2017年09月13日
人間の価値と幸福について
どもっうなじろうです
今回は久々にダイエット抜きにした純粋に自己啓発的な事を考えました。
人間の価値についての考察です。
現在の人間の価値とはどれだけ経済的に他者に影響を与える事が出来るかです。
それは現代が経済力を持って価値を把握しているからです。どうしても価値と言う言葉を使うと経済的価値として話が進みます。
あまり経済的価値なのか、美的価値なのかと言った事を区別して話をする人が少ないので混同してしまう事が多いですね。
皆が経済力がある方が価値があると言うから恐らく皆経済的価値として見ているのでしょう。
自分の価値を信じられい人に気づいて欲しいことに何となく気づいた、でも書いていますが
人間の価値がゼロになる事は生きている限りありえません。
ただしどこの誰が決めたかは分かりませんが価値に優劣はあります。
より影響力のある人間の方が経済的価値がある
これはとても納得のいく話です
さて
ここから視点を変えましょう
今言った話はあくまでも世間一般と言うとても曖昧な他人軸視点での話です。
これが自分軸
主観となった場合一気に内容が変わります。
自分軸で考え始めると途端に経済的価値と言うのはどうでも良くなります。
高いから良いものだ!と言う考え方は随分古い考え方の様に感じます。
これは人によって嬉しい事、楽しい事、美しいと思う物が違うので当たり前です。
1000万する絵画も人によってはゴミクズです。
それと一緒で
客観的な経済的価値に差はあるけども主観的な自分の価値は自分で決めるしか手がありません
この際、その人の判断基準が「他人からの評価」であった場合、その人本人の価値は他人軸。
つまり経済的価値と同じ、となります。
つまり経済的に影響を及ぼせない自分はダメ野郎で価値が無いと感じるようになる訳ですね。
一般的にニートなどがくず野郎と言われたりするのは、このような考え方の人からなのでしょう。
しかし、
自分軸で判断している場合、何が自分の価値を決めるかと言うと楽しそうかどうかとか、綺麗かどうかとか、そういう経済的なことは抜きにした評価になります。
絵の話で言えば、私も何千万もする絵画よりそこらへんのpixivで書かれているイラストとかの方が好きですし私にとっては価値があると思っています。
つまり自分で自分に価値があると思い込んでやれば誰よりも自分に価値が生まれるということです。
何となく自分には価値があるような気がするというようなあいまいなものでも良いのです
他人軸で自分の価値を判断するのと
自分軸で自分の価値を判断するのは
どちらが幸せだと思いますか?
ここからはあくまで私の意見ですが
他人軸で判断し続けると常に経済的価値を生み出し続ける必要があります。
もちろんそれは生きている限りゼロにはならないけどより自分に価値を感じようと思った時は頑張るしかないのです。
だから結構しんどいのです。
ここを他人との比較を止めて自分軸に切り替えた途端に努力もいらなくなるし争いも無くなります。
だって自分には価値があると思い込むだけで人は幸せになれるから
そもそも自分にとって全てを感じる元である自分以上に価値のあるものなど存在しないでしょう。
以前の記事の通り人は経済的な価値も必ずあります。
存在するだけで人に何か利益を与えています。
そこから自分軸で考え始めると自分の価値は常に最大に変わります。
生きているだけで価値があるというのはそういうことでは無いでしょうか?
今回は久々にダイエット抜きにした純粋に自己啓発的な事を考えました。
人間の価値についての考察です。
現在の人間の価値とはどれだけ経済的に他者に影響を与える事が出来るかです。
それは現代が経済力を持って価値を把握しているからです。どうしても価値と言う言葉を使うと経済的価値として話が進みます。
あまり経済的価値なのか、美的価値なのかと言った事を区別して話をする人が少ないので混同してしまう事が多いですね。
皆が経済力がある方が価値があると言うから恐らく皆経済的価値として見ているのでしょう。
自分の価値を信じられい人に気づいて欲しいことに何となく気づいた、でも書いていますが
人間の価値がゼロになる事は生きている限りありえません。
ただしどこの誰が決めたかは分かりませんが価値に優劣はあります。
より影響力のある人間の方が経済的価値がある
これはとても納得のいく話です
さて
ここから視点を変えましょう
今言った話はあくまでも世間一般と言うとても曖昧な他人軸視点での話です。
これが自分軸
主観となった場合一気に内容が変わります。
自分軸で考え始めると途端に経済的価値と言うのはどうでも良くなります。
高いから良いものだ!と言う考え方は随分古い考え方の様に感じます。
これは人によって嬉しい事、楽しい事、美しいと思う物が違うので当たり前です。
1000万する絵画も人によってはゴミクズです。
それと一緒で
客観的な経済的価値に差はあるけども主観的な自分の価値は自分で決めるしか手がありません
この際、その人の判断基準が「他人からの評価」であった場合、その人本人の価値は他人軸。
つまり経済的価値と同じ、となります。
つまり経済的に影響を及ぼせない自分はダメ野郎で価値が無いと感じるようになる訳ですね。
一般的にニートなどがくず野郎と言われたりするのは、このような考え方の人からなのでしょう。
しかし、
自分軸で判断している場合、何が自分の価値を決めるかと言うと楽しそうかどうかとか、綺麗かどうかとか、そういう経済的なことは抜きにした評価になります。
絵の話で言えば、私も何千万もする絵画よりそこらへんのpixivで書かれているイラストとかの方が好きですし私にとっては価値があると思っています。
つまり自分で自分に価値があると思い込んでやれば誰よりも自分に価値が生まれるということです。
何となく自分には価値があるような気がするというようなあいまいなものでも良いのです
他人軸で自分の価値を判断するのと
自分軸で自分の価値を判断するのは
どちらが幸せだと思いますか?
ここからはあくまで私の意見ですが
他人軸で判断し続けると常に経済的価値を生み出し続ける必要があります。
もちろんそれは生きている限りゼロにはならないけどより自分に価値を感じようと思った時は頑張るしかないのです。
だから結構しんどいのです。
ここを他人との比較を止めて自分軸に切り替えた途端に努力もいらなくなるし争いも無くなります。
だって自分には価値があると思い込むだけで人は幸せになれるから
そもそも自分にとって全てを感じる元である自分以上に価値のあるものなど存在しないでしょう。
以前の記事の通り人は経済的な価値も必ずあります。
存在するだけで人に何か利益を与えています。
そこから自分軸で考え始めると自分の価値は常に最大に変わります。
生きているだけで価値があるというのはそういうことでは無いでしょうか?
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