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2018年07月05日

従軍奇談 その6


 従軍奇談 その6
 

 日本の軍服を着た中国兵 (日本人と中国人とは外見での区別は全く不可能)

 

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 多くの日本人のなかには中国(韓国)人の写真や映像を見て「この手の顔つきは確かに中国(韓国)人だ」と言う人達が居る。これはその人が勝手にイメージを作り上げて居るのであって、私は中国(韓国)人と日本人を風貌から判別することは出来ないと常々思っていた。

 子供の頃、親戚の夫妻が当時日本の植民地だった朝鮮に旅行し、半ば冗談で記念として朝鮮の民族衣装を着て撮った写真が1枚自宅のアルバムに貼ってあった。夫妻を知らない他人に「誰かこの人を知っているか?」と尋ねると、勿論「知らない」と言う。「誰誰だ」と説明すると「その夫妻は揃って半島人(朝鮮人のことを指す)に似た顔つきだなー」と言う。写真を見る迄にそんなことを言う人は一人も居なかった。子供心に「馬子にも衣装」の一種だと思った。

 日本の敗戦により雲南省などから広東省の広州にやって来た時の中国軍兵士の服装は継ぎ剥ぎだらけ、中には軍靴の無い者も居たらしい。補給も侭ならぬ長途の徒歩行軍であり無理もない。日本軍の倉庫に未だ数年は戦える武器弾薬・被服など充分の備蓄があり、私達司令部での通訳勤務要員が立ち会った引き渡し交渉で余分な新品の大量の被服は中国軍に渡された。中国軍の兵士は早速この新品の日本兵の軍装に着替えた。此処からが問題である。

 

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 戦闘を停止した日本軍のキャンプと移動して来た中国軍のキャンプとは、場所によっては簡単な柵を隔てて区切られている処も多かった。双方の出入り口には弾を込めた銃を持つ衛兵が立っている。日本軍の出入り口にも治安維持と自衛用の弾丸を装填した99式歩兵銃を持つ複哨が立っている。
 一夜にして日本軍のキャンプが幾つも増えた感じである。日本の軍服に着替えた中国軍の兵士は日本軍兵士とそっくりである。ただ異なる点は軍帽に付けた徽章だけ。これは小さいから遠目には分からない。言葉が通じないから柵を隔てて身振り手振りで話し合う光景は余り無かったが、用件があって柵を出てすれ違う場面はある。夜間は尚更区別が付かない。兵士同士が争うような事態は全くといってよい程なかったが、どちらだか区別できないのは双方とも困惑する。

 話し合いの末、色違いの腕章を着けて識別することになった。私が中国軍の兵士に尋ねたところでは、「話せば直ぐ分かるが、ただ見ただけではさっぱり区別できない」と言う。
 北方の中国人は背が高く、南方の人は背が低く短気で、日本人により似ているとよく言われる。私もそんな気がしないでも無い。しかし、北方人にもせが低い人もあり、南方人にも背が高く短気で無い人もある。最近のDNA鑑定ではいざ知らず、個人を識別することは先ず絶対に不可能であることをまざまざと知らされた。

 

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 復員船中での異常な事態 (コレラで死亡者続出、兵により裁かれる部隊長)

 我々が母国の日本へ帰還のため戦地の広州を離れたのは1946年の4月、乗船のため黄埔(蒋介石軍の黄埔軍官学校のあった地)の港まで徒歩で移動し、3000名を収容したリバティ型の復員船に乗り、母国日本に帰還が叶ったのは5月初旬。しかし、懐かい日本の山河を目前にして居るにも拘わらず、コレラ検疫のため久里浜港の沖に約1ヵ月も留め置かれた。ようやく連合軍の上陸許可が出て復員式を済ませ、郷里の熊本に辿りついいたのは翌月の6月であった。

 広州を離れて黄埔までの移動、黄埔での乗船、航海中の復員船の中での異常な雰囲気、久里浜での復員完結、召集解除。故郷へ辿り着くまでの車中の出来事、などなど、僅か2ヵ月足らずの間に実に思いもよらぬいろいろな事が起こった。
 通訳官として約7ヵ月勤務した中国軍司令部に留め置かれることも無く、原隊に戻ることが出来、原隊も全員が待ちに待った復員船で母国日本へ帰ることが確実になった時はまるで「これは夢ではなく真実のことだ」と皆心に言い聞かせた。客観的に言えば「戦争俘虜本国送還」である。背中に大きくPOWと書かれた衣服を羽織っていたものも軍服に着替えていた。多くの兵はPOWの意味も知らずに,中には「恰好いい」と思って着ていたものもあったが、 Prisoner Of War (捕虜)の略号である。

