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2020年11月13日

”私の造語、『フランスる』”

「フランスる」か〜〜〜〜!

あるある感を受けて「フランス脱出!徒然日記」のリブログです。

https://ameblo.jp/littleforest21/entry-12636421180.html


以下引用です。


フランス人の特徴ですよね。

何かといえば、

権利を振りかざす。



常に自分が正しいと自負し、

そのくせガキ並みに喚く奴がいたら


お前、

うんちフランスってんじゃねえぞ!


上記引用



相当お怒りですよね。

移民の方々にも怒っておられます。



巷でフランスの事が話題になると、わざと、

「おフランス?」

と、いじりたくなるフランスですね。


何故なんでしょう。

フランス在住のフランスからのブログも沢山見られる最近です。

遠くから見ていたファッションの国フランスが身近になっています。

(農業国ですが・・・。)


こうして今年の1月にフランスを脱出してきてよかったと公言されている筆者さん。

再びのコロナでのロックダウンですね。

_114749005_tv063570029[1].jpg



日本在住のフランス人の方が何かの番組(多分、”Youは何しに日本へ”)で言ってたことが

思い出されました。

「日本にいると向こう(フランス)の文化って可笑しいよね。バカンス、バカンスって夏は誰もいなくなる、可笑しいよ!」

と、まじめに言ってました。



遠くから見てると憧れの国かもしれないけれど、こうしてフランスから直接声が届くようになると、

却って日本の良さが分かってくるような気がします。


海外に出て知る日本の良さ、清潔さ、治安の良さ、便利さ等々は誇りに思えます。



ただ、・・・、日本人はデモなど相当なことが無い限りしませんよね。

海外に行くと、といってもスペインと、フランスの場合ですが、しょっちゅうデモに行き当たるし、

フランスはストライキで電車が止まるなど慣れっこのようで、道路を歩いていてフランス人の女性に、

「電車はストライキで止まっているけど大丈夫?」

と、声を掛けられたことがあります。


きっと、アジア人の旅行者に教えてあげようと思ってくれたんだと思います。


アメリカではそんなに見なかったけれど、ヨーロッパってデモが多いなと感じました。


日本の政府のすることに、あまり抗議の表現をしない日本人もネットでは批判する人も増えてきたように思います。


国会議員の考え方をよく知って、

「あなたのような考え方には投票しません。」

と、もっと相手に通じるような意志表示をしていく社会は必要だと思います。


今筆者さんが怒っている国は”革命”を起こし成功させた国です。


その結果が今です。

現地の方々からの発信は、私達の行動にも影響を与えるようになるのだろうか?





























2020年11月12日

「”【衝撃】フランスにもあったの!?” 無印の食品!」を食べてみた。


https://ameblo.jp/hime-u3u/entry-12606883132.html


フランスからの投稿の記事にあったグリーンカレーが気になって記事リブログしました。

2020/10/29でした。


それで、折角日本に住んでいて、「無印」にいつでも行ける環境なので、買ってみました。

そして、「う〜ん、カレーが食べたいな」

と、思った日に実際に食べてみました。


結局10日後のことです。


カツカレーには向くのかな?

