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2019年07月15日

【!注意!】危険!キケン!KIKEN!ついに来やがったか・・・(山の恐怖番外編)【!喚起!】

必ずお読みください!

今回は、「これはなんでしょう?」などとのんきになぞなぞ遊びをしている場合ではないくらい、非常にリスキーな菌を発見したので、注意喚起を目的として書く。

おそらくご存じの方も多いと思うが、まずはご覧いただこうか。

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お?

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ほえ??

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うぎゃーーーーー!!!!

つーことで、もうおわかりですね?
菌類のなかでも「最恐」の呼び声高い「カエンタケ」の可能性がかなり高いんじゃないかなーと、個人的には分析している。

カエンタケは食ったら即死、触っただけでも大やけど様のびらんや炎症が現れるというツワモノ。実はこのあたりで、カエンタケによく似ている「ベニナギナタタケ」というきのこが、年によってはかなりたくさん発生するのだが、ベニナギナタはこの時期に発生した姿を見たことがない。それに色、形が微妙に異なっていることから、やっぱりこいつはカエンタケなんじゃないの?と判断した。

なんつっても、ちょっくら引っこ抜いて観察してみるかね、というわけにもいかない菌なので、今度ばかりは実食してこうでしたー!なんていう自殺行為は不可能、あくまでも分析と推測しか許されない、何かと許容範囲が狭い菌である。

ちなみに、上のはまだ幼菌で、成菌になると、人間の指のような形へと変貌を遂げ、かなり気味の悪い菌である。なお、カエンタケは細菌兵器の材料としてつかわれることもよく知られる。ベニナギナタとの誤食で死亡例もあるというが、まかり間違って一命をとりとめたとしても、脳障害や運動障害など、かなり重篤かつ深刻な後遺障害が必須ということで、なかなか悪質な菌だ。

保健所に連絡したところ、相当のんきなトーンであったが、今年のように梅雨らしい梅雨ともなると、大木でも根腐れは避けられない。そういうときに、全国規模で多発しやすい菌だというから、幸いにもこのブログに目を留めた読者は、十分注意すべきである。これを読んでるアンタ、ラッキーでしたねー。

全国的というくらいだから、わざわざ私が入っている山の具体的な情報を公開する必要もないだろう。

てことで、みなさん、お大事に。

2019年03月22日

山で起こる不思議〜山の恐怖x

必ずお読みください!

セリは順調。今まさに「旬」という感じである。やっぱりセリはこのくらいのサイズが一番うまい。

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これまでも↑くらいのサイズのセリを毎日のように収穫していた。それは「いい季節になってきたなー」と書いた日以来のこと。でも、その数自体は決して多くなかった。セリの赤ちゃんばかりだったのだ。だから、ちょうどよいサイズは1日分ずつ収穫していた。しかしこのくらいのベストサイズの株がどんどん増えてきているのが毎日うれしい。赤ちゃんが育ったんですね。今まさに「一番いいとき」なのだと思う。

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↑これまでの3倍くらい収穫。おそらく3日分くらいある。とはいえサイズ的には小さいので、収穫に2時間もかかってしまった。

田んぼというわけではない。なんなんだろうね、あそこは。よくわからんのだが、やたらジメジメとしただだっ広い土地がある。私の土地ではない。他人様の土地。だから例によってセリ泥棒である。私の家の周りには山の塊が多い。塊が多いというのもおかしな言いぐさか。塊がある、が正しいのかな。塊はあるけれど、上の画像のセリを収穫したのは塊とは別の方向にある山ひとつを越えたところにある湿地。

取り忘れたイボのような山だから、人が入っている姿を一度も目にしたことはない。いかにも目的がなさそうな山なのだ。だからもちろんその麓の湿地に立ち入っているのも私くらいのものだとは思う。

一面に広がるセリの赤ん坊を見つめ、ちょっとノッポの飛び出したセリ(上の画像のサイズの)をつまんでつまんで、だいたい1時間くらいしてからかなぁ・・・やおら山のほうでゴソゴソと音がしはじめた。そのあとの1時間は終始、そのゴソゴソ音が断続していた。

