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2019年04月22日

咲き方の違いを見せる「ハナミズキとヤマボウシ」

2018/04/23に書いたブログです。


家の庭のはハナミズキ?ヤマボウシ?


https://ameblo.jp/kickbell/entry-12370353055.html


最近過去のブログを引用することが多いな、と思っています。

やはり、一年を通して見てみると、季節の変化と共に、それを味わいながら

暮らしているんだなと気づきます。


我が家のヤマボウシが急に新芽を出して葉っぱが付き始めたので思い出したのです。

「そう言えば、ヤマボウシとハナミズキの違いをはっきりさせたのは去年のブログだったな。」と。


それで、「ヤマボウシ」の記事を探してみた。


あった、あった、殆ど日付もピッタリの2018/04/23だった。

でも、今年はまだ葉っぱがワンサカと繁っていないので、今年の方が寒いのかもしれない。

ジェットコースターのような寒暖差ですものね。


DSC_0829[1].JPG


2019/04/20撮影のハナミズキ。


ご近所のハナミズキの咲くお宅の写真を撮らせて頂きました。

こうしてみると去年の方が満開だったように思う。

去年の調査?でハナミズキとヤマボウシの違いが判ったので両方を見ていて

、その違いの両方が咲き始めたので、今年はその確認の観察となって面白い。


去年の調査の結果は、


「ハナミズキは桜と同じ咲き方をする、花が咲いてから葉が出る、ヤマボウシは逆。」


でした。

暫く両方を観察するのが楽しみになってきました。
















2019年04月21日

池袋プリウス暴走事故

飯塚幸三容疑者が逮捕されない?

https://gomachannel.net/iidukakouzou-arrest-reason/


この事故はリアルタイムに近い時間にジムで話題になった。

後日も映像が映し出される度に、亡くなった親子さんに対する悔やみが、そこにいた

人達から吐き出された。

誰だって遺族の方の気持ちを思う。

だから、

「現行犯逮捕なんでしょうね?」

「そりゃ、そうだよ!」

という会話は当然だと思っていた。


そうしたらこういうニュースだった。


改めてネットのニュースを見て驚いた。

容疑者なのに、メディアは「さん」付けで、その上逮捕されていないという。

また、ジムで話題になるだろう。

「上級国民」て?


こんな意見もある。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190421-00010003-abema-soci&p=1


以下引用です。

20190421-00010003-abema-003-3-view[1].jpg


 元長野県知事で作家の田中康夫氏(63)は「暴言を吐きます」と神妙な面持ちでこの問題

について切り出すと「今は匿名になったが、事故当初は犠牲になられた方の名前が出ていた。

一方、事故を起こしたご自身は入院中なので、おそらくまだ逮捕されていないだろうが、事故直後に

息子さんに電話をして報告しており、SNSのアカウントがすでに削除されている。

今の世の中、元霞が関官僚(通商産業省の工業技術院長)だったということで忖度もあるかもしれないが、

ぜひそうではない形をとっていただきたい。そういうことが積み重なると、報道って何だろう?

 正義って何だろう? となってしまう」と強く訴えた。


上記引用






どう過ごす10連休?