と、カツも用意して体験準備です。


全体にトロッと感はなくサラッと感で、カツには合わないなあという気分でした。


インド風というか、タイ風というか、ご飯と一緒にというより、カレーは独立させて、

ナンやパンと一緒にという食べ方の方がしっくりくるのだと思いました。


尤も、

「普通はグリーンカレーの食べ方ってそれでしょ?」

と、言われてしまいそうですが、

「きっと、ご飯と一緒に食べられる。」

と、決め込んでセットしたのです。


インド料理、タイ料理、ベトナム料理など、一応経験済みで嫌いではないです。

辛さや、甘さや酸っぱさが入り混じった、ワンプレートにいろいろ詰まった料理など、

はまったこともありました。


でも、自宅で日本の白米の粘っこさがある”ご飯”とは合わないかな?でした。


最近は日本のレトルトカレーも相当美味しくなっていて、夫には日本製のカレーを用意したので、

「カツも用意すると、そっちの方が美味しそうだな〜。」

と、思った次第です。


多分、主食の部分でフランスはパンと一緒に、インドなどはナンと一緒にで食べ方が

違うからの結果なんだと理解した。


それに、お値段のことですが、無印レトルトカレー1パック350円、日本製は3パックで400円程度、

それでも美味しいので、割高だったようにも思いました。


同じ位のお値段なら私はこれが好きでした。

71967us2j7S._AC_SL1132_[1].jpg


これは私個人の感想です。

好き嫌いは個人的なものだと思います。























2020年11月11日

”きた〜!猫お布団に入る。”は去年、今年は・・・。


トップページに”去年の今頃の記事です”と表示が出て、懐かしく思った記事のリブログになります。

https://ameblo.jp/kickbell/entry-12546374371.html


何故気になったかと言うと、今年は変化があって、彼はリビングで独り?で寝ているからです。

独りで寝るなんてことはずっと一緒に暮らして来て19年、一度もなかったからです。


私が就寝の準備をし、自室で寝ようとすると必ずやってきてベッドに先に上がって足元で

背中を向けてお布団に入るスタンバイをしていたのです。


それが・・・・、今年は暑さも去って、寒さを感じるようになっても二階の私の部屋に来ないのです。


「寂しいな〜。」

と、思ってはいる。


階下で、

「ニャオ〜〜ン!」

と、だみ声で鳴いてお終い。



あの声はどういう意味だろう?と気になってはいるが、まだ階段を登れない訳でも無いのに

上がって来ないのには何か意味があるのだろう、と今は様子を伺っている。



猫に、無理やりの行動を押し付けても、結局は猫のしたいようにするのが猫なのだ。


だから、猫と飼い主、主に私と気持ちが一致すれば、お互いに同じ行動になるのだろう。



そんな時は一方的に人間側は、

「好かれてる〜!信頼されてる〜!」

なんて有頂天になる単純なものだ。


だけど、猫には何か思惑があるのだろう、今年は振られている・・・。


寂しい・・・。


お布団の中で猫の、

「ゴロゴロ、ゴロゴロ、・・・・」

という喉を鳴らす音と、柔らかい全身を撫でて過ごす時間は至福の飼い主冥利につきる

時なのだ。


高齢化して、今までの行動を忘れてしまったのか、掛けてもらっている毛布の方が暖かい

と認識したのか、一緒に寝ても飼い主なんて一晩中寝相を変えて落ちつかないしなんて

割り切ったのか・・・・、それにしても寂しい。


まだ、本格的な寒さを迎えた訳ではないので、仕方なく、様子伺いをしている。

去年記事の日付は2019/11/21だから、もう少し様子を見ようと自分を慰めている。


「お布団に入ってきてよ〜〜〜!」by飼い主。


DSC_1620.JPG

↑お風呂が大好きなカピパラのぬいぐるみを会わせてみた。

「だから?」という反応。






















2020年11月10日

保護猫ちゃんの「わさび日記」。


https://ameblo.jp/brown-black-xoxo/entry-12633613558.html?frm_src=thumb_module


フォローしていたブログの猫ちゃんの写真が、あまりに家族同様に暮らしていたのでこの猫の事をブログで

辿ってみました。

そうしたら、保護ネコだったとのことがわかりました。

リブログしたかったのですが、できませんでした。

URLを貼らせて頂きました。



今、こんなに家族を監視するような暮らしをしてるんですもの。

家族がお仕事、勉強ちゃんとやってるのか監視してるんですって!

猫監視.JPG


猫覗く.JPG

↑片足がしっかりと籠に掛かっている。

気持ち伝わってくる〜〜!



