人生いろいろ 引っ越しも色々 私の体験談
引っ越し貧乏
かぞえ上げると
よく引っ越しばかりしていました。
思い返すと、その時そのときの思い出があるものですが
後になって思い起こすのは「引っ越し貧乏」
だいたい1回の引っ越しに4〜50万円程が
無くなっていったような記憶がします。
それでも、新しいところで新たな生活が始まると言う
ワクワク感は、私を元気にしてくれたと思います。
人生七転び八起きでもないけれど
引っ越しはいらないものを捨て
新しく入用なものを揃え、
きれいさっぱり区切りをつけて
気持ち的に リ・スタートがきれる点は、
良かったと思う。
人生区切りをつけて再出発
最初の引っ越しは
身体ひとつにボストンバック(トラベリングバッグ)1個
時代は昭和
当時、金の卵と騒がれた中学卒業生の集団就職
似たように、銀の卵?か、何か知らないが
私も工業高校卒業生として、生まれ故郷の九州をあとに、
就職列車?(煙を吐く機関車)で関東へ ❣ 当時19歳。
このころの企業には食事付きの独身寮があり
改めて家賃などの心配はしなくて済みました。
工業高校電気科を卒業したため
オシロスコープなどで、電流電圧の波形を観たり記録したりの
電気関係の仕事を担当するものだとばかり思っていたのが・・・
現実は大違いで、5mほどの大型機械を操作しながら
勤務も不規則3交代の、製造作業でした。
電気関連業務への配置換えを申し出るも実現不能、
さっさと1年で転職を決意。
2回目引っ越し
からだ一つで故郷を出た者にとって預金もまだ少なく、
転職先の企業に独身寮が有るか、無いかが必須条件でした。
今回も身体ひとつにボストンバック1個で引っ越し完了
神奈川の工場は希望通りの電気関連企業で
電子計算機の検査業務 ❣ 当時20歳。
途中で小田原工場への転勤などで
3回目の引っ越しも有りましたが、
同じく身体ひとつにボストンバック1個。
憧れの電気の仕事
憧れのオシロスコープも駆使しながら
基盤の電気信号やパルスのずれを直したり、
電子計算回路のフローチャートを
μ/sパルス同期で理論解析したりと、
仕事や、学ぶことが楽しい1年でした。
それでもこの企業は
中卒は調整部門、高卒は検査部門、大卒は設計部門
学歴で職種が決まっている事に嫌気がさして
再び転職活動を開始
時代の花形?
コンピューターの製造検査よりも
コンピューターを使う側になりたい ❣
当時21歳、少しづつ世の中が解り始め
ブルーカラー(技術系)からホワイトカラー(商用事務系)への
転身を目指し、チャンスを待った ❣
(新聞の求人欄を欠かさずチェック)
4回目の引っ越し
コンピューター操作員
オペレータ及びプログラマーの求人募集
80数名の応募者が殺到する中
1次面接 筆記試験 2次面接 身体検査
1日がかりの採用試験が終わった時には
4名しか残っていませんでした
なんと運が良いのか、神も仏も私を応援したとしか思えません。
勤務地は神田・大手町
金融関連企業の8階コンピュータ室
独身寮は鉄筋コンクリート3階建て個室が用意された
以後、この企業を退職するまで30数年勤務する事となります。
ここまでは独身時代で
家財も少なく独身寮から独身寮への引っ越しで
引っ越し貧乏にはならなくて済みました。
これから以降は結婚し家族帯同での転居・転勤など
お金のかかる事ばかりになりますが
ちょっと長くなりすぎて疲れましたので
続きは後日UPします。
続きはこちらです人生いろいろ 引っ越しも色々 私の体験談(その2)