2019/04/05 「元号決まって、10連休がやって来る〜!」


https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12451692542

と、上記ブログに書いた。


はしゃいでいた訳ではないが、使い道を考えていない予定外のお金でも入るような、

何か得したような気がしたのかもしれない。

かと言って、以前のブログにも書いたように、観光客で混みあうような場所には

行きたいとも思っていないので、私の気持ちは何なのかと不思議だ。


多分、国民にとって初めてのことなので、どんな様子になるのか、皆がどういう行動

を取るのか興味があるのかもしれない。

期待と不安ですか。


それで、TV番組内でも議論していたのですが、

「10連休嬉しい?」

がテーマに対して街の人の反応が、

「嬉しくない」

が多数だったことにニンマリしてしまった。

「うん、矢張りね・・・、そうだよね」と。




お出かけすれば出費は嵩むし、人出の多い混雑が予想されるし、出掛けなければ

いつもは家にいない人が一日中いることになる。

毎年の盆暮れが加算されたような、疲れるばかりの日々が予想されてしまうのだろう。


「長すぎる・・・。」

との意見もあったが休むことに慣れていない私達日本人は降って湧いたような休暇

を前にして戸惑ってしまっているようだ。



私も月末のお出かけを友人と約束してましたが、交通機関の予測情報みたら、

申し訳ないけれど、キャンセルしようかと思ってしまいました。

普段より混雑が予想されるなら、そこに飛び込む必要はないので、連休外して

行動することにします。

決定です。




因みに来年、2020年のゴールデンウィーク事情を調べてみました。


46931ae9fcdfe52675dcc7e5987a9564[1].png

   
29c6afae6cae72bec55c7bb7508c4144[1].png



暦通りに休んで最大5連休。

4/30と5/01を有給取ると最大8連休。



鬼が笑ってると思いますが、さて来年2020年オリンピックイヤーの今頃はどんな

事になっているのでしょうか?良い年になっていて欲しいですね。


こんな事を書いていて、

「去年、こんな事を書きました。」

なんて、この時期書いてるかもしれません。

「ん?鬼がお腹抱えて笑ってる?勝手にどうぞ!」








2019年04月20日

誕生月。

私事で申し訳ないのですが、日記だということで書かせて頂きます。

4月は私の誕生月です。

もう過ぎましたが、我が家では本当に静かないつもと変わらない一日です。


食事に行くとか、家でバースデイケーキでお祝いするとか、豪勢な料理を並べるとか、

そんなことは一切なくてというか、しなくて、淡々と流れる普通の日で終わります。

夫婦でお祝いし合うとかという雰囲気も一切ないのです。


友人宅などのお話を聞くと、家族で食事に出掛けただの、子供に誕生日プレゼントを

貰っただのと聞きます。

そういうお宅に限って、貰った物に対して、バッグなどは好みなどもあり、一応は使う

けれど、他の使い易さで選んだものを持っていたりすると、(ブランド物でない物だったりすると)