保護ネコからどんな風に家族に慣れてくれたのか「わさび日記」に投稿されています。

ゆっくりとその過程を拝見しました。

野良猫さんと家族になるって本当に大変ですが、信頼し合えた時の気持ちは、

「言葉で伝えるのではなく、目の前の一つ一つに正直に真剣に向き合うこと」

なんですね。


それも猫の気持ちに合わせてゆっくりと。


動物が、こちらを認識してくれたという喜びは何にも代えがたいものがあります。


我が家にも猫がいますが、認識される喜びを教えてくれました。




今ののびのびした態度で暮らしてる猫ちゃんの家族になった履歴に、



「よかった〜〜!」



と、感動しました。






















2020年11月09日

”人に何かしてあげると本当に幸せになる!”とお世話猫。


https://ameblo.jp/france-lifestyle2/entry-12635173408.html


「魅惑のここっとライフ」さんの記事のリブログさせて頂きます。


何と言っても、その場の空気を表現されるのが最高に上手なイラストが大好きです。


ここっとさん自身の優しいのだけれど、ちょっと突き放した家族との記事に笑わされたり、

シングルマザーの強さを感じたりして、楽しみに読ませて頂いています。


ご長男、次男さんはフランスと日本のハーフで彼等の様子も一家の特徴で、一羽のインコ?さんも

絶妙な家族関係を築いていて会ってみたい!って思わされます。


そんな記事の一つでした。




私は、以前記事にもしたことがあるんですが、時々お留守になる家庭の3匹の猫のお世話を頼まれます。


トイレのチェックと餌の補充などを重点に、異状がないか確かめます。

お天気の良い日ならば、窓を開け(網戸はそのままに)、日光浴ができる状態にして

日向ぼっこをさせてあげて、時間が許せばオモチャを使って遊んであげて、とに角声を掛け、スキンシップして、

「君たちは大事にされてるんだよ!」

と、アピールしてきます。


だから、私の車の音でわかるのか、活発な猫は玄関でスタンバイしてるか、

「窓を早く開けて!」

と、先に窓枠に登っていたりします。

DSC_1877.JPG

お世話の回数が重なれば重なる程、可愛くなってくる。


ツンデレのツン状態の猫もいるが、シャイなんだよね、とちょっと触れさせてもらう。


そんな状態は、きつくないと言えば嘘になるが、時間を上手く使って、何としても彼等を安心しさせて、

喜ばせてあげたいの一心で、頼まれた時は断らないようにしている。


もし、自分が逆の頼む立場だったら、本当に嬉しい。

安心する。


依頼する人が、猫に心を寄せて大事にしているからこその行動なので、依頼もしないで、

ほったらかしにすることを選ぶ人なら、それはそれで成り立つことかもしれない。


けれど、一日たりとも飼育放棄などできないという気持ちは、私に伝わっている。

私に時間があるのならば、猫達の為に何とかする!と動くのだ。


という事情があるので、ここっとさんの記事がストレートに入ってきたのです。


大袈裟なことではないけれど、私にできることならばと、依頼に応えていて、

私も幸せをを感じています!


