クマやイノシシには会ったことがない。でもクマやイノシシなどのいわゆる「猛獣」の音ではないだろうという想像はついた。おそらくカモシカだったんじゃないかな。ポツンとそこに置かれたような山ではあるけれど、野生獣の気配は確かにあった。だから「カモシカだろうし、こっちには来ねえだろうな」と思いなおしてセリ摘みに専念した。

ふと思った。この山、人の気配がまったくない山である。さっき書いたとおり。でもどういう理由かは知らないが、いわれがわからない「祠」がすごく多い山という印象があるのだ。実際私は年末その祠のいくつかにお礼参りをした。酒ではなく、1円玉を備えた。

ふつう山道ってこうやってつくるか?というくらい直線的な山道に沿って、4つの祠をすでに確認している。もしかしたら、道がない到達不能ポイント的な場所にもまだまだ祠があるのかもしれないな・・・そんなことを考えていたのだ。

いや、だからといってあのゴソゴソ音が祠と関係しているとは思わない。あれはどう考えてもカモシカ的な何かだろう。カモシカと祠の間に何らかの関係があるはずもない。そういえば・・・思い出した。


「塊」のほうの山の話だ。いつもヒラタケやキクラゲやタマゴタケをとらせてもらっているなじみ深い山。こちらは「廃道」なので、道の幅としては、車1台なら余裕を持って通ることができるサイズである。

セリ摘みで超えた山のように平穏な山道ではない。廃道のほうは本格的な山岳道路である。ときおり何を勘違いしたのか、チャリで入り込んだけっこうな歳と思しきおっさんが、すれ違う私に「ああ、キツイ・・・死ぬかと思った」とこぼして立ち去ることもある、それくらい急勾配のアップダウンが連続する山道である。

そんな道だから、民家などまったくない。私が学生時代はまだ廃道ではなかったのだが、あの道を通る車はほぼなく、当時から民家はなかった。というか、いくら建築技術が進化した現代でも、あそこに家を建てるのは物理的に無理があるだろう。無理ではなくても、あんなところに家を建てるメリットは、ふつうない。

そもそも廃道の入り口に続く林道の入り口にポツンと1軒民家があるだけで、そこから上はひたすら崖伝いの道である。その林道の道中に、以前お話した雌鹿の亡骸があった。まあ何にしても、私が毎日のように歩き親しんでいるその先の廃道は、何かと曰くが語られるエリアでも実はある。

まあそういう過酷な環境だから、ハイカーや本物の競輪選手以外に入り込む者はない廃道である。であるにもかかわらず、どういう事情かはわからんけれど、超小ぶりの「鳥居」がしつらえられている箇所が1か所だけあるのだ。

どう考えても人間が通過できるサイズの鳥居ではない。大型犬でも無理といったサイズ感である。しかも、崖伝いの、その鳥居をくぐろうものなら崖から滑落するに決まっている方向に鳥居入り口があるのだ・・・

まあこのあたりは山岳信仰が盛んな山もあるのだが、私が入る山でそんな話は聞いたことがない。たまに耳にするのは「おばけ」関連のウワサばかりである。おばけと山岳信仰とは共通点がありそうで、まったく逆方向を向いているようでもある。

問題はこの鳥居。私は鳥居の役割や意味合いなど、イマイチ理解していない。いやウソ。イマイチどころかまったく理解していないのだ。でも神様的な何かを示すモノであることはなんとなくわかる。伏見稲荷なんて、ものすごく神様っぽい気がするのは、おそらく気のせいではないだろう。

気になるじゃないですか。家も人もいない、野生動物しかいないような山の中である。いてもせいぜいおばけくらいのものだ。そんな山の中に、どうして鳥居が必要なのか。考えれば考えるほど、私にとっては不思議な存在だった。

では、いったいその鳥居がどんな鳥居であるか、みなさんにもご覧いただきたい。こちらである・・・

と、そんなふうに説明することができれば、この話にもある程度の信憑性が生まれると思う。それなら明日にでもその鳥居の写真を撮ってくればいいのに・・・そう思うだろう。しかし私はそう思わない。というのも――

このブログを始めるはるか昔。といってもおそらく3〜4年前のことだったと思う。今になってあの鳥居が不思議だと思うようになったわけでは決してない。はじめてその鳥居に気づいたときから、なんでこんなところに鳥居がある?とは思っていた。