「そんな物使って・・・。」

などと言われたりするそうで、それなりにウンザリしているようなので、頂くということは

それなりのストレスになるんだなと、世の中いろいろだと苦笑いするのです。


その点我が家はな〜んにもなくて、

「あ、また一つ歳を取ったな〜。」

で終わるのです。


結婚して数年は毎年夫から花束を貰って、

「へ〜、こんなことができる人なんだ。」

と、思いつつも嬉しかったことを覚えています。


でも、夫婦でいる年数が重なると、お互いの趣味趣向が分かってきて、「花より団子」

という現実があって、お互いの好みも分かって、「無駄になる」ことは止めようと

誕生日は確認し合うだけになってきたのだと思います。


実の所、好みでないもの、家には不似合い、あるいは入れたくないものを貰っても嬉しく

ないのが現実です。

身に付けるものなど論外です。


だから、物のプレゼントはしない。


そうなると、一番適当なお祝いはやはりお花ということになる。


そんな私を理解してくれているのか、遠方の家族がお花を贈ってくれる。

そして、友人はメールでメッセージを伝えてくれる。

そんなことだけだけれど、真心こもったお祝いだと感謝している。

DSC_0182.JPG


さりげなく、シンプルな気持ちが嬉しい。

「記念日」として、今まで贈ってもらったお花の写真がPCとスモホに保存されている。







2019年04月19日

男性の視点、女性の視点。

毎朝、猫の散歩や庭掃除で家の外にいることが多い。

すると、ゴミ出しに行くご近所さんと会うことも多くて挨拶のついでに立ち話になったりする。


ゴミ出しに関して言えば、何故か男性の方が多い。

我が家は一年を通して、夫が出すことは無いので羨ましい限りだ。

なのに、奥様のいるご家庭でも、ご近所では、ほぼご主人が出すようだ。


習慣といえば習慣なのだが、何故そうなったか聞いてみたい。

我が家の場合はただ単にその時間に起きていないからという単純な答えになるが。

私の行動パターンから言えば、自分がやってしまった方が早く、奇麗に収まるから

というだけのことなのだが。


それで、立ち話をされていくのも男性が多くて、必ず車の話になる。


我が家の車を車検に出していて代車が収まっていると、車に目をやって、

「車変えた?」

とか、他の方は

「違う車が入っていたから変えたのかと思ったら、元の車に戻ってるね」

とか、先ず車に関心が行くらしい。

そこからタイヤがどうのホイルがどうのと、細かい部分まで話は進む。

私自身、そんなに細かい話はわからないので経緯は適当に合わせる。


一方、女性はというと、植木や花の咲き具合などに関心があって、車に関心

を寄せる方はほぼいない。

相手の方の庭先の宿根草で咲き始めた花などの話になって、

「よかったら、根っこから抜いて持っていったらいいじゃない?どうぞ持って行って」

と勧めてくれる。


私も、綺麗だなと思っていたので素直に頂いて、早速庭先に植えてみたりする。

2〜3日して土に根付いたかなと観察してみると、枯れていない。

元気に花も付いている。

宿根草だから来年はもっと株が増えて咲いてくれるだろうと想像すると嬉しくなる。


main_00000000850[1].jpg

「ムラサキサギゴケ」写真引用


どうと言うことのない会話だけれど、車と花に分かれる男女の視点の違いに、

全てでは無いにしろ、脳に違いがあるのかな〜、なんて興味深く思っている。


















2019年04月18日

アイビー剪定、三か月未満振り。

ジェットコースターのようなお天気が続き明日の気温はわからない、という日が続いていた。

2019/04/15 晴れだ。

しかし、午後からグングン気温は上昇して、20℃を越えた。

そんな中、覚悟を決めて新芽で葉っぱがドンドン成長して、葉っぱも下に垂れ下がり、

それぞれが行き場を探すような息苦しさを感じているような日除け用のアイビーが気になっていた。


手をつけたら2〜3時間は覚悟をしなければならないので、駐車場を空にする準備から始めた。

脚立の乗り降り、その上で姿勢をキープするということで、結構な筋肉痛も覚悟しなければならない。


でも、私がやるしかない!私がやらないで誰がやる!

と、決心して始める。

やはり落ちた葉っぱの掃除まで入れて3時間程、アイビーと格闘した。

やった〜!


これから夏に向かってまたどんどん葉っぱは繁っていく。

でも、枯れた葉っぱが絡み合ったり、虫が発生しないためには適度に剪定が必要だ。


身体がきつくても、全体がすっきりすると、やっぱり気持ちもすっきりする。

いつにしようか悩むならさっさと済ましておくというのが私のやり方なのだ。

悩むより実行、それで気分さっぱり!

before:
DSC_0189.JPG

after:
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before:
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after:
DSC_0192.JPG


やっぱりご近所さんに言われてしまった。

「また、ご大変なことしてるんだね!頑張るね!」と。


そして通りすがりの子供達もビックリする。

「葉っぱがいっぱい〜〜〜〜!」と。


ゴミ袋2杯分に、ありがとう、お疲れ様と、声かけました。









 


   