2020年11月08日

こころ旅。「リクエストアワー。」

「もう一度見たい正平さんとゆかいな仲間。」


と、銘打って企画された番組。


「こころ旅」担当のNHK駒村多恵アナウンサーが、

「これだけのメンバーが一堂に会するなんてことは無いと思います。番組本編では観られないですよね!」

と、興奮気味に紹介していたコンサートのシーン。

DSC_2262.JPG

DSC_2257.JPG

いろんな場面で曲調や楽器も変化して挿入される主題歌を歌われている池田綾子さんとのコンサート。

火野正平さんも舞台にいました。

彼も途中から歌い出したりして素敵なハーモニーを醸してくれていました。


シ━ン毎に挿入される歌の歌手、池田綾子さんを初めて拝見できました。

貴重な場面です。


日本縦断こころ旅500日走破の記念公演だったようです。


月曜日こころ旅は駒村アナウンサーの出演で、お手紙を紹介したりする、いつもとは違う

、視聴者の声が聴ける日になっています。


そんな中で突然始まったリクエストということで、貴重な場面を録画することができました。



正平さんが、各地で出会う人達の中で子供達に、

「この番組好き?」

と、訊くと、子供達が、

「うん、いろんな生き物が出てくるから面白い」

と、本音だけで答えている場面があった。



そうなのだ、正平さんの生き物好き、というか元の子供に戻ったように、

必死で捕まえ、優しく扱い、中には自宅に持って帰り育てたりすることもあった様子などが

紹介されるので、子供達には解るのでしょう。



「動物、植物、昆虫、海の生物、川の生物等々、何でも興味があって、覗き、追っかけ、捕まえて喜ぶおじさんが面白い。」

と。


興味のあることに素直に向かっていく正平さんあっての「こころ旅」だと思って、

視聴者は楽しみに観ているのだと思う。


正平さん、チャリオ君、スタッフの皆さん、これからも頑張って下さいね!

平均年齢がどんどん上がっていきますが・・・、楽しみにしています!






















2020年11月07日

”もう一度会いたかった…。版画家の恩師。”と「つわぶき」。

我が家の庭の片隅にひっそりと葉っぱだけを広げている”つわぶき”。

そのつわぶきが黄色い花を咲かせ始めている。


o0810108014845063742[2].jpg


実際に、目立つ場所でもなく、通りから見える場所でもない。

僅かに土のある場所の一角なのだ。

「あっ、咲き始めたんだね。」

と、気付いて写真に収めた。


”つわぶき”は私の木版画の先生がよくモチーフにしていた花だ。

”つわぶき”とか、”ドクダミ”とか、花のことなど気にもされない、そこここに広がって生息するどちらかと言えば、

期待されるどころか、どんどん広がって迷惑する位の植物だ。



そんな植物の花を好んで、優しく表現されていた先生だった。

2016.JPG


先生の作品を拝見して初めて”つわぶき”や”ドクダミ”の花がこんなに可愛いかったのだと知った程、目を向けることもなかった。


実家に咲いていた内の一株を植えようと思ったのも先生の作品を知ったからだった。

それからは、時々手入れもしている。


友人の家が新築した時にも、その内の一株をさしあげたら、今では大きく増えて玄関周りを

彩ってくれていると喜ばれた。


先生の”優しい目”は田舎の道路沿いや山道の脇にひっそりと、しかし力強く咲く植物に関心を持つことを教えてくれた。


これからしばらく”つわぶき”の花が癒してくれそうなのでゆっくりと楽しませてもらえる

だろうと、先生のように優しく見つめていたいと思っている。



先生の記事です。↓

https://ameblo.jp/kickbell/entry-12547552114.html?frm=theme

















2020年11月06日

”アイビー剪定#6。””アイビー剪定#7。”そして今回は”アイビー剪定#8”。

何度も「アイビー剪定」の記事を書いている。

もう、定点観測の域?に入っているかもしれない。

こうなると記録し続けるのが面白くなってくる。



いや、面白いことではなくてキツイ作業なんだけれど、年末も迫ってくることだし、

やらなければならないことが増えてくるのを見越して”嫌な事は先に片付けてしまおう”

