人生いろいろ 引っ越しも色々 私の体験談(その3)
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19才の時
故郷九州をあとに
何処までも続くレールの上を北へ北へと進む列車の中
刻一刻と遠のいていく故郷と、1人で立身する事の心細さや、
未来への期待と決意が入り混じった気持ちで、
ゴトン・・・・と、耳の奥で響く列車の音を
かみしめていた自分を思い出します。
8回目の引っ越し
コンピューター室勤務から始まり、
営業職として江戸川区を奔走している時間の経過の中で、
東京ディズニーランドが完成し、3男が誕生したばかりの年に
転勤が決まりました。
故郷九州で、実家に一番近い久留米営業所配属が決まり、お引越し。
トラックに積み込んだ家財一式が九州へ向かって出発した後
私たち5人は新幹線で「福岡県」へまっしぐら。
私が関東へ来るときは列車で丸1日24時間ほどかけての「列車の旅?」
今回の九州入りは「夢の新幹線?」で朝に出て
夕方には福岡天神のホテルでくつろいでいました。
久留米営業所の所長が手配してくれた社宅は
5階建て賃貸マンションの5階で,
風通しも見晴らしも良いところでした。
しかし、
乳飲み子を抱え3人の子育てを背負った妻の眼には
テラスの落下防止柵も、1回までの階段もエレベーターも、
全てが子育てには「5階の住まいは危険の館」だったのです。
動き回る長男・次男と、目を離せない幼児の世話は
神経をすり減らし、とても安心して暮らせない。
案の定、次男が階段でこけて骨折はしなかったが足を怪我❣❣
事情を話し福岡支店総務担当へ社宅変更を訴えるも不能
子供の命の危険と企業の言いぶんを秤にかけて
やっぱり強行突破するしかない、
9回目の引っ越し
すぐ近所で賃貸住宅、木造平屋建て一軒家を見つけて
社宅家賃もマンションより安い事など大々的に訴え
なによりも、子供のマンション・テラス転落死亡記事なども見せ
社宅転居引っ越しを企業に認めてもらいました。
福岡支店総務担当の怒りを買い、
引っ越し費用、敷金や礼金・不動産仲介手数料は
全て自己負担、家賃だけは社宅扱いで補助と言う裁きで決着しました。
10回目の引っ越し
君もそろそろ転勤時期だけど
暑いところと寒いところとどちらが良い?と、問われ。
私は九州暑いところで育ちましたので「暑いところ」と、即答。
おかげで今度は九州よりずっと熱い島「沖縄」への転勤が決まりました
今度は本土とは陸続きではなくお引越しも飛行機
家族5人で飛行機のタラップを降りて大地に立った時
植物園の温室並みの湿度の高さに包まれたのが
印象的でした。
住まいは沖縄営業所の所長が手配してくれた賃貸アパート
沖縄は米軍基地に多くの土地が取られ平地が少ないせいか
狭いアパートでも結構高い家賃なのに驚きました。
既に長男は中学生、次男・3男は小学生
折角沖縄に転勤で来ているのだから
夏休みは石垣島や竹富島へ❣❣
思い立ってもすでに遅し、
全て本土の観光会社が宿泊先を抑えてしまい
仕方なく沖縄本島の北部や中部の民宿ホテルで
ささやかな夏休みを過ごした。
多分沖縄の転任期間は3〜4年の予定だったと思うが
長男の高校進学を考えると、このまま沖縄の高校に進学したら
プラス3年で5年以上になってしまう。
当時、本社人事部の部長が全国の出先支店や営業所を訪問し
直接現場社員の意見を聞くと言う取り組みがあって、
部長が沖縄にやってきた。
一通り取引企業への表敬訪問を終わり
経費は沖縄もちで酒席を用意した。
部長も酒の勢い?で「希望があれば、なんでもいいから言うてみて」
と、言うから
2年で本土に戻りたい
部長:3〜4年の予定じゃなかったかぁ〜本土に戻ってもポストは無いぞ
私 :はい、ポストは無くてOKです、出来れば実家の親も齢ですし
福岡へ戻れたら親孝行できますけど?・・・どこでもいいです。
11回目の引っ越し
なんとなんと2年で沖縄を後に
今度は京都支店の内勤への転任
京都支店・損害調査課の課長が探してくれた
賃貸住宅の借り上げ社宅は2階建て一軒家
なんだか観光地巡りでもしているのか
リゾート沖縄から古都の京都へ
職種もがらりと変わって事故や災害の支払い部門
一番多いのが交通事故の現場調査や示談交渉。
人間同士の利害関係の争いや保険金詐欺事件の裁判やら
兎に角、裁判官にでもなったのかと思われる程?
民事賠償に関する勉強もして、公平な判断での支払い事案の解決にあたった。
石の上にも3年
損害調査として独り立ち出来たのか如何か判らないが
顧客対応の迅速化をはかると言う人事政策の反映として
営業所への損害調査担当部署の設置が進められた。
まだまだ・・・お引越しは続きます
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