2016年05月19日
冤罪物語 連載2 禁煙してから私の身に起こったことです
禁煙してから、私の体に変化が起こった。それは、少しの酒で「泥酔状態」なってしまい。記憶が無くなるというものでした。
この状態を第三者が見ると、正常な人の「酔った状態・泥酔ではない」に見えるのだそうです。
その根拠は、私の知り合いで、私に遅れて禁煙した方も同じ症状が出ていたので、それで分かったのです。
この当時私は60歳でした。私の家庭は、当時漬物の製造と小売業を営んでいました。私の奥さんはそこの娘で、私はそこの娘と結婚していたというわけです。
1978年に結婚すると、その会社の業務に邁進して、バブル崩壊の1990年には、地方都市の漬物製造業では、そこそこの売り上げを達成していました。
会社が、無借金経営になり、確たる成績を残せるようになったのは、それから10年後の世の中がハッキリとデフレ状態になったころです。
この頃の会社の目標は、会社の規模を追うことでなく、利益の出る仕事だけ残して、利益の出る仕事しかしない。というものでした。
何故この方針にしたか?というと、私の会社の経理は、もともとは妻の父親の設立した会社である所以で、妻に任せていました。妻には現場の仕事より経理と店舗を任せることが、自然で無理のない選択と考えたのです。
会社が儲からない時は、お互いに頑張ってやっています。ですが、段々儲かるようになると困ったことが起こりました。
ある年のことです。税務署が入りました。結論は重加算税です。
ということは、そうです。妻が経理をごまかしていたのでした。私のところは、ネットの始まる前から、通販のまねごとをしていました。自宅に小売店舗を併設していましたので、お客様に頼まれればご希望の品物を
送っていました。その業務はバブル景気の形成と共に、そこそこの仕事量と売り上げがありました。製造直売は利益率の一番良い仕事です。
その振込先を郵便局にしていました。その売り上げを誤魔化して、ブランド物の購入に当てていたのでした。この頃は、会社が赤字になったり、黒字になったりと上下していました。その不安定さに税務署が目を付けた
のでした。税務署の重加算税を、会社から借りて経理責任者の妻が払うということにしました。この時は妻が社長をしていた頃です。
この頃は子育ての最中ということもあって、兎に角無我夢中で働いていた時期でした。私は、給料を手元にもらうということをしていなかったのです。私の給料は、全部妻に任せて必要なとき、必要な金額をもらうだけ
という生活でした。私は、自分で管理しなくても妻が管理していてくれればそれで結構だったのです。この後、こんな気楽な事を言っていられない事態へと変化していきました。・・・・・・続く。
この状態を第三者が見ると、正常な人の「酔った状態・泥酔ではない」に見えるのだそうです。
その根拠は、私の知り合いで、私に遅れて禁煙した方も同じ症状が出ていたので、それで分かったのです。
この当時私は60歳でした。私の家庭は、当時漬物の製造と小売業を営んでいました。私の奥さんはそこの娘で、私はそこの娘と結婚していたというわけです。
1978年に結婚すると、その会社の業務に邁進して、バブル崩壊の1990年には、地方都市の漬物製造業では、そこそこの売り上げを達成していました。
会社が、無借金経営になり、確たる成績を残せるようになったのは、それから10年後の世の中がハッキリとデフレ状態になったころです。
この頃の会社の目標は、会社の規模を追うことでなく、利益の出る仕事だけ残して、利益の出る仕事しかしない。というものでした。
何故この方針にしたか?というと、私の会社の経理は、もともとは妻の父親の設立した会社である所以で、妻に任せていました。妻には現場の仕事より経理と店舗を任せることが、自然で無理のない選択と考えたのです。
会社が儲からない時は、お互いに頑張ってやっています。ですが、段々儲かるようになると困ったことが起こりました。
ある年のことです。税務署が入りました。結論は重加算税です。
ということは、そうです。妻が経理をごまかしていたのでした。私のところは、ネットの始まる前から、通販のまねごとをしていました。自宅に小売店舗を併設していましたので、お客様に頼まれればご希望の品物を
送っていました。その業務はバブル景気の形成と共に、そこそこの仕事量と売り上げがありました。製造直売は利益率の一番良い仕事です。
その振込先を郵便局にしていました。その売り上げを誤魔化して、ブランド物の購入に当てていたのでした。この頃は、会社が赤字になったり、黒字になったりと上下していました。その不安定さに税務署が目を付けた
のでした。税務署の重加算税を、会社から借りて経理責任者の妻が払うということにしました。この時は妻が社長をしていた頃です。
この頃は子育ての最中ということもあって、兎に角無我夢中で働いていた時期でした。私は、給料を手元にもらうということをしていなかったのです。私の給料は、全部妻に任せて必要なとき、必要な金額をもらうだけ
という生活でした。私は、自分で管理しなくても妻が管理していてくれればそれで結構だったのです。この後、こんな気楽な事を言っていられない事態へと変化していきました。・・・・・・続く。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/5078568
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック