最近なんとなく感じること。
不幸と幸せは
みんな一緒の量である
ということは聞いたことがあるのですが、
どうして
人によって
不幸体質と幸せ体質があるのだろうか?
本当に
人はうわべだけでは解らない苦労をしている
私が思うのは
みんな苦労している。
お酒を飲んで
何となく語りだす苦労や、
ワイワイガヤガヤしながら
笑いながら出てくる苦労話など。
種類はいろいろだけれど
人間、苦労していない人はいない。
ではなぜ?
最初に戻るのですが
不幸体質と幸せ体質
が出てくるのでしょうか?
幸せな人は
常に幸せな方に考え方の身を置いているんですね。
目線や考え方
受け取り方が幸せのほうに
思考が行っているんです。
不幸なことがあっても
不幸の中にも幸せを探すんです。
不幸中の幸い。
例えば、事故をしたのだが
ケガ一つなく
相手もケガがなかった。
確かに車は廃車になるだろうけど
不幸中の幸いだった。
このことは、
確かに、事故という大きな不幸
その中で車も廃車という大きな事故で
不運なことですが
ケガがなかった
という幸せが大きく当事者の思考に映り
不幸中の幸い
ラッキーだったとなるんです。
不幸体質の方は
事故を起こしてしまった。
車が廃車になる
ケガはなかったけれど
なくしてしまった代償の大きさに
ケガがなかったことが霞んで見え、
本当に不幸だ。
なんて自分は不幸なんだ
ここで思考が止まると
せっかく
ケガがなく相手にも危害を与えなかったという
本当に大切なものが
見えてこないのですね。
そして
自分は不運だということに
クローズアップしてしまい
不幸な自分から
中々抜け出せないんです。
幸せも不幸も受け取り方で
大きく変わります。
大切なのは
どこに視線を持って行くかです。
幸せも不幸も同じ量あるのなら
不幸の中の幸いを
見つけていくことも
大切です。
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