2017年01月08日
冤罪物語 連載56 敵討ちの部
業想念(カルマ)を離す・絶縁してしまって好いことが分かった。
これで体が軽くなった。妙なところに引っ掛かっていないで先に進めるようにはなった。
だか、実行することの難しさは着いて回ります。
兎に角先に進まなければならない。もっと深めなければならないので進みます。
悪い所業も・都合の悪いことも「消えてしまう姿」なので遠慮なく捨てる。絶縁する。
たまにした善行に得々としないでそれも忘れてしまう。
脳みその中を「真善美」だけにすれば好いわけだ。
これが、なかなかできない。おかしなもので、次から次といろんな想いが、湧き上がる。
まさに湧き上がって、とても「真善美」だけというわけにはいかないのです。
繰り返して練習するしか道はないようです。
自力よりやり易い、他力業。五井昌久氏は、角度を変えて何回も同じ事を説いている。
これは、後から分かるのだが、全部理由があって説いているのでした。
普通の人には、難しいので「なるべく分かり易く説いている」のだが、それでも実行は難しいのです。
五井昌久氏は説きます。
『神は絶対の愛であり、人間は本住の地を神仏の中に置いている』
ただ、
『神仏の光が肉体人間の世界に直通して流れてくることを、過去世からの誤った想念が遮っているだけ。その遮っているのを払う役目が、守護霊守護神の役目』
なのだが、
『人間はどうしても五感の世界、見える世界に引かれる。なので守護の神霊から遠ざかってしまう。これは、折角の光を届きにくくしている』
そこで、
『守護の神霊への感謝を、常に心の中で唱えていることを勧めている』
さらに、
『人間の業想念から生まれた悪や不幸は、すべて本来実在するものではない。消え去ってしまうものである』
だから、
『いかなる悪や不幸や誤った想念が現れても、それにとらわれないように、とらわれそうになる想いを、守護の神霊への感謝に向けかえるようにする。2度とこちらから掴まない』
これを、
『自分だけの救われから進めて、世界平和の祈りに高めていくことを勧めている』
いとしい人を愛するのは誰でもできる。それを人類愛に高めるのです。
言うことは簡単です。が、敵まで愛せるのですか?
敵は敵に決まっている。愛することなどしません。
悪は悪に決まっている。そんな者は愛せません。当たり前ではありませんか。当たり前です。
この感情を無理して直しません。
こちらから想い起こすことはしないように訓練するとなのでしょうね。
自己の想いが、神の座「真善美」で満杯になればいいことです。
さらにつづきます。
これで体が軽くなった。妙なところに引っ掛かっていないで先に進めるようにはなった。
だか、実行することの難しさは着いて回ります。
兎に角先に進まなければならない。もっと深めなければならないので進みます。
悪い所業も・都合の悪いことも「消えてしまう姿」なので遠慮なく捨てる。絶縁する。
たまにした善行に得々としないでそれも忘れてしまう。
脳みその中を「真善美」だけにすれば好いわけだ。
これが、なかなかできない。おかしなもので、次から次といろんな想いが、湧き上がる。
まさに湧き上がって、とても「真善美」だけというわけにはいかないのです。
繰り返して練習するしか道はないようです。
自力よりやり易い、他力業。五井昌久氏は、角度を変えて何回も同じ事を説いている。
これは、後から分かるのだが、全部理由があって説いているのでした。
普通の人には、難しいので「なるべく分かり易く説いている」のだが、それでも実行は難しいのです。
五井昌久氏は説きます。
『神は絶対の愛であり、人間は本住の地を神仏の中に置いている』
ただ、
『神仏の光が肉体人間の世界に直通して流れてくることを、過去世からの誤った想念が遮っているだけ。その遮っているのを払う役目が、守護霊守護神の役目』
なのだが、
『人間はどうしても五感の世界、見える世界に引かれる。なので守護の神霊から遠ざかってしまう。これは、折角の光を届きにくくしている』
そこで、
『守護の神霊への感謝を、常に心の中で唱えていることを勧めている』
さらに、
『人間の業想念から生まれた悪や不幸は、すべて本来実在するものではない。消え去ってしまうものである』
だから、
『いかなる悪や不幸や誤った想念が現れても、それにとらわれないように、とらわれそうになる想いを、守護の神霊への感謝に向けかえるようにする。2度とこちらから掴まない』
これを、
『自分だけの救われから進めて、世界平和の祈りに高めていくことを勧めている』
いとしい人を愛するのは誰でもできる。それを人類愛に高めるのです。
言うことは簡単です。が、敵まで愛せるのですか?
敵は敵に決まっている。愛することなどしません。
悪は悪に決まっている。そんな者は愛せません。当たり前ではありませんか。当たり前です。
この感情を無理して直しません。
こちらから想い起こすことはしないように訓練するとなのでしょうね。
自己の想いが、神の座「真善美」で満杯になればいいことです。
さらにつづきます。
タグ:敵討ち
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