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2024年02月10日

苦労したから人の道

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私は
結婚に関して
色々な考えを持っている人間ではないですが、
一つだけ
気になっていたことがあります。

私が20代後半の時
私が結婚できないのは
自分が確立できていないからだ
そう強く感じました。

その当時は
簡単なアルバイトの店員で
少し社会的に溶け込みにくい
精神状態で
半分引きこもりのような
そんな時期でした
働いていただけでも
よく頑張ったなと思います。

友達たちは
結婚していき
私は、不運だとは思いませんでした
ちゃんと私も
自分を確立させて
しっかりと自分を作っていかないと
行けない
20代後半
そのことを強く思っていました。

それから
34歳あたり
介護の仕事
在宅ケアの訪問介護の職に就き
介護福祉士の資格を取ることになります
そこでも
私はまだ結婚できない自分よりも
仕事の大変さや
少ないお給料の中で
年金を払っていくのがやっと。
時には年金を2か月分払い続け
古着屋さんで古着を買って
自転車で二駅先まで
ケアに走り
30分後にまた二駅戻り
これの繰り返し
真夏のゲリラ豪雨
真冬の雪
お風呂場を借りて
Tシャツを絞り
雪の日は車のタイヤ痕の跡を
自転車で走りました。
離職率70%の仕事を4年続け
特養の施設へ
ワンフロアー10人を一人で見て
朝11時から夜20時まで
ずっと動いていました。
家に帰ってから
急いで今の本業の仕事を夜中の24時まで
時折、寝てしまい起こされることもしばしば
休みの日はアクセサリーのイベント。

それでも
お金がなかった時代。

大変だったころ
39歳で婚活を始めて
今に至ります。

壮絶に働いた。
30代
風呂掃除を3回真冬にもかかわらず
洗わされたり
訪問介護では
色々掃除ができていない
はたきのかけ方がなっていない
掃除機のかけ方がおかしい
大変でした。

施設では
疲れからか
毎日朝晩嘔吐してしまい
休むと
それくらいで休むな
と若い男性スタッフから
言われるくらい
人材が足りていない。

壮絶でした。

朝ごはんがまず
食べられない
疲れからか
食欲が出ない
そのまま働くものですから
いつ倒れてもおかしくない
状況だったと思います。
最後に行った施設が
悲惨でした。
ずっと怒鳴られて
私にはそれが八つ当たりだと
気づくのにそう時間はかかりませんでした
やめてからも
急に涙が流れ
なぜだか泣いてしまうことが多く
どうしても
夕方になると
自然と心と関係なく涙が流れ
その後受けに行った
介護の面接でも
涙でずっと面接中泣いていました。






42歳くらいまでの間の私です。
43歳あたりからフリーランスとして
何とか稼ぎ出したのは
ここ一年あたり。


辛かった日々も
楽しい思い出もあります。
でも、

人にはちゃんと苦労があるから
人の気持ちがわかるんだ
人の思いを想像できる
人間にはなったと思います。

ちゃんと確立できたからか。
結婚はしていないですが
心を落ち着かせられる
人ができました。
苦労したおかげだと思っています

父に言われたことが

若いうちの苦労は
買ってでもできるが
年を行くと
買うこともできん

その言葉で
介護の道へ進むことに決めました。
今は良かったと思っています。

人の辛さが
解るから。
苦労してよかった。
posted by fmkopenopen at 14:01| Comment(0) | お局話
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無理なく過ごそう。 そう言うことが一番難しい。 そんなことを考えながら つらつら書いた 色々なことです。 色々なことが 人生なんです。 なんてことないことが 人生なんです。 お仕事依頼メールコチラ→openopen.fumiko@gmail.com
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