精神がムクムクと起き出して、

「今日はこれ!」

と、決めて挑んだ。



車の保険の更新時期が来ていたので、午前中に保険屋さんと訪問約束してあった。

それを済ませてこれからの一年の契約が成立したのでスッキリとしたところで、

天気はいいし、午後の時間を夕飯まで使える条件が整ったと、決断に至った。



と、いうことで、

ブログ記事を振り返ると、剪定最新は2020/05/28だった。

「アイビー剪定#7」。

https://ameblo.jp/kickbell/entry-12599172784.html



その前が以下の記事

「アイビー剪定#6」2020/04/03となっている。

https://ameblo.jp/kickbell/entry-12586122169.html




そこで、剪定日付を整理して書き出しておくことにした。

取り敢えず、記事にした日付がこれだけあった。


@ 2018/0416

A 2018/10/30

B 2019/01/28

C 2019/04/18

D 2019/12/28

E 2020/03/30

F 2020/05/28

G 2020/11/01


冬から春までは3か月位で剪定するが春が済んで夏場は暑くて手が付けられない様子が

見えてくる。

そしてやっと秋になって手を付けると言うことのようだ。

今年も夏場は暑くて、やっと今、早目の年末の仕事として挑んだと言うことになった。


とに角こんなことを15年も続けてきたのだ。


いつもながら、ご近所さんが通りかかって、脚立の上の私に声を掛けてくる。

「精が出ますね!落っこちないでね!」




私も、下に溜まった葉っぱの量を見て声を掛けてくれるご近所さんと剪定の合間にお喋りするのを休憩タイムとしながら、

脚立に登ったり降りたりして移動を繰り返す。


始める前のモサモサ状態。枯れ葉も気になっていた。↓

DSC_2247.JPG


1:00PM〜4:30PMまでに溜まった落した葉っぱ。↓


DSC_2249.JPG


屋根部分に這わせたアイビーがモサモサした、始める前の状態。↓

DSC_2248.JPG


この季節、4:00PMを過ぎると日暮れが迫って来た。

大分葉っぱを落としてスッキリとした屋根部分。↓

DSC_2252.JPG



夏場はこのアイビーが日陰を作って車を守ってくれる。

だから、一年に3回くらいはこんな作業をすることになっているし、アイビーが生きているから

樹液も落ちる。

車も毎日拭き掃除することになるが、だからこそルーティーン作業になっていて、お日様を浴びるいい時間にもなっている。


さて、次はいつになるんだろう・・・・。






















2020年11月05日

御崎馬(みさきうま)。JR日南線の旅。

ある旅番組を観るともなしに観ていたら、野生馬が現れた。


その番組の旅人さえも、

「野生馬をこんなに近くで見るなんて初めてです!」

と、感激していたのを見て、私も同じ思いで見入ってしまいました。


JR日南線宮崎の旅でした。


本当に人の手がかけられていない野生馬、そこで生きて死んでゆく。


私の行きたい場所の候補となりました。



以下記事引用


宮崎県串間市にある都井岬は県の最南端に位置し、太平洋がどこまでも広がっています。

目を転じれば、緑が美しい大草原。野生馬がすぐ近くで草を食んでいます。

3[1].jpg

「御崎馬(みさきうま)」または「岬馬(みさきうま)」と表記される日本在来馬の姿です。

江戸時代に軍用馬として飼育されていたのが野生化した馬で、1953年に「御崎馬およびその繁殖地」として国の天然記念物に指定されました。

体高は130cmほど。普通の馬に比べてかなり小柄ですが、急な斜面が多い都井岬の自然環境に適応して、後ろ足が発達しています。

急な斜面を軽々と登っていく姿はたくましく、自然のサイクルの中で生まれて死んでゆく野生馬の姿に感動を覚えます。


以上記事引用



















2020年11月04日

再会できた映画、”ジュリア”。



見つけました。

暫くぶりで観たかった映画。

https://ameblo.jp/hal-9000hn/entry-12264223938.html



『ジュリア』 原題:Julia

1977年(米) フレッド・ジンネマン監督監督作品


_[1].jpg



記事引用させて頂きます。

長文になります。


以下引用



反ナチスに身を捧げた女性闘士ジュリアは本当に存在したのか、それとも…!?『ジュリア』

2018.12.29 なかざわひでゆき


反ナチスに身を捧げた女性闘士ジュリアは本当に存在したのか、それとも…!?『ジュリア』


「反骨の劇作家」とも呼ばれたアメリカの女流劇作家リリアン・ヘルマン。’30年代に『子供の時間』や『子狐たち』といったブロードウェイの舞台戯曲を大ヒットさせて有名人となり、『ラインの監視』(’40)や『逃亡地帯』(’66)など映画の脚本家としても活躍。『子供の時間』は『噂の二人』(’61)として、『子狐たち』は『偽りの花園』(’42)として映画化もされた。そんな彼女の名声を一層のこと高めたのが、1952年5月21日に開かれた下院非米活動委員会の公聴会で読み上げた声明文だ。

