2019年09月16日
「ツドノサカ」の「ツドノ」勘違い
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前回のブログの終わりに、【「ツドノサカトンネル」の「ツドノサカ」は、海久保へ向かう梅地地区中心部の最後の民家の屋号が「津戸」で、そこから始まる坂道の意味で「津戸の坂」が由来とのこと。】と書きました。
全国には、京都府木津川町にある「奈良坂」、岐阜県多治見市にある「尾張坂」のように向かう先の地名に由来した「〜坂」という名称が存在します。
この例に倣い、由来を知る前は、「ツドノ」という地名がないか探して、川根本町梅地から直線で約20q南東にある、安倍川中流の「津渡野」(静岡市葵区美和地区)を見つけました。ここは戦国時代に築城された津渡野城があり、安倍川を利用した駿府への舟運基地だった牛妻も対岸だったことから、もしかしてここへ向かう道の梅地側の入り口の坂の意味で使っているのでは‥と勝手に想像していました。
戦国時代から江戸初期にかけて、接阻峡付近の梅地や犬間では金が取れ、駿府方面に運搬。その道筋は大井川沿いを下らず、安倍川水系藁科川との境にある山地尾根沿いの「梅地街道」や「川根街道」を通っていました。梅地から長島経由で山を登り、天狗石山ー智者山ー馬込ー富士城ー洗沢ー蛇塚ー八伏といった尾根や尾根沿いの集落を通りながら昼居渡(葵区清沢地区)に降り、藁科川沿いに駿府へ下るものだったそうです。
「ツドノ」を「津渡野」と考えたとき、この金など物資の運搬ルートについて、梅地から山を登り、三ツ峰ー富士見峠から口坂本に降り中河内川沿いに下って、或いは三ツ峰ー富士見峠ー笠張峠ー大岳の北の尾根から大沢に降り西河内川沿いに下って、桂山(葵区玉川地区)から細木峠を越えて津渡野経由で駿府に行く北回りルートがあったのでは?‥と。そして、梅地から津渡野へ向かう道の入り口の坂で「ツドノサカ」なのでは?‥と。
しかし、「ツドノ」の由来を地元の資料館の方に調べていただいて、私の仮説は違っていたことがわかりました。「奈良坂」や「尾張坂」のある所から奈良や尾張国境までの距離と比べ、先の仮説の梅地ー津渡野間の距離はかなり離れており、交通手段が徒歩の時代に、仮説はちょっと無理があったかもしれません。
ちなみに、「ツドノサカ」の「津戸」は屋号由来でしたが、津戸や津渡野の「津」は海や川などの港、船着場の意味。「戸」は門や出入り口、両側から迫っている狭い通路の意味。「渡」は川の合流地点の意味。
明治になり大井川の舟運ができても、難所・接阻峡のために井川へは舟が行けず、梅地で舟は止まっていたそうです。梅地の「ツドノサカ」の由来の屋号「津戸」も、両側から山が迫り、接阻峡の川幅が狭くなる大井川の舟を降り、陸路にて海久保経由で井川へ向かうための船着場に起源があるのでは‥とまた想像が膨らみます。
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