2019年04月17日

たかが手袋。

たかが手袋、あるいは軍手だと思っていた。


ジムでも、器具を順々に回っていくので取り敢えず手袋を使っている。

不特定多数の人が使うので、一応使った方がいいのだろうという習慣ではめている。

最初は、インストラクターの方のお勧めだった。


しかし、はめなかったらどうなのだろう。

やっぱり、はめた方がグリップの部分をしっかりと握れるのだ。


IMG_20190411_151321.jpg


それと、軍手。


毎朝の猫の散歩の時も、日除けとかいろんな意味で軍手着用で出掛ける。

もう、約16年続けている習慣だ。


年齢を重ねて気になるのが日焼け。

その結果が、気づかないうちに出て、特に手の甲の日焼けなのだ。


この16年もの間、もし手袋なり軍手なりしていなかったら、相当な日焼けをしていたと思う。

恐ろしい。

しかし、最初から軍手をしていたおかげで、今の所手の甲のシミや日焼けはない。


たまに、人様の手の甲のシミなどが気になることがある。

色白でファッションセンスがよくて素敵な先輩にあたる方がいた。

その人が手を出した時に、手の甲がひどくシミになっていてショックを受けたことがあって、

その後は手にも気を配ることを留意している。


軍手、手袋は、勿論いろんな作業にもその意味があった。

庭の手入れ、鉢植えの植え替えなどの時も傷などの予防にもなる。

勿論土が爪の間に入らないような備えでもある。


ある時、猫に軍手が気に入られてすりすりしていたので、軍手なしで車の窓ガラスを拭いたり、

あちこち拭いていたら、どうも何かが違う。

そう、軍手なしでお雑巾を持つと握りが不安定なのだ。

軍手をはめることで、布と布が滑らない作用を起こしていたようなのだ。


作業用手袋というけれど、成程な、と納得した。


たかが手袋、されど手袋。

だから時々新しいものを投入している。
















2019年04月16日

社会学者で東大名誉教授の上野千鶴子さんの祝辞。

4月12日に行われた東京大学学部入学式で、フェミニスト・社会学者で同大名誉教授の上野千鶴子さん(70)が祝辞を述べ、そのことで

「会場が大荒れになった」などと一部で伝えられたのですが、その後、東大の公式サイトで祝辞の全文が公開されています。


ueno_image[1].jpg


上野千鶴子さん


祝辞の最後の部分引用です。


東京大学で学ぶ価値

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。


こちら↓全文公開の東大の公式サイトです。

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html


祝辞として賛否両論あると思います。

「東大学生としてこれからスタートするっていう"入学式"に伝えることこそに意味があったんだと思うよ」

と、書き込んでいた人もいました。

あるいは、

卒業式にならいいけど、という反対派の人もいます。


私は”入学式”に伝えることこそ意味があるに賛成です。

リアルな現実を見ることこそ大事で、若い頃は考えの及ばないことが多くて、気づけないのです。

やはり人生の経験が学ばせてくれるので、そこをきちんと教えてくれる言葉は貴重です。


ただ、本当に若い時は未熟です。

私も、20代前半なんて何にも知らなかった、理解していなかった、と今思うと恥ずかしいやら、

勿体ないやらで、こんな祝辞を聴いていたら(東大では、勿論ないですが)人生違ったかな

なんて思うくらいです。


こんな現実教えてもらえるなんて幸運だと思います。















2019年04月15日

ネイルサロン?