 第二次世界大戦前の一時期アメリカ共産党に加入し、ソビエトのスターリン政権を強く支持していたリリアン。長年のパートナーであるミステリ作家ダシール・ハメットも共産党員で、労働者運動や公民権運動の熱心な活動家だった。なので、おのずと赤狩りの時代になると反米的な要注意人物としてマークされ、下院非米活動委員会の公聴会へ呼び出されることとなる。友人・知人の共産主義者を告発しろというのだ。しかし、リリアンはこれを断固として拒否。「たとえ自分を守るためでも友人を売り渡すことは出来ない」「社会の風潮に迎合して良心を捨てることは出来ない」との声明文を読み上げたのだ。その結果、ハリウッドのブラックリスト入りし、しばらく映画界での仕事を出来なかったリリアンだが、一方でその高潔で勇気ある行動により、多くの人々から尊敬を集めることとなった。まあ、そもそも彼女の主戦場はブロードウェイの演劇界であるため、ハリウッド映画界のブラックリスト入りはさほど大きなダメージでもなかったのだが。 そんな女傑リリアンは、生涯で3冊の自伝本を出版している。『未完の女』(‘69年刊)、『ペンティメント(邦題:ジュリア)』(‘73年刊)、そして『眠れない時代』(’76年刊)だ。その中の『ペンティメント』は、リリアンが自らの人生で出会った様々な人々についての想い出を綴った短編集。そこに登場したリリアンの幼馴染とされる女性ジュリアのエピソードを映画化したのが、巨匠フレッド・ジネマン監督のアカデミー賞3部門受賞作『ジュリア』(‘77)だった。ここであえて「とされる」と表現したことの意味は、後ほど詳しく説明させて頂こう。

 物語の舞台は1930年代。同居する恋人ハメット(ジェイソン・ロバーズ)の勧めで戯曲を書き始めたリリアン(ジェーン・フォンダ)だが、スランプに陥って執筆がなかなか進まなかった(当時のリリアンは映画会社MGMで、映画化候補の小説や文学のあらすじを要約する仕事をしていた)。そんな彼女が思い出すのは、幼なじみの大親友ジュリア(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)のこと。大富豪の令嬢として生まれ育ったジュリアは、少女時代から聡明で知的で意志が強く、引っ込み思案なリリアンにとって憧れの女性像そのものだった。

 長じてイギリスのオックスフォード大学で医学生となったジュリアは、労働者の人権や貧困などの社会問題に強い関心を持つようになり、やがてフロイトに学ぶためウィーンの医大へ転入すると反ナチスの地下運動に傾倒していく。一方、ハメットの勧めで作品を仕上げるためパリへ赴いたリリアンは、そこでジュリアの医大がナチスに襲撃されて多数の死傷者が出たとの報道を知り、急いでウィーンへと駆け付ける。そこで彼女が見たのは、大怪我をして病院のベッドに横たわるジュリアの姿。ところが、すぐにジュリアは手術のため病院から移送され、そのままプッツリと消息を絶ってしまった。

 その後、戯曲『子供の時間』の大ヒットで一躍有名人となったリリアンは、モスクワで開催される演劇祭へ招待され、パリからウィーン経由でソビエト入りすることとなる。ところが、パリのホテルでジュリアの同志ヨハン(マクシミリアン・シェル)がリリアンに接触し、経由地をウィーンではなくベルリンに変更して欲しいと申し出る。反ナチ組織の活動資金5万ドルをベルリンにいるジュリアへ届けるためだ。ユダヤ人であるリリアンにとって必ずしも安全とは言えないが、しかし彼女は最愛の親友のため、意を決して運び屋役を引き受けることにする。かくして、厳しい監視体制の敷かれたナチス支配下のベルリンへと夜行列車で向かうリリアンだったが…。

 年老いたリリアンの回想形式で描かれる、リリアンとジュリアの瑞々しくも切なく哀しい友情ドラマ、そして激動する戦前ヨーロッパを舞台にした緊迫のサスペンス。リリアン役のジェーン・フォンダは、最初の夫ロジェ・ヴァディムとの間に出来た長女にヴァネッサと名付けるほど、ジュリア役のヴァネッサ・レッドグレーヴに憧れて崇拝していたらしく、それがそのまま劇中のリリアンとジュリアの関係に重ね合わせることが出来て興味深い。ハメット役ジェイソン・ロバーズの渋い枯れた味わいも素晴らしいし、フレッド・ジンマン監督の折り目正しい演出にも風格がある。リリアンの軽薄な友人アン・マリー役のメリル・ストリープ、少女時代のジュリア役リサ・ペリカンと、これが映画デビューだった女優2人も印象深い。しかし何よりも、マッカーシズムに対抗した女性闘士リリアン・ヘルマンが、活動家の友人のためとはいえ、実は反ナチ活動にも貢献していたというエピソードは少なからぬ驚きであろう。



 ところが…である。本作が全米公開された直後あたりから、リリアンの自伝に関して信ぴょう性を疑う声が出始め、’79年に放送されたテレビのトークショーで、以前からリリアンの言動に対して批判的だった女流作家で左翼政治活動家メアリー・マッカーシー(俳優ケヴィン・マッカーシーの実姉)が彼女を嘘つきだと糾弾したことから、長きにわたる訴訟問題へと発展してしまう。さらに、ミュリエル・ガーディナーという精神科医の女性が「ジュリアのモデルは私だ」と名乗りを上げ、’83年にそれを証明する回顧録を出版したことから、リリアンに対する疑いはますます濃くなったのである。

 大手精肉会社モリス&カンパニーの社長令嬢として生まれ育ち、オックスフォード大学で学んだ後、フロイトの精神分析学を学ぶためウィーン大学へと移ったミュリエル・ガーディナー。現地で社会主義運動のリーダーを務める男性と結婚した彼女は、夫と共に反ナチスの地下組織に身を投じ、「メアリー」というコードネームを使って組織の活動資金などの運び屋をしていた。そう、リリアン・ヘルマンの描いたジュリアの生い立ちや経歴とあまりにも酷似しているのだ。しかし、そうした事実を指摘されながらも、生前のリリアンは「ミュリエル・ガーディナーなんて知らない」「私のジュリアのモデルとは違う」と主張していたという。

 事実、ミュリエルとリリアンは直接の面識がなかった。それはリリアンだけでなくミュリエルも認めている。ただし、2人には共通の友人がいた。それが、弁護士のウルフ・シュワバッカーである。リリアンの顧問弁護士を長年務めたシュワバッカーは、実は古くよりミュリエルと家族ぐるみの付き合いがあった・しかも、’40年に戦乱のヨーロッパを逃れて夫とアメリカへ帰国したミュリエルは、およそ10年間に渡ってシュワバッカー夫妻のアパートでルームシェアしていたのだ。ミュリエルはシュワバッカーを介してリリアンのことを知っていたというが、リリアンもシュワバッカーからミュリエルの身の上話を聞いていた可能性は否定できないだろう。

 さらに、マスコミが大掛かりな「ジュリア探し」を試みたところ、リリアンの著述に不可解な点が次々と発覚。そもそも、当時のウィーンで「反ナチス活動」に身を投じた「アメリカ人」で「オックスフォード大学」に学んだ経験のある「医学生」の「富豪令嬢」が、ミュリエル・ガーディナー以外にもいたというのは考えにくい。もしかすると、実際にリリアンにはジュリアのモデルとなった幼なじみの親友がいて、その女性とシュワバッカーから聞いたミュリエルを同一視することで、彼女なりの理想の女性像を創りあげたのかもしれない。

 ‘05年に出版された生前のインタビュー集で、フレッド・ジネマン監督は『ジュリア』の内容を「真実ではない」と断言したうえで、リリアン・ヘルマンのことを「彼女は卓越した才能のある、素晴らしいライターだったが、残念ながらでたらめな人物でもあった」と述べている。実際、かつてこんなことがあった。’39年に戯曲『子狐たち』が大ヒットした際、主演女優タルラ・バンクヘッドが同作のチャリティ公演を企画した。当時ソビエトに侵攻されたフィンランドの支援に募金を充てようというのだ。ところが、熱烈なスターリン支持者だったリリアンはこれに猛反対し、「私はフィンランドに行ったことがあるけど、あそこはみんなが同情するような素敵な国じゃない、私に言わせればナチの属国よ」と痛烈に批判したのだ。しかし、蓋を開けてみればリリアンはフィンランドに足を踏み入れたことなど1度もなかった。ソビエトを擁護するための出まかせだったのだ。

 いずれにせよ、リリアンの描いたジュリアが本当に存在したのか、彼女が親友のため本当に5万ドルをベルリンへ運んだのか、具体的な証拠を示さないままリリアン本人がこの世を去って30年以上が経つ今となっては、事実を確認することは至難の業であろう。それでもなお、映画『ジュリア』が紛れもない名作であり、そこで描かれる友情と冒険の物語に心を動かされることは認めざるを得ない。確かにリリアン・ヘルマンは虚実ないまぜにして物事を語る癖があったのかもしれないが、しかしそれゆえに偉大なストーリーテラーだったとも言えるだろう。■

以上引用

記事の中に、

「リリアン役のジェーン・フォンダは、最初の夫ロジェ・ヴァディムとの間に出来た長女にヴァネッサと名付ける

ほど、ジュリア役のヴァネッサ・レッドグレーヴに憧れて崇拝していたらしく、それがそのまま劇中のリリアンと

ジュリアの関係に重ね合わせることが出来て興味深い。」


と、ある。


私がこの映画を見て、ずっともう一度観たい、大好きな映画だ、と胸にしまい込んでいたのは、この二人の関

係なのだと思う。


自立した女性がお互いに自分の信念に従って行動する、そんな精神身体共に自立した二人の女性像に惹か

れたのだ。

時代的な背景もあるが、いつの時代にもこうありたいと思って観ていたから、

「あなたの好きな映画は?」

と、訊かれると、真っ先にこの

「ジュリアです。」

と、答えたかった。

(「ニューシネマパラダイス」も並びます。)

でも、タイトルが定かでなかった。


こうしてまた、出会えて記憶に残しておきたかった。

しかし、今知ったその後の事実に驚いている。



記事を引用すると、

「 ところが…である。本作が全米公開された直後あたりから、リリアンの自伝に関して信ぴょう性を疑う声が

出始め、’79年に放送されたテレビのトークショーで、以前からリリアンの言動に対して批判的だった女流作家

で左翼政治活動家メアリー・マッカーシー(俳優ケヴィン・マッカーシーの実姉)が彼女を嘘つきだと糾弾したこ

とから、長きにわたる訴訟問題へと発展してしまう。」



の後の部分だ。

しかし、


「それでもなお、映画『ジュリア』が紛れもない名作であり、そこで描かれる友情と冒険の物語に心を動かされ

ることは認めざるを得ない。」

と、締めくくってある。



私もそう思う。

やっぱり名作だと思うのです。

リリアン役のジェーン・フォンダさんと、ジュリア役のヴァネッサ・レッドグレーヴさんという

女優さんも大好きなのです。

























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