2017年02月26日
ケント ギルバード さんの出版です 儒教に支配された中国人と 韓国人の悲劇
2月24日読売新聞朝刊 講談社の広告欄
ケントさん鋭い目で観察しています。
まったくですね、同感です。
「儒」とは、孔子 孟子 などの先哲の教えの事です。
特に孔子は 論語 大学 などで日本でもお馴染みです。
中国で儒の教えは生まれて、韓国や日本の「漢字」圏で
広がり、あまりに素晴らしいので、
日本では、江戸時代の寺子屋で盛んに教えたものです。
ペリーたちが浦賀に来て驚いたことは、
「日本という国の女子の貞操観念」にも驚いて、感心しています。
身持ちが宜しいのでした。儒の教えが活きていたのです。
中国や韓国では儒の「形」だけで「教えが活きる」という現象は
起きていません。国民全体にという意味です。
中にはいるでしょうが「僅少です」だから「国体」がまったく違います。
憲法で国を守り・法律で国民を守っています。
日本の「不戦」は、近代国家のお手本です。
ここを「崩す」と、日本はニポンとなって、彼らとおバカの横並びです。
日本の国体は、実は本物の宗教が根付いていたことで救われていました。
神社神道や神道系の教派神道の幾つかと、仏教の教派の幾つかに見ることができます。
ニセ宗教の多い中で、その健闘は称賛に値します。
でも、「でした」という過去形です。これからは「どうなるか見当もつきません」
彼らの国には「それがありません」つづきます。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/5989891
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック