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2018年09月06日

 一緒に学ぼう世界史のポイント 49 《大航海時代1》


 
 一緒に学ぼう世界史のポイント 49 《大航海時代1》

 

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  大航海時代 1


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 大航海時代の条件 

 スペインやポルトガルを初めとする西欧の国々が、大西洋やインド洋に進出して行った時代を大航海時代と言っています。15世紀の末から16世紀の初めまでを大雑把に呼ぶ言い方です。ヨーロッパ人が世界に拡大して行く最初ですね。大航海時代が始まった理由を見て行きましょう。
 先ず、スペインやポルトガルがどう云う国だったかと云う事です。この二カ国は当時出来たてホヤホヤの国でした。両国があるイベリア半島は、8世紀初め以来イスラム勢力の支配下にあった。フランスとの国境地帯に住むキリスト教徒の領主たちが少しずつイスラム勢力から領土を奪い取って行きました。これをレコンキスタ・再征服運動と言いましたね。この戦いで生まれたのがポルトガルとスペインでした。

 イベリア半島最後のイスラム教国グラナダ王国がスペインによって滅亡したのが1492年、コロンブスがスペインの援助でアメリカに到達したのが同じ年ですから、イスラム教徒と戦争しながら大航海を援助していた訳です。
 詰まり、この時期のスペインやポルトガルには猛烈な領土拡大への意欲があった。もっともっとより広くより遠くへと云う訳です。イスラム教徒と戦う中で養われた、キリスト教を広げようと云う宗教的な熱意も背景にあったようです。
 更に、この両国は王室の権力強化の為に財源を求めていた。海に囲まれたイベリア半島ですから、海上貿易に目を付けた。当時一番儲かるのが香辛料貿易だった。香辛料は軽くて輸送し易い上高価で取引された。当時のヨーロッパでは同じ重さの銀と交換されたというから超高級品です。しかも人気商品で好く売れた。この頃ヨーロッパ人は香辛料無しでは済まない食生活になっていたのです。

 

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 一寸、食生活の話をして置きましょう。ヨーロッパは緯度が高く、寒冷な地域で元々農業生産に余り向いているところでは無かった。だから、小麦などの穀物栽培以外に豚や牛などの家畜も多く飼っている訳です。これらの家畜は大体、森や休耕地で放し飼い。マルマルと肥えた秋に屠殺します。
 肉は干し肉、薫製など保存の為に加工もしますが、多くは塩漬けにして樽の中に漬けて置く。これをチビチビと長い冬の間に食べ繋ぐ訳です。幾ら冬は寒いと言っても肉は傷(いた)んで来る。やがて腐り掛けた肉なども食べることになるがこれが臭い。しかし、我慢して食べていたわけだ。
 十字軍などを切っ掛けに東方の産物であるコショウをヨーロッパ人は知る。これを腐り掛けた肉に掛ければ臭みが見事に消える。一度コショウの味を知ると無しでは済まない様に為って来ます。

 地中海交易圏でイタリア商人がイスラム商人から輸入した重要な商品が香辛料だったのです。この香辛料は何処で生産されていたのか。コショウはインド西海岸のマラバール海岸や、ジャワ、スマトラ、マライ半島で作られていた。クローヴ(ちょうじ)ナツメグはインドネシアのモルッカ諸島周辺でしか栽培されていませんでした。
 何れにしてもヨーロッパからは遙かに遠いアジアです。これらの香辛料はインド商人・アラビア商人・そしてイタリア商人と多くの仲買人を経て運ばれますから、ヨーロッパでの末端価格は驚くほど高く為るのです。コショウを扱うヨーロッパの小売商人は風や息で吹き飛ば無い様に窓を閉め切りマスクをして慎重に量り売りをした。絵を見ると化学の実験で薬品を扱って居る様ですね。

 

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 ポルトガルやスペインが香辛料貿易を行おうとした時には地中海交易はイタリア商人に独占されていたので、別のルートでインドに直接到達する方法を探すことに為ったのです。直接インドまで行ければ仲介商人無しだから利益は莫大になる筈です。
 丁度この時期に羅針盤の改良が行われたり、地球球体説も唱えられるようになり遠洋航海への技術的な裏付けも整って来ました。マルコ=ポーロ「世界の記述(東方見聞録)」が大いに読まれてアジアへの関心も高まっていました。コロンブスの読んだマルコ=ポーロの本が残っているのですが、余白に沢山書き込みがある。ジパングまで何キロなんてね。こう云う関心の高まりとインドとの直接貿易の欲望が相まって大航海時代が幕開ける。

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 インドへ

       9-9-4.jpg エンリケ航海王子

 大航海時代の先駆けとなった人物はエンリケ航海王子(1394〜1460)です。この人はポルトガルの王子。ヨーロッパ中から腕利きの船乗りを集めてアフリカ沿岸の探検航海を指揮した人です。だから、航海王子と云うあだ名で呼ばれていますが、本人は船酔いが酷くて船には乗らなかったようです。