ネイルサロンという程の場所ではない。

というとオーナー様に失礼になってしまうけれど、大型スーパの片隅に2坪程の広さのお店を

構えた「ネイルコーナー」と言えばいいだろうか。


ざっくばらんな構えで、お客様でふさがっているのか、空いているのかすぐにわかるお店がある。


冬場は指の先が乾燥してどうしても油分が足りなくなるような状態なので、「ネイル」してもらうと爪の周囲

の手入れも教えてもらえるのではないか、とネイルそのものよりも、「手当」を目論んで入ってみた。


スタッフの方も、他にお客様がいなかったので、すぐに気軽に対応してくれた。


今まで、爪も手の手入れも自己流でやってきたので、「ネイルサロン」のお仕事そのものを知らないでいた。

できたら、いつもマニュキアの色が気に入らないで、

「これが私のお気に入り!」

という色に出会っていないので、そんな色に出会えたらいいな、くらいの気持ちでフラッと入った。


世間の女性の方々に笑われてしまうような勘違いだったことがすぐにわかる。

今はもう、ネイルサロン(ネイルコーナー?)ではマニュキアも殆ど売ってなくて、勿論「塗る作業」もない

ということだ。

「ん?どういうこと?」が私の反応。


今の爪のお手入れとは、爪に「ジェルを塗る」ということなのだそう。


爪の表面を平らにならして、下地を奇麗に作って、下地を塗り、ジェルを塗り、専用の乾燥機に爪を差し込

み、乾かしながら塗り、トップコートまでの作業を、

「右手、左手、右手、左手・・・・。」

と丁寧に繰り返していく。


自分で塗る、剥がす、をするようになる方は専用の乾燥機を買い込んで、されているそうなのだ。

「ああ、なんて情報無知な私だったんだろう・・・。」

と恥ずかしくなる。


たまたまなのか、ジェルで爪のお手入れをしている友人がいないので、そんなことは話題になったことがな

かったのだ。

まあ、周りがまだ主婦バリバリという人達なので、せいぜいマニュキアを塗る程度のお手入れなのだ。


それで、その後のお手入れ方法をよく説明してくれたので、結局「塗ったら剥がすまでを念頭に置いて、今回

はお試しコースでいくということになった。

ネイリストさんの話によると、ジェルをずっと続けるということは結果的に爪が薄くなっていくので、始めた

ら常にジェルを塗った状態でないと、ちょっとした熱さのお湯にも熱さを敏感に感じて不便になっているのだ

と言う。


「ええ〜!?、始めたら半永久的に続けなければならない?」

と、実情を知り、私は今回体験として一回限りとすることにした。

2週間くらいはこのままで保つので、うまく剥がれない場合はネイリストさんのお願いするという約束をし

た。

(一般的に塗りはごく一般的?なことで3千円ほど、剥がしもそれくらい?4千円位だったかな?他のお店の

料金はわかりませんが。)


とに角、やってみなくては分からないという体験なので、4月8日施術?からどの程度保てるのか体験中です。


爪の周囲も奇麗に手入れされて、オイルの塗り方も教わって、見違えるようにきれいになった指先は

やっぱりプロの仕事として素晴らしい。


C007030138_262-349[1].jpg


写真引用


普段の家事にも、別段気を遣うことなく過ごしていて、今の所奇麗なままでいてくれています。

それはそれで、自分のテンションも上げてくれていい事だと思います。

ただ、こういうネイルサロンに通うような時間は、私には取れないと思いました。


美容院に行く時間もなくてはならないし、本当に、一か月のスケデュールにあれもこれも

は無理だと判断しました。


美容系のことに対して、そんなことでは意識が足りません、とか言われるかもしれませんが、

家事に支障が出るような爪の美しさを探求しているわけではないので、健康で、綺麗な

指先、手先であれば十分なのです。


それにしても、もうじき一週間経つのに、傷もなく、艶もそのままで、ジェルの力に驚いています。


ネイルそのものに、情報不足の私ですが、素朴な疑問として、お聞きしたい。

一般の方でネイルアートを施しておられる方はこの先もずっとネイルサロンにお世話になる

生活になるってことですか?

当たり前のことなんですか?

続けていて爪の健康は大丈夫なんですか?

































