2020年06月26日
大井川・天正の瀬替えによる駿遠国境の変更
久しぶりの投稿です。
天正18年(1590年)以前の大井川は、新東名の新大井川橋付近から東海道新幹線大井川橋梁付近にかけて、現在の島田市金谷の牛尾地区から国道473号線沿いに南下し(現在の大井川よりすぐ西)、金谷小付近から流れを東に変え、現在の島田市街地(現在の大井川よりすぐ北)を流れていました。
この流れは、たびたび大洪水を引き起こしていたため、当時、駿府城主の中村一氏により、大井川東岸の相賀から続く牛尾山(駿河山、相賀山とも呼ばれた)のくぼみを掘削し、当時、遠州掛川城主の山内一豊により堤防が築かれるなど、「天正の瀬替え」と呼ばれる河川の大規模改修がおこなわれたのです。
天正の瀬替え前の牛尾山は大井川の東側にあり、駿河側・相賀地区の山と一続きでしたが、この瀬替えにより牛尾山は川の西側となり、旧河道は開墾されて五和村ができ、遠州掛川領となりました。
ですからこの付近、天正の瀬替え以降、現在大井川西側にある五和地区の東側、牛尾や島などは駿河から遠州に移ったわけです。
天正18年(1590年)以前の大井川は、新東名の新大井川橋付近から東海道新幹線大井川橋梁付近にかけて、現在の島田市金谷の牛尾地区から国道473号線沿いに南下し(現在の大井川よりすぐ西)、金谷小付近から流れを東に変え、現在の島田市街地(現在の大井川よりすぐ北)を流れていました。
この流れは、たびたび大洪水を引き起こしていたため、当時、駿府城主の中村一氏により、大井川東岸の相賀から続く牛尾山(駿河山、相賀山とも呼ばれた)のくぼみを掘削し、当時、遠州掛川城主の山内一豊により堤防が築かれるなど、「天正の瀬替え」と呼ばれる河川の大規模改修がおこなわれたのです。
天正の瀬替え前の牛尾山は大井川の東側にあり、駿河側・相賀地区の山と一続きでしたが、この瀬替えにより牛尾山は川の西側となり、旧河道は開墾されて五和村ができ、遠州掛川領となりました。
ですからこの付近、天正の瀬替え以降、現在大井川西側にある五和地区の東側、牛尾や島などは駿河から遠州に移ったわけです。
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