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      9-9-5.jpg プトレマイオス世界地図

 エンリケ航海王子の時代は、実はまだ船で直接インドに行けるとは考えられていなかった。エンリケ時代に信じられていたプトレマイオス世界地図を載せて置きましたが、世界はこんな形だと考えられていたんですね。ヨーロッパの海岸線はマア正確です。アフリカ北岸もアラビア半島もそれなりの形をしているね。処がペルシア湾より東は明らかに想像で書いてある。
 一番東のキタイと云うのは中国のことです。遼帝国の契丹がなまって当時のヨーロッパ人にはこう呼ばれていました。注目はアフリカ南端。これが東に湾曲していてキタイの南に接続しています。インド洋は完全に閉じた海として描かれていることを確認してください。もし、実際このような地形なら幾ら航路を開拓してもインドには絶対に行けない。これが、エンリケ航海王子時代の常識です。

 

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 ならばエンリケはなんの為に探検航海を指揮したのか。意識としてはレコンキスタの延長で、アフリカにあるイスラム教徒の拠点を攻撃しようとしたのが最初の動機らしい。更に、単純にアフリカ西海岸を探求したかったと云う事もあったのでしょう。しかし、これが後のインド航路開拓への基礎造りになる。
 エンリケ時代の探検航海は今の常識からすると実にユックリとしか進みません。例えば北緯26度にボジャドール岬というところがあるのですが、ここを超えるのに12年もかかっている。時間がかかった理由の一つは船乗りたちがビビっていることです。
 ボジャドール岬まで来ると赤道も近い。ドンドン熱くなる。それ以上南下すると、海はグツグツと煮え立っていて船も人も一瞬にして燃え尽きてしまうと信じられていた。その証拠にここまで来ると沿岸の人々は皆真っ黒な皮膚をしているではないかと云うんですね。こう云う船乗りたちを脅したり励ましたりしながら航海する時代でした。

 もう一つは当時の航法にある。当時は未だ近海航法という航海方法をとっていました。これは簡単に言えば常に陸地が見えるところを航海するのです。陸地が見えなくなると不安でしょ。嵐に揉まれて沿岸から流され、悪天候が続いて星も見えない日が続くとちゃんと港に帰れるかパニックになってしまいます。だから、陸地沿いを行く。
 処がこの航法は案外危険。陸地が見えると云う事は水深が浅い。沿岸には島も暗礁も沢山ある。詰まり、座礁して沈没してしまう可能性が結構高いのです。座礁の危険があるのなら遠洋に出てグルッと遠回りに迂回すれば言いんですが、それがなかなか出来なかった時代だったのです。
 やがて、遠海航法が確立されて、船乗りたちはコンパスを見ながら大胆に沖合を航海するようになります。これは、先ず何百キロも西へ直進する。十分な沖合いに出たら今度は進路を真南に変えて直進、予定の距離を進んだら今度は西へ向かって直進する。この間コンパスで常に方位を確認して行く。遠回りのようですが、沿岸を水深を探りながら進むよりも余程早く目標まで到達できたようです。

 

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 エンリケ航海王子が死んだ後もポルトガルはアフリカ沿岸探検を続けます。また、アラビア半島など陸上ルートの探索からインド洋は閉じた海で無く大西洋と繋がってイるらしいことが判る。こうなると、インド航路が実現可能になります。先ずは、アフリカの南端を確認しなければインド洋に入れない。南端探しが航海者の目標になる。
 1488年、アフリカ南端に最初に到達したのがバルトロメウ=ディアスです。ディアスはアフリカ沿岸を南下していて嵐に巻き込まれるのです。13日間漂流して嵐が収まってみると、船は東に向かって走っていることに気がつく。アフリカ大陸があれば東に進めばぶつかる筈ですから、ディアスは、ヒョットしたらと考えた。北上してみると北に続くアフリカ東海岸があった。嵐に揉まれているうちに南端を廻って居たのです。

 ディアスはこのままインドまで行ってしまいたかったのですが、船員たちが抵抗した。訳の分からないところへ行きたく無い、命のあるうちに帰りたいと云う訳だ。仕方なく多数決をしたらディアス以外全員帰還を希望したので引き返すことになった。
 帰りの航海で初めてアフリカ南端を確認した。行きは嵐で何がなんだか判らないうちに通過していましたからね。このアフリカ南端の岬に付けられた名前が「嵐の岬」岬を見ながらディアスは泣き叫んでいたらしい。航海を続けられ無かった悔し泣きです。
 ポルトガルに帰還したディアスは熱狂的な歓迎を受けます。何しろアフリカ南端を確認し、インドへの航路の存在を実証したんですから。宮廷では航海の経過報告が行われ、その席には後にアメリカへ到達することになるコロンブスもいたそうです。「嵐の岬」は後にポルトガル王によって「希望の岬」と改名されました。喜望峰ですね。

 