その鳥居、ほんとうに不思議なのだ。特に深い意味があったわけではない。当時は競馬以外のブログを書いてもいなかったし、特に写真を撮る必要はなかったのだが、数年前から気になる野草や山菜、きのこなどはことあるごと、写真に収めてはいた。当然そんな不思議な鳥居もヘタクソなカメラマンの被写体として十分な資格を有する程度に不思議だった。

私はその鳥居をファインダー(というかディスプレイ)に収め、スマホのシャッターを切った。ところが・・・

どういうわけかシャッターを切ることができないのだ。そもそも手ごたえのないスマホのボタンの感触が、私はどうにも好きになれないのだが、しかしシャッターを切るカシャっという音がしない気持ちの悪さは、得体のしれないものを踏んでしまった後味の悪さに通じるものがあった。

あれ?と思い、もう一度ボタンを押す。つまりスマホのシャッターを切ったのだ。それでも同じ。カシャ、の音がない。ディスプレイには相変わらず赤い鳥居が鎮座していた。そのときは特に深く考えず、あれー、どうしたのかな・・・と思いながら何度もスマホのボタンを押し続けた。それでも、どうしてもシャッターが切れなかったのである。

スマホを再起動してもダメ。電源を落としてSIMカードを一度抜いて、もう一度挿入してからスマホを起動してもダメ。あれあれあれ???スマホが壊れたか?そう思い、鳥居と反対側の絶壁に咲くフキノトーをファインダーに収めてシャッターを切ると・・・カシャ!

あ。撮れた。もう一度鳥居ともフキノトーとも関係ない花を目標にシャッターを切ると、カシャ・・・あれ、直ったか?そう思って再び鳥居にレンズを向け、シャッターを切ろうとする。でもね、やっぱり鳥居だけはシャッターが切れないのだ。

みなさん。この出来事をどう解釈しますか?まあ私は、これは何か不吉なことだとかおばけだか神様がどうだとか、そういうこととは関係のない「スマホカメラの不具合とそれが起こるタイミングの偶然」と解釈しましたよ。

だからもう何回かボタンを押しましたよ。でもね、やっぱりシャッターがどうしても切れない。鳥居だけは。そこで考えました。事情はよくわからんけれど、もうこれ以上無理に鳥居を写そうとしないほうがいいんだろうな、きっと、と。それ以来、鳥居の写真は撮らないことにしている。その鳥居は今もある。昨年の台風にも負けなかった。

説明がつかないからそれが即おばけだとかなんだとかに直結することはないと思う。でも、事情はどうあれ、説明がつかないことってやっぱり起こるんですよねー。ほんとうに不思議。

この山ではこういう不思議な出来事がほかにもけっこうある。実は昨日セリ摘みに行くために超えた小山でも、不思議なことが起こった。

そういうお話を、また少しずつしていこうと思う。

2019年02月21日

山の怪異0

必ずお読みください!

忙しかったことも確かにあるが、何しろこの時期はネタに乏しい時期である。だからなかなかブログを更新することができなかったが、ようやくひと段落ついたこのタイミングで久々に更新である。

更新していない間もできる限り山には通っていた。まだ春の気配は遠いが、それでもおそらくあと1週間もすれば春を告げる山菜が顔を出すことだろう。そのときにはまたブログを更新しようと思う。

ブログを更新しない間もまあ木の実を摘んだりキクラゲを採ったりして山のリスのような暮らしを相変わらず送っている。

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↑いろんなきのこが生える木の裏に生えた古いキクラゲ
↓その表側で雨をたっぷり吸い込んで丸々と太ったキクラゲ
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↓同じ木のコケ中キクラゲ 今季はヌメリスギタケ&モドキが出たがエノキが出なかったなぁ・・・
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でも今回は山の幸情報がテーマではない。それ系は完全なネタ切れである。そこで今回は久々となる「山の恐怖シリーズ」を再開する。

山ではいろいろなことが起こる。動物たちの凄惨な死に様を何度も目の当たりにしてきたし、時に自らの生命の危険を――それが動物によるものであれ動物以外の物理的なものであれ――本能的に察知したことも数知れず経験した。

