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2018年03月21日

支える絆あればこそ つながり求め母は輪の中へ

支える絆あればこそ つながり求め母は輪の中へ
支える絆あればこそ つながり求め母は輪の中へ /兵庫
 ユニバーサルファッションショーでウエディングドレスを着た脳性まひの高山麻貴さん(44)は現在、神戸市長田区のシェアハウス「リ・スマイル」で、運営するNPO法人「ウィズアス」の支援を受けながら1人暮らしをする。同市須磨区で暮らす父・二雄(つぎお)さん(70)と母・由美子さん(67)は「親亡き後」を考え、同居していた長女を自立させる決意をした。このシェアハウスにたどり着くまで、親子は各地をさまよった。第三者の支援の輪の中に入り、ようやく親子が落ち着ける“安住の地”を得た。
 証券会社に勤務していた二雄さんはいわゆる転勤族だった。福岡県久留米市から、堺市、大阪市、神戸市と一家は住まいを転々とした。バブルさなかの頃、夫の帰宅は毎日、深夜になっていた。自然に子どもの療育は妻が一手に担う。
 由美子さんの立場を考えると、重い障害がある娘を抱えながら、見知らぬ土地で生活する母親の精神的負担は計り知れない。周囲には自分たちを支えてくれる人もいない。受けられる障害者福祉サービスも一様ではなく、引っ越す度に自治体間格差に戸惑った。
 それでも、由美子さんは気後れすることなく麻貴さんを連れて地域の輪の中に入っていった。娘を隠すのはやめよう。それより一歩進んで、娘の存在を地域の人々に知ってもらおう。麻貴さんが生まれてから、そう夫婦で話し合っていたが、新しい地域になじもうとする姿勢は、転居の度に身につけた母親の「たくましさ」だろう。
   ×  ×
 「助けて。まだ麻貴が、娘がベランダにいるんです」。由美子さんは大声で叫んだ。1980年7月11日の昼下がり。三つ目の転居先の大阪市港区の11階建てマンションの9階自宅で、由美子さんは家事の疲れからうたた寝をしていた。麻貴さんと1歳違いの次女の泣き声で目を覚ますと、部屋は炎に包まれていた。「早く逃げよう」。娘たちをせかして部屋を脱出すると、次女が「お姉ちゃんがいないよ」と叫んだ。
 当時小1だった麻貴さんは、ベランダに取り残されていた。もうそこまで助けに行けない。「助けてー」。母は何度も叫んだ。聞きつけたマンション近くの米配送会社の従業員が非常階段から9階まで上がり、間一髪、隣室から麻貴さんを救出してくれた。自宅は全焼した。
 由美子さんの日ごろの近所づきあいで、地域の人々は「あの家庭には障害のある子がいる」と知っていた。地域とつながっていたからこそ救われた命。由美子さんは改めて、地域で支え合う重要性を感じた。
   ×  ×
 95年1月17日の阪神大震災では、一家は無事だったが、須磨区の自宅が半壊。麻貴さんを通わせていた神戸市立垂水養護学校(当時)で同じ保護者だったNPO法人「ウィズアス」代表、鞍本長利さん(67)=同市長田区=が安否確認に来てくれた。同校を障害者専用の福祉避難所として開設するから、避難するように勧められた。麻貴さんは以後144日間にわたり他の仲間やボランティアと避難所で暮らした。
 そこで励まし合って培った絆は、さらに強くなる。地域で暮らしたいという障害者仲間の願いを実現しようとシェアハウス構想を描いた鞍本さんに、高山さん夫妻は共鳴。2014年5月に開所したシェアハウスに麻貴さんを入居させ、二雄さんは「ウィズアス」の理事にも名前を連ねて、運営に協力する。
 由美子さんは「親子だけで生きていくには限界がある。支えてくれる絆があったから、私たちもようやく落ち着くことができた」としみじみ語る。
毎日新聞  2018年3月12日
posted by tiryousyoku at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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