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     9-9-6.png ヴァスコ=ダ=ガマ

 ポルトガルが実際にインドに到達するのは、この10年後です。1498年、インド航路を開拓したのがヴァスコ=ダ=ガマです。ガマの船が到達したのがインドの西海岸の港町カリカット。この町の名前は覚えておくこと。
 実はガマは、喜望峰を廻ったのちアフリカの東海岸で港に立ち寄りながらインドに向かった。アフリカの東海岸というのはインド洋を囲む商業圏の一部で、イスラム商人やインド商人がいて貿易をしている。ガマはそんなイスラム商人をアフリカ東海岸で雇い入れて、後は彼を水先案内人としてインドに向かったのです。
 カリカットに到達すると、思った通り街には香辛料が溢れている。これを仕入れてヨーロッパに持って帰れば大儲け間違いなしです。

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 ガマは早速、カリカットの太守に挨拶に行きました。宮殿に行くと太守は金や宝石をちりばめた天蓋つきのソファに寝そべって、ビンロウジの実を摘まんでは種を金の杯にペッペッと吐いている。ガマが見たこともないような贅沢な暮らしをしているのです。ポルトガルとインドの圧倒的な富の差を見せつけられることになった。
 太守が「何の用か?」と聞くと、ガマは「自分はポルトガルの大王から使わされた使節である。ポルトガルは偉大で豊かな国である、キリスト教の王を探しに来たのであって金銀が目的ではありません。でも序に、貿易も許されたい。親善のしるしにポルトガル王より閣下にお土産もございます」と、マア、一通りの挨拶をした。太守は「そのお土産とかを持って参れ」と、楽しみに身を乗り出すのですが、運ばれて来たのがポルトガルの民芸品や毛皮・毛織物・雑貨品程度のもの。太守は、この程度のものはそこいらの田舎商人でも持って来るわ、と非常に不機嫌に為ったという。ヨーロッパの経済なんてマダマダ大した事はないのですね。

 それでも貿易は許されて、ガマの一行はポルトガルから運んで来たヨーロッパの商品を何とか売り捌いて香辛料を買い付けた。但し、ガマたちの商品はインドでは大した値打ちは無いので散々に買い叩かれて僅かな香辛料しか買えなかったようです。 
 ともかく取引終了して、ガマはまたカリカット太守にいとまごいに行くのですが、この時に商業税と港の使用料を請求された。処が、ガマは資金を全部香辛料の買い付けに使ってしまって、税金と使用料を払う余裕が無いの。そこでどうしたかというと、税金未納のままに出港を強行してしてしまった。踏み倒して逃げた訳だ。ポルトガル国王の使節としては実に恥ずかしくみっともない去り際だね。
 処が、ポルトガルに帰還するとカリカットで仕入れた香辛料は60倍の値段で売れて大儲け。直接取引きは、矢張り儲かるんですね。これ以後、ポルトガル政府は次々と貿易船をインドに送り莫大な利益を得ることになります。

 

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 ガマの航海について、付け加えておきます。ガマはインドまで簡単に往復したみたいに話ましたが、やはり遠洋航海は命懸けなのです。ガマたちの一行はリスボンを出港する時は170名の船員がいたのですが、帰って来たのは足ったの44名。後の船員は死んでしまっているのです。原因は壊血病。
 ビタミンC不足で起きる病気です。長い航海で船員たちは新鮮な野菜や果物を食べられ無いから、必ずといっていい程壊血病に罹った。関節が膨張し歯茎から血が流れ出して止まらなくなる。やがて死んでしまうんです。ガマの航海では、ガマの弟も参加しているんですがこの人も死んでいる。大航海時代の船員たちにはつきものの病気でした。
 だから、この時代の船乗りというのは本当の意味で命知らずの為らず者だったんですね。そういう為らず者の船乗りたちを統率する船長というのは、為らず者の大親分です。ディアスにしても、ガマにしても飛んでも無く怖い人たちだったと思う。
 こんなに死亡率の高い航海に参加する理由は何かというと、無事に帰った時の報酬の大きさです。一攫千金を夢見る連中が海に出て行った。それでも絶対確実に死ぬような航海には誰も参加したがらないわけで、コロンブスの航海では船乗りがナカナカ集まらなかった。遂には航海終了後の釈放を餌に囚人を乗せたというから大変だったんです。

 

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 1502年、ガマは二度目のインド航海に出発した。この時は、前回みたいな惨めな扱いをされたく無かった。しかし、真面な商売をしていては大量の香辛料を買い付けることは出来ない。そこで、ガマはどうしたかというと軍事力を背景に商売を強制したんだ。
 今度は15隻の大船団を組んでインドに到着すると、沿岸で見つけた船を焼いて乗客を虐殺し、カリカットの街に大砲を撃ち込む。住民を船に吊るす、その手足を切り取って太守に送り着ける。そう云う恫喝をして香辛料を手に入れた。ヨーロッパとアジアのゆがんだ関係がこの時から始まったのです。


 大航海時代 1 おわり  次のページへ 《大航海時代 2》

 

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