2018年10月10日
一緒に学ぼう世界史のポイント 127 《ソ連の平和共存路線とその影響》
世界史講義録より
一緒に学ぼう世界史のポイント 127 《ソ連の平和共存路線とその影響》
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ソ連の平和共存路線とその影響
ソ連の平和共存路線とスターリン批判は、冷戦に「雪どけ」をもたらしました。東欧の自由化はソ連に抑圧され、平和共存を批判した中国では文化大革命が始まりました。
スターリンの死後始まったソ連の平和共存路線
1953年ソ連の独裁者だったスターリンが死去しました。その後ソ連は、資本主義諸国との平和共存を提唱しました。
これを受け国際的に緊張緩和を求める声が高まると、1955年7月、米英仏ソ四カ国の首脳が集まりジュネーヴ巨頭会談が開かれました。具体的な成果は無かったものの、米ソの指導者が直接会って平和の意思を確認しただけでも当時としては大きな意義がありました。
ソ連共産党第一書記フルシチョフ
世界に衝撃を与えた「スターリン批判」
1956年ソ連共産党第一書記フルシチョフ(任1953〜64)はソ連共産党第20回大会でスターリン批判を行いました。スターリンの粗暴さに言及したレーニンの遺書を紹介し、スターリン時代の粛正の実態を暴露したフルシチョフの報告は、世界に衝撃を与えると同時にソ連の変化を印象づけ「雪どけ」の気運は高まりました。
1957年ソ連は人類初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功し、ソ連の技術と核ミサイル攻撃の可能性に合衆国が衝撃を受ける(「スプートニク=ショック」)と言った緊張関係は続いていましたが平和共存の流れは途絶えず、1959年にはフルシチョフの訪米が実現しています。
人工衛星スプートニク1号
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親米政権を倒したキューバ革命
バティスタ大統領
合衆国の影響下にあるラテンアメリカには、大土地所有制の下で貧富の差の激しい国が多く、社会矛盾を抑え込む為独裁政権が成立していました。合衆国は社会革命を封じ込める為それらの独裁政権を支持していました。
キューバはバティスタ大統領の親米的独裁政権の下にありましたが、1959年カストロ(1926〜)に指導されたキューバ革命が成功しました。革命政権が土地改革を実施し米国系企業を接収すると、合衆国はキューバに敵対政策を執った為、カストロは社会主義革命を宣言しソ連に接近しました。
カストロ
核戦争寸前に迫ったキューバ危機
1962年ソ連がキューバに中距離ミサイル基地を建設していることが判ると、ケネディ大統領(任1961〜63)はソ連輸送船のキューバ入港を阻止する為海上封鎖を実施し、ソ連船が封鎖線を突破した場合は戦争も辞さ無い構えで核弾頭搭載弾道ミサイルの発射準備を命じました。
世界中が固唾を飲んで見守るなか、フルシチョフがギリギリの段階で、合衆国のキューバへの内政不干渉と引き替えに、ミサイル撤去を約束した為危機は回避されました。
部分的核実験停止条約
実際に核戦争の危機を経験したことによって、米ソ両国間には再び「緊張緩和」への流れが生まれ、1963年部分的核実験停止条約が米英ソ三国によって調印されました(イギリスは52年に核兵器保有)。又、米ソの最高指導者の執務室にはホットラインと呼ばれる直通電話回線が開設され、緊急時の直接対話による危機回避を可能にしました。
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スターリン批判で自由を求めた東欧諸国
フルシチョフのスターリン批判によって、東欧諸国ではそれまで抑えられていたソ連に対する不満が噴出しました。
ゴムウカ
1956年ポーランドではポズナニで自由化を求める労働者の暴動が起こりました。ソ連が介入する動きを見せると、民族主義者として国民に人気のあったゴムウカ(1905〜82)が政権に就き、民衆運動を終息させてソ連軍の出動を回避しました。
ハンガリーでは、反ソ連・反独裁の民衆運動が高揚し非スターリン政権が誕生し、ワルシャワ条約機構からの脱退を決めると、ソ連軍が侵入し全土を制圧し親ソ政権を樹立しました(ハンガリー事件)。ソ連は、東欧社会主義諸国に対してはスターリン時代と変わら無い姿勢を保っていたのでした。
ハンガリー事件
後の1968年に、チェコスロヴァキアで「プラハの春」と呼ばれる自由化運動が推進された時も、ワルシャワ条約機構軍が出動して自由化を抑圧しました。
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ソ連の平和共存路線に反発する中国
中国にとって台湾政府を支援する合衆国との対立関係は続いていた為、ソ連の平和共存路線を受け入れることは出来ませんでした。平和共存をめぐる中ソ両国の対立は、1960年にソ連が中国に派遣していた技術者を引き上げ援助を中止するまでに発展しました。
中国社会に混乱をもたらした文化大革命
「大躍進政策」「文化大革命」毛沢東
中国がソ連に頼ら無い社会主義建設を目指し1958年に始めた「大躍進政策」は1000万人以上の餓死者を出して失敗し、1959年毛沢東に代わって劉少奇(1898〜1969)が国家主席と為りました。劉少奇は社会主義経済建設のテンポを緩め、生産請負制を認める等の「経済調整政策」を執りました。
劉少奇
文化大革命を発動
これに反発した毛沢東は、1966年文化大革命を発動しました。紅衛兵として組織された学生達は「造反有理(反抗するには訳がある)」と叫んで既成制度を批判し党幹部や知識人を攻撃しました。
この文化闘争の形を借りた権力闘争で、劉少奇は失脚し毛沢東と文革派が権力を掌握しました。その後も文革派は大衆を運動に動員して権力闘争を続けた為社会は大混乱しました。文革期の武力闘争で数百万に及ぶ犠牲者が生まれたとされています。現在中国では1970年代前半まで続いた文革期を内乱の10年と位置づけています。
紅衛兵
ソ連の平和共存路線とその影響 おわり 次のページへ 《ヴェトナム戦争と合衆国の相対的地位低下》
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