2018年08月18日
お盆という行事を通して気が付いた私の幸せ
どもっ常に穏やかな心でいられることを追求しているうなじろうです
今週お盆が終わり社会人の皆様の夏休みも終わりを迎えることとなりましたね。
私も今年のお盆は過去過ぎ去っていった方たちへの想いを込めて迎え火や送り火なんかの作業をしてみました。
そこでちょっと思ったのですが、子供の頃の私はこんなお盆の風習なんか本当にどうでもよくて全く興味がなかったのです。
今でもそんなに真剣に取り組んでいるわけではないのですが、昔のように無価値だと思うことはなくなりました。
それはなぜかというと
やはりお盆は亡くなった方のことを思い出す良い機会になるなと思うからです。
亡くなった方を思い出す機会というのは年々少なくなっていきます。
どんなに大切な人や動物なんかでもどうしても日々の生活の中でそのことばかり思い出して生きてはいけません。
なんだかそれはとても寂しく感じるけれども仕方がないことで
だからこそ、こうやってお盆のような時にそのことを思い出せるという事がとても幸せなことだなと思うのです。
亡くなった方との幸せな思い出を思い出すことができる幸せがお盆にはあるのです。
だからお盆って良いものだなと思うようになったのです。
さて
昔の子供の時の私はそうは思わなかった。
それってたぶん亡くなって欲しくないと思うような人との別れを経験していなかったからなんだと思うのです。
だから、故人を思い出す機会というもの事体を必要としていなかったんだろうな〜
これは人間的に浅はかだったというのではなく、
むしろ、そういう辛い出来事が少なく楽しく生活できていたという幸せを得ていたんだなという事に改めて気づかせて貰えたのです。
私の周りの家族や親族、友人みんな健やかでそれってとても幸せなことだったんだなと思います。
私は今も昔もやはり幸せに生きていて、お盆という日にそれを改めて気づかせて貰えました。
こういう日常の中で自分がとても幸せな人間であると改めて気づかせてくれる出来事って本当にいっぱいあるのだなと思います。
今年のお盆もとても幸せでした。
では(´∀`*)ノシ バイバイ
いつもご紹介していますが、幸せに気づくための基本的な考え方が書かれています。
過去と未来と今を受け入れられた時に人の悩みは無くなっていきます。
他の本も大体同じこと言ってます(笑)
タグ:人の深層心理を考える
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