そもそも私のように野生の山菜やきのこを口にする人間は、常に生命を脅かす危険と隣り合わせだ。トリカブトだってタマゴテングタケだって滑落だってイノシシだって、遭遇したからには「いちころ」である。

だからおそらく山に入らない人の多くにくらべて「恐怖」という感覚にとらわれる機会は多く、そういう感覚を察知する専用のインターフェースはそれなりに優秀なのだと思う。

山菜やきのこをとるのは、そういうインターフェースの精度を高めるためでも磨くためでもない。単なる道楽だ。でも意識とは裏腹に、好むと好まざるとにかかわらず、そいった未知なる感覚はどんどん鋭くなっていっているような気がすることも確かだ。


なあーんてことをほざいたりすると、いかにも私がこの世のものとも思えぬ魑魅魍魎との遭遇を日常とする稀有な人間であるかのように聞こえるかもしれないが、そんなことはまったくない。あなたと同じ「ただのおっさん」である。

これまで鹿が死んでたーとか鳥がいっぱいいたーとかクマのうんこだーとかいろいろな恐怖に触れてきたが、そのいずれもが極めて「現実的な恐怖」であった。見た瞬間、あるいは目の前の状況をちょっとだけ考察した結果、すぐに状況説明が可能になる種類の恐怖だったと思う。

まあ人が入らない山の中に好んで入るのだから、そういうことが起こるのはごく当たり前のことなのだと解釈している。それはある意味「慣れ」であり、またある意味では危険回避の感覚の鈍化でもある。

ところが、恐怖というほどのインパクトある感覚ではないものの、なにか奇異な、あとになっていくら考えても説明がつかないような「違和感」といった種類の感覚を察知することも、山の中ではけっこうある。そんな話をいくつかしていきたいと思う。

でもそんなことをいうと、いわゆる「おばけ」の話なんじゃないかと思う読者もいるだろう。はじめに断っておくが、そういう話とはまた別モノである(と信じる)。そもそも私は死んだ人間や動物が再びこの世に現れるといったオカルティックな話は原則信じない人間である。要は「頭がカタイ人間」なのだ。

それどころか信じる、信じないという言いぐさがそもそもキライである。もちろんそういうワケわからんものを信じる人も信じない人も否定はしない。ただ、自分の中では「ありえない」という自信というか、妙に確立した解釈に慣れてしまっているので、信じるとか信じないとか、そういう次元では「不思議なこと」をとらえないのだ。

「信じる」という人はもちろんそういうものを信じているのだと思うが、「信じない」と公表する人だって、そういうものを一旦は受け入れてあれこれ吟味した結果の公表なのだ。私は受け入れることさえしないので、信じてもいなければ信じていなくもないという煮え切らない考え方の持ち主である。要は「わからん、知らん」というスタンスなのだ。

そういうものを信じているわけでも信じていないわけでも受け入れているわけでもない。しかし「は?」というようなことは実際に起るからこの世はおもしろい。いや、あれはもしかしたら「あの世」のことなのか?まあそのへんのところがよくわからないのだ。

山で起こったそういう不思議なことは次回改めて紹介するとして、私がなぜそういうものを否定的に解釈するのかを簡単に説明しておこう。頭の悪さはこれでもかというくらい自覚しているから、頭ごなしに否定するのも好きではない。否定する以上はそれなりの根拠が必要なのだと思っている。

私がそういう妙なものを否定する理由は、「裸のおばけ」を見たという経験者の絶対数が少なすぎるからである。もし死んだ人間や動物が再びこの世に現れるのであるなら、それは必ず「裸」でなければならない。

そういうものにまったく疑いの目も向けず妄信する人にこの話をすると、半ば驚き、半ば憐みをたたえ、ものすごくバカな人間を見るような三白眼で私を見るからいつも悲しく惨めな気分になる。そういう目でこれを読んでいる読者は今すぐやめるべきだ、その目つきを。

で、裸の話。だいたいおばけってやつは、髪の長い白い服を着た若い女だとか、赤いワンピースを着た色白の若い女だとか、全身から血を流した兵士の男だとか、そんな話が多すぎやしないか?また死んだじーちゃんやばーちゃんが出てきたという話だって、きっと着衣のおばけなのだろう。これが納得いかない。

