku-nasi/ /ito・ itu/ /agora・ agura/ karu-si・karo-si/ /no・nu /など。メンドウなのでOの添字1は省略した。

チャモロ語:  pution
日本語:    *putsi 〜 potsi

となって、語形が接近してきます。(チャモロ語以外のオーストロネシア語では、すべて、 b(p)itu- と第一子音が i です。)「星」は航海術には欠かせない要素なので、海洋民族には特に重要な語彙です。

ちょっと脱線しましたが、フィリピン中部とマリアナ諸島を連結する経路が存在し、そのルートの先に日本列島があった事は、「サルの来た道」

フィリピン中部matsing
グアム島macheng
上代日本列島matsi

から推測できると思われます。ちなみに"Ancient Chamorro Society"によれば、グアム・サイパンの人々は、腕輪に使う子安貝を求め遠く沖縄諸島の人々と交易をしていたそうです。

チャモロ語がタガログ語の「猿」(matsing)を取り入れたのがいつの時代の事なのか全く不明ですが、上代の日本列島にmatsiという言葉があるのを見ると、少なくとも古墳時代前期か弥生時代に、フィリピン・マリアナ・沖縄諸島と日本本土の間でかなり活発な民族間の接触があった事が推定されます。

「猿蟹合戦」の前半部分もまた、このようなルートに乗って日本にやって来たと考えるのはそれほど荒唐無稽なことではないと思います。


民俗学と比較言語学の接点はあるか?

とは言え、

「猿蟹合戦」がどれくらい古い話しなのかは、正直言って全然分かりません。

この話しが最終的な形態になったのは「仇討ち」や「合戦」が民衆に好まれるテーマとなった時期と考えられるので、武士の世の中になってからの事と推定されます。

前半部のフィリピン版との類似が生じたのが古代における移住や接触の結果などではなく、交易によってもたらされたものと考えるなら、その時期は安土桃山時代の南蛮貿易が盛んだった頃、というのが「最も保守的な推定」でしょう。後半部分の起源についても同じ事が言えます。

残念ながら、この民話の起源が古代まで遡る証拠はありませんし、それを否定する証拠も(多分)ありません。いかに類似した民話どうしでも「伝播」の可能性が常にあり、古い文献に記載がないと、それがいつの時代に生じた事なのか特定できないので、明確な結論を出すのは困難です。

それに比べると「語彙」の比較は、フィリピンと日本の間に有史以前からの接触があった事を歴然と示しています。比較言語学で得られる情報が民話の分析に何か有用な情報を与えるのではないかと思ってこの稿を書き始めたのですが、どうも方法論的にムリだったみたいです。



次回の予定:

今回は「猿」を取り上げたのですが、現代語の「サル」(saru)の語源は今のところ全く不明です。万葉集に一首だけですが「サル」という語が登場するので、既に上代には「マシ」と「サル」が共存していた事しか分かりません。

「猿蟹合戦」で話しを始めたので、行きがかり上、次回は「蟹」を取り上げようと思っています。これが非常に悩ましい。「蟹」は、日本語の起源がとてつもなく複雑なものである事を象徴する語であると私は考えるのですが、どう料理したら良いか、実際に書いてみないとどうなるか、分かりません。


追記 (2004/08/19)  「亀」の語源?

"How Pagong Made a Fool of Matsing" (いかにカメはサルをコケにしたか)

で分かるように、「亀」は pagon です。タガログ 語(中部)でもイロカノ語(北部)でも pagon なのですが、チャモロ語は haggan で主要フィリピン語とは異なっています。

しかし、北部フィリピンに dagga という語形を示す言語がいくつかあり、チャモロ語の語頭 h は、オーストロネシア祖語の k あるいはd と対応するので、チャモロ語の haggan*daggan に遡り、フィリピン語と関係ありそうです。

AN祖語(デンプウォルフ)は *pn~u で、オーストロネシア諸語全部を見渡しても「カメ」(kame2 < *kamai )に類似した単語は見つかりません。

以下は例によって村山説です。上代語に「太占:フトマニ」(putomani)という語がありますが、この語の後半、 mani が前鼻音化によって生じたと仮定すると、mani < m/pani となるワケですが、この pani が *pn~u と関係あるのではないかというものです。

しかし、岩波古語辞典によれば、フトマニは 「鹿の肩の骨を焼箸のようなもので突いてできる割れ目で吉兆を占う」ということで、古代日本に亀卜が行われていたのかは疑問があります。

「魏志倭人伝」には

「・・・俗挙事行来に云為するところ有れば、すなわち、骨を灼きて卜し、持って吉兆を占い先ず卜する所を告ぐ。その辞は令亀の法の如く・・・」

とあるので、倭人の占いは明らかに亀卜ではありません。この説は比較神話学の専門家である大林太良氏との対談をまとめた「日本語の起源」(1976)で述べられたものなのですが、大林氏が何も反論してないのは遠慮したのでしょうか?

ざっとググッてみると、亀卜は奈良時代に中国から伝わったものという説ばかりで、弥生時代以前に行われていた形跡はなさそうです。音韻対応としてはいい線行っているのですが、村山説はいささか根拠に欠けるのではあるまいかと思います。

ど〜も本論に続きスッキリしません。


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更新記録
1. 2004/08/16  第一稿UP
2. 2004/08/19 追記UP

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