2016年12月18日
冤罪物語 連載47 敵討ちの部
五井昌久著 霊性の開発 白光真宏会出版本部
どう読んでみても今のままだと、腑に落ちる読み方ができない。
かといって、観念的には分かる。
私の読み方が、かみ合っていないことに気が付いたのです。
この先は、きちんと腑に落とす読み方をしたいので、ノートしながら追っていくことにしました。
というのが前回まででした。
霊性の開発の途中からになのですが、ノートしながら読むことにして、ふと見ると。
カバーに何か挟まっています。
何かな? 引き出すと領収書です。その写真です。
23年前に、ヤマトのブックサービスから仕入れています。43歳です。
この頃の読み方は観念でしか捉えていなかったことになります。
さて、本題です。ノートします。
原文(五井昌久著 霊性の開発 白光真宏会出版本部)
・・の守護霊守護神の加護を念じ、感謝をし、世界の平和を祈り続けながら、現れきたるすべての想念行為を、過去世からの誤まてるものの消えてゆく姿と観じて、その想念行為に把われぬように、突き放ち、その想いを直ちに神の方にむきかえなければなりません。
ノート
過去世からの @誤まてるものの消えてゆく姿と観ずる。
Aその想念行に把われぬように突き放す。
Bその想いを直ちに神の方に向きかえる。
自己の想いを常に悪の方に置かずに、神の座に上げておく。これが自己が救われる最も良い方向(人類の救い)
こんな具合にノートしました。
「把われぬように」という表現があります。
この「把」という字は読み方「ハ・わ・は」意味「つかむ」「たばねる」になります。また「にぎる・とる」などもあります。
「はわれぬ」では使わないでしょうし、当たるのは「とらわれぬ」でよいと思います。
意味は「つかむ・たばねる・とる・にぎる」ですから、
文を通しで読むと「とらわれぬように」となって、
「その事象を掴まえないで、放すこと」
「消えてゆくのだから・掴まえないで放せ」で的を得ていること解釈してゆきます。
と、こんな調子で進めることにしたのです。
つづきます。
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