全身から血を流した全裸の男だったとしたら、そいつが兵士であることなんて絶対にわからない。私なら「全身から血を流すような不運に見舞われた変態男」と解釈するだろう。だから「兵士」と解釈する以上、彼は迷彩服のようなものをわざわざ身に着けて、体験者の目前に登場したはずだ。やっぱりどう考えてもおかしい。

おばけ(幽霊?)とは何か。私は興味がないから詳しくは知らないが、結局のところ「死んじゃった人(や動物)」の再現という解釈でほぼ間違いないだろう。では聞くが、人が死んだときにはその人が着ていた服も一緒に死んでるんですか?そして一緒におばけになるんですか?という拭われることがないギモンがいつだって浮上するのだ。

人が死んでおばけとして再現されたならわかりますよ。でもね、死んだのはあくまでも「人」なのだから、出てくるなら裸で出てこい!という気分なのだ。もちろん全身から血を流した兵士の男やじーさんやばーさんはお断りである。そんなもん全裸だろうと半裸だろうと、絶対出てきてもらっては困る。

ただ長い髪の若い女や赤いワンピースの若い女であれば、まあ私も鬼ではない、受け入れるスペースがココロに多少なりとも残っているとは思う。


以前ね、そういうことにものすごくお詳しい知人にこの話をぶつけたことがあったんですよ。その知人はものすごくおもしろいことを言っていましたね。

なんでも、人にしろ動物にしろ「物」にしろ、すべてのものにはエネルギーがあって、実体が滅びたとしてもそのエネルギーはこの世にとどまり、それが見る者の波長によって見えることがある・・・んですって。なんのこっちゃ。

エネルギーって・・・じゃあ、おばけのエネルギーって何ジュールなんですか?

訊きましたよ、わたしゃ。そしたらね、その方は言うんです。また「例の目つき」で。

あなたね、そういうことじゃないのよ。そういうこの世の常識にとらわれてはいけない。死んだ人が着ていた服にもちゃんとエネルギーがあるの。だからそのエネルギーをあなたは見ている。わかる?

わからない。まったくわからない。完全な脱力状態&ハニワ顔である。じゃあぼくが見た妙なものが着ていた服のエネルギーは何ジュールなんですか?とはもう訊かなかった。

そんな理由で、私は「そういうもの」を否定的な側に立って考えなければならなくなってしまったのだ。といいつつも、実際に説明がつかない出来事はあった。山の中で。まあ意外にも「山の外」でも昔はけっこうあったんだけどね。

また機会を見ながら、山の中限定で「説明がつかない出来事」に触れていきたいと思う。

2018年12月29日

お礼参り/なんかおった(山の恐怖4)

必ずお読みください!

例年のことなのだが、1年お世話になった山(もしくは山の神)にお礼参りに行くことにしている。きのこなり山菜なりを採らせてもらった木や地べたに、持参した酒をぶっかけている。

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だから一昨日「今年はもう行かない」と書いた気持ちが悪い道にも行った。まだ日が高い時間帯であるにもかかわらず、気持ちわりい道の奥は真っ暗。気持ちわるさに拍車がかかっていた。

主にヒラタケ、春〜夏にかけては山ミツバを採らせてくれた場所なので、酒もたっぷりぶっかけた。お礼であるにもかかわらず、新たなヒラタケが発生していて驚いた。

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↑2本目のホダ。ちょうど元日あたりが採りごろか。
↓気持ちわりい道のメインホダ木のとなりの木。このヒラタケは凍っていた。
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昨日に続き今日もお礼回りが無事終了し、明日はまた別の場所でお礼をしてこなければと、意識はすでに明日に飛んだタイミングで、私の耳に不吉なガサゴソ音が飛び込んできた。

以前この一帯はカモシカの群生地であるという話をしたと思うが、ガサゴソ音の大きさに思わず振り返って、その瞬間その大型獣はカモシカではないことに気づいた。

茶色っぽく、妙に四角い大型獣だった。前回掲載した写真からもわかるとおり、イノシシがこのあたりでどうやら出没している。しかしいくら光が差さない薄暗い山とはいえ、こんな真昼間からイノシシが出没するとは考えにくい。

とすると、クマ?可能性としてはクマの確率が高いと思われた。しかしクマがこの時期に出歩いたりするのだろうか?絶賛冬眠中であると考えるほうが自然だと思うのだが・・・

といいうことで、明日もお礼参りは続く。

2018年12月16日

山の恐怖#3〜山の超恐怖/家の恐怖

必ずお読みください!

