2017年01月16日
冤罪物語 62 敵討ちの部
五井昌久氏の説いている救われの道を探るうちに、私の敵討ちの具体的方法が決まりました。
それは、私からは何もしない。
「何もしない」⇒「想念も発せず・想念を飛ばさない」
ということです。
私のすることは、私の救われる道を歩む。ということです。
真善美の世界に住まいするということです。私の想念の置き場を、
真善美で満杯にして、他の入る余地のないようにしてしまうこと。
これをします。理由は以下です。
私が直接であれ、間接であれ、敵討ちの対象者に何かすることは、
時間の経過で「された」と気づく時が来ます。
これは、対象者を何かしら悟らせることになり、最終的には彼らの利益になってしまいます。
私は、敵に利益ナンゾたばこの灰もやりたくありません。
ましてや、人間としても霊覚的にも彼らの向上することには手を出したくありません。
悟らせない・向上させないためには、彼らに「しめた・うまくいったと得々とさせておくことです」
するとそれに「執着」する。したままになる。
こちらが刺激して、妙に改心されたら、私にとってそれは「最悪」です。
何かで苦労して、少しばかり気が利いて反省してみても、
真実の救われの道を、その入り口にたどり着くのも容易なことではありません。
ましてや、歩む。ということになると、
「難しい」
ということになります。安易な気持ちでは、正道を歩むことなど、とてもとても及びません。
このことは、今回私の確かめるための・再確認の道程でよくよく分かりました。
頭で分かったような気がしても、気がしただけで、実行するとなると本当に難しいのです。
私が敵とするのは10人ほどです。
その全てが求道者となり得るか?と観察すると、小馬鹿にするようで大変恐縮だが、
「とても無理」「土台人種が違う」「無理・できない」「大体素直でない」という部類です。
そんなのに、悟らせるわけにはいきません。
「悪として・ばい菌として・汚物とて」突き放してしまう努力をします。
五井昌久氏の説き方は、宗教者と雖も、その臭みはまったくなく、整然として私には分かり易いものです。
不思議なのは、
分かるのです。が、難しいのです。難しいのだが分かるのです。
実践となるとさらに難関です。
だが、私には、
やってみよう。いや「この道を行く」と決めるのに、十分な分かり易さと難しさです。
一口で言うと「分かるけど難しい」「難しいけど分かる」となります。
ようやく、霊覚の入口でウロウロしないで済むという安堵感もあります。その夜夢を見た。
五井昌久氏は夢について、守護霊の働きの1つで、業生を夢と現せて消している。
業生の葛藤は2〜3年や50〜60年の葛藤などではなく、もっともっと長い年月の蓄積なのです。
そう説いています。(五井昌久著 神と人間)
「敵討ちの部」終わり。
次回からは「大繁盛の部」となればいいなと。
それは、私からは何もしない。
「何もしない」⇒「想念も発せず・想念を飛ばさない」
ということです。
私のすることは、私の救われる道を歩む。ということです。
真善美の世界に住まいするということです。私の想念の置き場を、
真善美で満杯にして、他の入る余地のないようにしてしまうこと。
これをします。理由は以下です。
私が直接であれ、間接であれ、敵討ちの対象者に何かすることは、
時間の経過で「された」と気づく時が来ます。
これは、対象者を何かしら悟らせることになり、最終的には彼らの利益になってしまいます。
私は、敵に利益ナンゾたばこの灰もやりたくありません。
ましてや、人間としても霊覚的にも彼らの向上することには手を出したくありません。
悟らせない・向上させないためには、彼らに「しめた・うまくいったと得々とさせておくことです」
するとそれに「執着」する。したままになる。
こちらが刺激して、妙に改心されたら、私にとってそれは「最悪」です。
何かで苦労して、少しばかり気が利いて反省してみても、
真実の救われの道を、その入り口にたどり着くのも容易なことではありません。
ましてや、歩む。ということになると、
「難しい」
ということになります。安易な気持ちでは、正道を歩むことなど、とてもとても及びません。
このことは、今回私の確かめるための・再確認の道程でよくよく分かりました。
頭で分かったような気がしても、気がしただけで、実行するとなると本当に難しいのです。
私が敵とするのは10人ほどです。
その全てが求道者となり得るか?と観察すると、小馬鹿にするようで大変恐縮だが、
「とても無理」「土台人種が違う」「無理・できない」「大体素直でない」という部類です。
そんなのに、悟らせるわけにはいきません。
「悪として・ばい菌として・汚物とて」突き放してしまう努力をします。
五井昌久氏の説き方は、宗教者と雖も、その臭みはまったくなく、整然として私には分かり易いものです。
不思議なのは、
分かるのです。が、難しいのです。難しいのだが分かるのです。
実践となるとさらに難関です。
だが、私には、
やってみよう。いや「この道を行く」と決めるのに、十分な分かり易さと難しさです。
一口で言うと「分かるけど難しい」「難しいけど分かる」となります。
ようやく、霊覚の入口でウロウロしないで済むという安堵感もあります。その夜夢を見た。
五井昌久氏は夢について、守護霊の働きの1つで、業生を夢と現せて消している。
業生の葛藤は2〜3年や50〜60年の葛藤などではなく、もっともっと長い年月の蓄積なのです。
そう説いています。(五井昌久著 神と人間)
「敵討ちの部」終わり。
次回からは「大繁盛の部」となればいいなと。
タグ:敵討ち
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