2019年04月14日

同級生との雑談の中で。#2

大人になってから、改めてお互いを知ることになっている同級生との話で、流石というか驚きというか、

育ちとは凄いものだと知ることになったことがある。


それは、何気ない話しから解ることになった。

ご主人は留守だというので、

「夕飯の支度が楽でいいね。」

と言うと、

彼女:「いや、却っている時のほうが楽なの。彼は気分転換になると、今料理に凝っているから。」


 私:「ええ〜!いいな。家も作ってくれるといいんだけど、全くやらないんだ。」


彼女:「でもね、食器の選び方がね〜。彼の家は”大量生産の普通の”食器を使っていたから、   

 私は、一つ一つ選ばれた食器でないと美味しそうでなくて・・・、私は食べないの。」

と、ちょっと苦しそうに言う。

 私;「ん?どういうこと?」


彼女:「やっぱり、こういう料理にはこういう食器ってあるじゃない?だからそれをやってないで、

    いつも、何にでも合うような食器に並べられると、食べたくなくなってしまうの。」


 私:「それで、作ってもらっても食べない事がある?」


彼女:「そう。母がね、(金沢出身)器に凝っていたでしょ?お茶の道具は勿論のこと、

普段の食器にもこだわっていたから、それが当たり前なのよね。」


 私:「ふ〜ん、そうなんだ。私も食器にこだわった時期はあったけど、今は家族二人だし、

以前使っていたものなんて奥の方にあって、いつもは同じようなものばかり使い回してる。

どちらかと言えば、以前のものは断捨離したいくらいに思ってる。」


と、言いつつ普段のメニューを思い起こしていた。

決して彼女はそれを自慢したりしているのではない。

他の家の様子を知らないだけだ。


そう言えば、お宅にお邪魔すると、何気なくお抹茶を立てて二人分の、それぞれが違う

趣のあるお茶碗で出してくれる。

私はお抹茶が好きだ。

器が好きだ。

だから喜んで、矯めつ眇めつ(ためつすがめつ)お茶碗を回して、味わわせてもらう。

だから茶室でなくても、普段のテーブルで、ちょっとした和菓子と一緒に飲めたら

それだけで、ご馳走なのだ。


多分彼女にとっては日常に近いのだろう。

コーヒーでも、豆から挽き始めるから

「ご主人が拘っているの?」

と、聞くと、

「私が拘ってるの。」


我が家ではコーヒーメーカーに粉のコーヒーを入れるだけという入れ方だから、

「そうなんだ〜。」

とカップごとにゆっくり淹れられるコーヒーを眺めている。


ここで、発見なのだ。

こんなに一つ一つに拘る人だったんだ、と。


ある時など、暫く使ってなかったお茶室に入るように言われて、懐かしさと共に、

入室したら、”立礼(りゅうれい)”の準備がしてあって、お互いに亭主とお客様を

入れ替わって、お点前を(もう、昔のことだから、適当もいいとこ)しあってお茶を

頂いた。

その、お道具は中々日常で見ることもできないようなものだった。


image[2].jpg


「塩月弥栄子の茶室」より引用↑


もう、お母さまが亡くなってからそのままにしてあったらしくて、大切にされていた

だろうお茶の道具が積み重なっていた水屋も目に入ったけれど、彼女本人は茶道教授

の免状は取らなかったので、お弟子さんに、場所を提供する形で、またお茶室は使われる

ことになったと聞いた。


ご自分は茶道を極めていたけれど、子供は子供と、同じ道を強要などしなかった彼女の両親

の考えていたこと、日常の生活などが想像できる。


自分が子育てをした時期、元気に食べて寝るという毎日を送るだけでいっぱいだった。

子供時代の自分がそうだったように、外で近所の子供達と元気に遊んだのは私の時と同じだ。

スイミングなどのお習い事は身に付くことなので市内大会に出場位までできた。

しかし、彼女が育てられたような子育てはリアルに自分の世代でさえできなかった。


なのに、彼女の家の文化の奥深いこと。

日々の一つ一つを丁寧に暮らし、そういう両親を今でも尊敬している彼女がいる。

両親の写真はいつでもそばに飾られている。


故郷の地元と都心にレッスン場を構え、どちらにもグランドピアノが置かれているので、

これから片方は整理するつもりでいると話す。

そんなことも知らなかった。


そうして楽器の話になると、私の無知を思い知ることになる。


「質のいいピアノというのは弾いて弾いて育てていくの。そうしていい音になっていいくの。

でも、普通のピアノは育てることができない。みんな同じ音。そこが違う」


という、ピアノも両親が選び、与えてくれたものだと感謝していた。

そしてその値段を聞いてまたビックリ。

高級車と並ぶくらいするなんて・・・。

そして師とする先生、学校選び、それらぜ〜んぶを与えられて、彼女ができていたのだ。


元イギリスの首相のサッチャーさんが言っていた言葉が思い出された。

「教育とは摺込まれたものだ」

摺込まれた本人と一体化して、本人そのものになったこと。


良い摺り込まれ方と悪い摺り込まれ方は世間にはある、現実だ。


彼女は彼女本人がそういう教育の賜物だと分かっているだろう、彼女も子育てをしたのだから。

彼女の子供も音楽家になり、今は海外で暮らす。


親にしてもらった教育と、自分がした教育を考えると、時代の違いはあっても、ギフトを

与えることの、普段も含めて、ギフトを与えるエネルギーと知識は本当に特別なものだと気づく。


そんな彼女と交流を持てたことは、私の人生にとって大きな意味があるのだろう。

これからは、もっとお互いを知り合って、どこかがカチッと鍵が合うような二人でいられそうだ。


















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