今年はもうヒラタケは出そうにない。ヒラタケはそろそろいいや、なんて思ってたんだけど、いざ出そうもないとなると、なんだかとても寂しい気がする。だから出そうもないと思いながら、出現率が高い「気持ちわりい道」に足を運んでいる。

不意に、やけに甘い香りを察知する。あ、あまーいと思ってその原因となっている対象物を探ると、そこにはこんな赤い実があった。あ、これはクサギってやつだと思い、私は思わず顔をしかめた。イケメンも台無しである。

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クサギは「臭い木」だからそう呼ばれるっつー話をどっかで聞いた。もしくは見た。クサギの臭さは私もよく知っており、とてもあのあまーい香りと同一人物とは思えなかった。そこでもうちょっと探してみると・・・その隣に名もなき(いや、私の頭の中に名がなき)木があった。紫のかわいらしい実をつけていた。

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なんやこれ?と関西人でもないのにそんなことを思ったが、こんな山んなかで答えを教えてくれる者などない。そんな者が急に現れたらとんでもなく怖いから、教えてくんなくてもいーやと思い、とりあえずつまんで食ってみた。甘い。香りにたがわぬ見事な甘さ。

でも果実らしい香りにはおよそ乏しかったのは少し残念。これ、あとで調べたらどうやらムラサキシキブという木の実だという。

甘い香りのおかげで、気持ち悪い道の割にはリラックスして歩いていたが、やはりこの道はひと筋縄ではいかない。何かと物騒な話が耳に届く今年のこのあたりの山だったが、個人的に今年最高級の恐怖を味わうことになる。

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↑何者かがこのぬかるみで何らかの行動を起こしたらしいことがわかる。周囲の木や草が倒されている。

こんなところになんで水たまりがあるのかなーと考えながら日々この道を歩いているのだが、水たまりが周囲の土と混じって、完全な「泥」へと変貌していた。この場所だけではなく、道という道が何かでえぐられたような痛々しい傷痕を刻んでいた。

その正体を推測する重要な手がかりを見つけた。

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↑中央部のくぼみはおそらく大型獣の後足のあとだろう。
↓そしてこの特徴的なフォルムの足跡。もちろん前足のあとだ。こんな足跡を残す動物はアイツくらいのものだ。
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やっぱりねーと思った。十中八九イノシシである。「豚足」というやつに酷似する。まさか豚ってことはないだろう。やっぱりどう考えてもイノシシなのだ。この道、とにかく大型獣の気配が濃い。何かの足跡がたくさんあるのだが、それが多すぎてよくわからなかった。でもこれではっきりした。

この道の道幅は狭い。こんなところでイノシシと出くわしたら一巻の終わりだなぁ・・・

山を歩き自然に親しむのは楽しい。でもときおり不意に死のにおいを嗅ぎとることがあり、ヒヤッとする。しかも生々しい死のにおいだ。先日の雌鹿のように。とりあえず今年はもうこの道には行かないことにする。

2018年12月02日

重大な訂正/山の恐怖#2

必ずお読みください!

前回「ヒラタケではないけどなんだかよくわからんきのこ」という感じで載せた写真があった。シモフリシメジに似ている・・・などと書いたが、これは重大な間違いである。なぜ重大かというと、あれ、なんだかわからないもクソもなく、ものすごく有名なきのこで、しかも「食ったら死ぬかもしれないきのこ」だからである。

きのこもそうだが、写真もまったくのど素人である私は、サイズ感など完全に無視して、記憶だけで「確かこれはあんとき撮ったきのこだな」などと思いながら掲載している。これは軽率であった。小さいきのこだとなかなかうまく写らないから、ドアップで撮影しようという意図が見える・・・

あのきのこ、強毒のニガクリタケである。ヤナギマツタケに似ているとも書いたが、実際見れば恐ろしく似ていない。「なんだかわからない」という理由で食った時点で、はっきり言って食った人間が悪いが、「このウソつきブログめ」といっておばけにどろどろ出てこられるのも迷惑極まりないので、これは訂正しておきたい。