 日本軍キャンプは捕虜収容所であるが、だれもその様な言葉を口にはしなかった。敗戦を終戦というのと同じだ。このPOWと書かれた衣服を着ている者も居たし、着ていないものもいた。中国軍は全員に着せようとしたが数が足りなかったのか、「着たいものは着ろ」と言ったのか、その辺は隊を離れて司令部に居た私には分からない。
 広州から黄埔までの移動する時は、勿論日本軍は銃などは持たず、銃を持つ中国軍の少数の護衛兵が同行していた。恐らく中国軍はいわゆる「北伐」すなわち、当時日本軍が八路軍と呼んでいた北方の共産党軍と戦うため続々と北上を始めており、中国は内戦に突入しつつあったから、日本軍は早く処理したかったのではないか?大部隊の日本軍捕虜などに構っては居られない。それどころではなかったのではないかとも思われる。

 

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 徒歩で隊伍を組んで移動する日本軍を見に沿道には中国の民衆が居た。多くのものはただ黙って眺めていたが、中には「チャンコロ」と罵声を移動部隊に浴びせるものも居た。日本人が中国人を罵る時に「チャンコロ」と言うので、「チャンコロ」は「馬鹿野郎や間抜け野郎」と言った只の罵声と思っていたのだろう。これを聞いた日本兵は半ば呆れて「おい、チャンコロが俺達にチャンコロと言っている。何だこりゃー」と一斉に笑い出す。
 私達を罵った中国人は「罵られて笑う」とはどう言う訳だろうと理解できないで呆気に取られている。本来、チャンコロは「清国人」の中国音が日本で訛ったものだと言う説が多く、元来蔑称ではないとも言われるが、実際には中国人を指す蔑称として使われて来た。

 女は強いとツクズク感じた。広州から黄埔まではそれ程の距離ではない。徒歩移動部隊はその間に中国軍による所持品検査に3回引っ掛かった。移動部隊の中には従軍看護婦も居た。
 1回検査がある毎に毛布や石鹸・衣類など日用品の余分なものは没収されてドンドン減って行く。背嚢は小さいので大型のリュックを背負っていた。男はそれだけだが、従軍看護婦は背負子のような台枠の付いたものを背中に負い男の3倍の量の物資を抱え込んでいた。
 それだけでは無い、持ちきれない者は傍に居る兵に代わりに持って呉れと頼む。鼻の下の長い兵の内には引き受ける奴も居る。中国軍の検査係も看護婦が微笑むと何も没収しないで談笑している。男は何か渡して中国兵からタバコなどを受け取っている。女は生活能力があると今更ながら思い知った。黄埔に着いたときには所持品の量の差は歴然としていた。

 

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 検査係の中国兵は一つでも多く没収しようとしたが、此方が「これは生活必需品だ」と抗議すると、中国軍の上官は「給他們用」(彼等に使用させよ、すなわち没収するな)と係の兵に命じる場面がよくあった。戦争国際法での捕虜対応の規定がどうなっているかは知らないが、この言葉は胸に残り感謝している。
 黄埔には3日〜4日ばかり居て復員船への乗船を待ったが、部隊内にコレラ患者が発生した。コレラの発生は南方では珍しいことではなく当時フィリピンなどには年中あったが、香港や広東省でも営外の一般社会では頻繁に見られた。日本軍では加熱しない食事などは絶対無かったし、外出しても「生まもの」の水・氷・アイスクリームなどを口にすることは厳禁されて居たので、軍に罹患者が出るなどの話は聞いたことも無かった。

 しかし、黄埔での生活環境では衛生管理が不完全と言うより、空腹に耐え兼ねて「生もの」の食材を盗み食いすることが、コレラ患者発生の原因だった。1〜2名のコレラ罹患者が確認されるや否や、軍医から緊急の厳しい指示があって、各隊の責任将校から全員に厳重な通告がなされた。
 食糧貯蔵所の側を通りかかった私は全く偶然にも、先程注意を呼びかけた当の大尉その本人が生の馬鈴薯を噛っているところを見掛けた。周りには誰も居なかった。将校・下士官・兵総て食事は同じものを同じ場所で食べる。彼もよほど腹を空かしていたのだろう。
 昼過ぎに症状が出て翌朝死亡した。私は彼の名誉のため目撃したことは黙っていたが、内心ではその天罰?覿面さには驚いた。各人の健康状態は左程悪いとは見受けられなかったが、栄養状態は食料不足のため多少悪かったのは事実である。それにしても彼の命は母国帰還を目前にして実に呆気ない結末を迎えた。

 コレラ蔓延で事態が急激に悪化したのは復員船が久里浜沖に到着してからである。それ迄の罹患死亡者は三千人中に僅か十名足らずであった。航海中の船中では鉄扉の食糧庫は施錠されていたから問題は無かった。海水で顔を洗ったり歯を磨いても良かった。
 危機は久里浜沖に着いてからである。コレラ患者の人数が爆発的に増えた。軍医からの「絶対に海水で歯を磨くな」という警告を無視する者が増えたのである。飲料用の真水は最小限に抑えられていたし、陸からの給水も無かったので、歯磨きに使うだけの余裕は無い。海水は自由に使えたが手足や身体を拭くだけにしか使えず、「歯は絶対に磨くな」の警告が出されていた。顔を洗えず歯も磨けないことは野戦では常にある。皆経験済みである。

 

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 母国の山河を目の前に見て気が緩んだのだろうか?航海中に海水で歯を磨いて何でもなかったのに何故久里浜での洗顔・うがい・歯磨きが禁止されるのか?多分大したことは無い、大丈夫だと思ったのだろう。
 コレラ菌は海水には強く、菌は増えないまでも死なない。南方から引き上げて来る船の殆どはコレラ患者が居り、当時の久里浜の海はコレラ菌で充満していたのである。私達の船も患者数は僅か数日の間に一挙に百名を超え、ますます増え続けた。患者は発症後の僅か半日で死亡するという緊急事態となった。
 コレラはよほど悪性の菌でも普通は罹患者は2日ぐらいは生きている。半日で死亡するのは栄養状態が悪く、身体の抵抗力が無かったからだと言われている。蚕棚のようになった処に荷物と共に一人一畳足らずの生活空間である。大佐だった部隊長も同じ環境である。患者と枕を並べて寝るのは実に不気味であった。

 患者数が多く、隔離室を設けることはギュウギュウ詰の復員船では不可能であった。2〜3回トイレに行き、後は脱水症状で横になったきり歩く力もなくなる。軍医や衛生兵が面倒を見るには人数が多すぎる。12時間以内にはその患者はほぼ確実に死亡する。内地から来た船員が患者の死体と荷物を運びにやって来る物音に夜半目が覚めることも多かった。患者が私の位置から一人置いた隣りだったりすると、その不気味さは尚更である。
 平時であれば陸上の隔離伝染病棟に収容されるのだろうが、沖には十数隻の引き揚げ船や復員船が犇めき、何れも二千名から三千名の乗船者が乗っている。占領軍の指示か日本政府の規則か知らないが、ワクチン注射と毎日の検便がある。全員の検便結果が陰性にならないと上陸は許可されない。後で聞いた話だがワクチンは栄養失調者には無意味で抗体が出来ないらしい。

 

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 船から日本の民家や人々が歩く姿を毎日見ていながら、三千人近い全員が陰性になる日をただ待つだけの日々を船の中で約1ヵ月過ごした。一体何名がコレラで死亡したか分からないが、死体を陸に運ぶボートが毎日数回は船と陸との間を往復していたから、かなり多くの人数だったことは想像に難くない。母国を目の前に死んだ人達はさぞ無念だったろうと思うと胸が痛くなる。
 下士官と兵ばかりで将校が一人も乗船していない船が1隻ポツンと離れて沖に停泊していた。もう久里浜沖に4ヵ月も留め置かれ上陸許可が出ないと言う。南方からの復員船である。将校全員は航海中に海に投げ込まれたと言う。コレラ騒ぎではない。占領軍は事態の異常さを重視し、取り調べが続いていると言う。この噂は毎日陸と連絡している舟艇の乗組員から聞かされた。

 私達には「何があったのか?」の見当は直ぐ付いた。その船の場合ほど過激ではなかったが、似たようなことが航海中の私達の船でも起こっていたからである。
 黄埔を出航して数日目、大佐だった部隊長の行李(部隊長だけはどう言う理由か知らないが行李を所持していた)の中味が私物であり、しかも、金製品や象牙の麻雀牌であることが分かった。これが切っ掛けとなって騒動が持ち上がった。

 召集解除で軍役を離れるまで一応の軍律は守られて来たとも言えるが、これは集団行動を維持するための最小限の規律であって、上官侮辱罪などの考えは何処かに吹っ飛んでしまっていた。第一、全員が階級章を付けていないのである。
 良く「勝手なことをして部下を苛めた上官は白兵戦で背後に居る部下から撃たれた」と言う話があるが、将校・下士官を問わず威張って兵に勝手な私用の仕事を強制させたり、理由なく部下を苛めて憂さ晴らしをするような人間はこの世の何処にでも居るものである。「何時か腹一杯殴ってやろう」と内心では肚に据えかねている兵は沢山いた。

 

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 下克上と言うか、人民裁判というか、部隊長の木製の箱である「行李を水葬礼にしろ」、「俺達に毎日褌を洗わせた某中尉は俺達に謝れ」などと言い出す兵が続出し始めた。結局、東大法科出身の兵が裁判長となって船内(人民)法廷が開かれることとなり、大佐や中佐などが7〜8名が雛壇(被告席)に座らされる羽目となった。「帽子を取れ」、「頭の下げ方が足らん」などの兵の怒号の中で、土下座して謝罪の言葉を言わされた。告発文や判決文はなかなか堂に入ったものであった。
 例の行李は甲板上の大勢の環視の中、数名の兵によって儀式めいた仕草により海中に放り込まれた。勿論、部隊長はそれを見守る位置に立たされていた。将校全員が海に投げ込まれたと言う上記の場合より遥かに温和な経緯ではあったが、集団の感情が激昂すると何が起こるか分からない恐ろしさを感じた。

 つづく

 

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