傘色がシモフリシメジに似ていたのでついつい「シモフリシメジに似たなんだかわからんきのこ」と書いてしまったが、これはみんながよく知り、どこにでも出る強毒・ニガクリタケであると認識してください。

で、正真正銘の「シメジっぽい木に生える不明種きのこ」の写真を掲載しようとしたのだが、その写真がどっかいっちゃって見つからないので、夏の間に撮影して掲載するタイミングを失ったモエギアミアシイグチを、今回の話とは一切の脈絡を持たず突如掲載しようと思う。

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↑たぶん私が入る山で最も多く発生するきのこ・モエギアミアシイグチ
↓「モエギ(萌黄)」の由来が柄の色に見られる。有毒とされるが毒なんかねえよと言ってバクバクくってピンピンしている人もいるという不思議なきのこと人
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まあいずれにしても、ヒトってぇのはこうやって毒きのこを食っちまうんだろうなぁということがおわかりいただけたのであれば、これはこれで収穫であった。転んでもタダでは起きない探求心は我ながら見上げたものである。ただ、写真の見間違いだからそんなのんきなことを言っていられるというのもまた事実。

万一ホンモノの毒きのこを食っちまったら転んだまま起き上がるどころか、のたうち回り七転八倒、八転九倒しなければならないだろう。ヘタをすればそのまま息絶えちゃうなんていうことだって当然考えられる。くわばらくわばら。

で、ここからも前回の内容を引きずって、大好評(←いやウソ)の「山の恐怖シリーズ」に話を振る。

(前回までのあらすじ)
雌鹿が死んでるー!→ぎゃああああ!鳥だあああああ!!!→ヒチコックとオーメンだーーー!!!→茶色の鳥でけえ!→あの鳥はフクロウかもしれないけどそれにしてもでけえな→ところでなんで鹿は死んだの?

という流れでお話したと思う。その最後の「なぜ鹿は死んだのか」というところに別の恐怖が潜んでるんですよ、という話で、この結論が今回。

鹿が死んでいたのは、延々と続く岩壁が終わる地点の崖下。おそらく転落死だろう。鳥が群がっていたので鹿の直接の死因はわからない。あの状況で鳥に混じって検死する気にはなれない。そんなことしたら絶対オーメンおばさんになってトラックにはねられて私が死んでいた。

鹿が転落する理由は何か。一番可能性が高いのは、何かに追われていて逃げ場がなくなり、イチかバチかでダイブを試み失敗したというケース。じゃあいったい何が鹿を追っていたのか。あの崖上に入る道を私は知っているが、あんなとこに入り込む人間はまずいないはず・・・やっぱり、ヒト以外の大型獣が鹿に迫った結果と考えるのだ妥当だろう。

つまり、クマ・イノシシ説が有力。しかしイノシシが鹿を襲うなんていう話は聞いたことがないから、確率的にはクマかなという気がする。

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↑クマ、イノシシなど大型獣捕獲用檻。直接的な恐怖ではないが、何かの間違いでこの中に入ってしまったら・・・と考えるととんでもねえ恐怖。自然の中の無機質な檻の不吉な存在感が際立つ。

クマやイノシシが出るということは、当然これを駆除する人々が何らかの動きをとる可能性が高い。たとえば猟銃。銃声を聞いてあわてて逃げ出して転落・・・の可能性も考えられる。クマやイノシシではなく、もしかしたら猟師に狙われた鹿だったかもしれない。ただこの場合、狙われたのは転落現場からかなり離れているはず。転落を確認できる場所で狙ったのであれば、鳥が群がる前に猟師が鹿を持ち去るはずだから。

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↑流れ弾に当たって死ぬ・大けがする事例は毎年数例ある、日本のどこかで必ず。山に入る人間にとって宿命的な脅威だ。

それと、鹿の目の構造がどうなっているかわからないが、「目の錯覚で誤って転落」の可能性もある。説明は難しいが、私も実はそういう種類の恐怖を感じたことがかつてあった。初めて入った山深い場所だと、遠近感や距離感といった潜在的な感覚に狂いが生じることがある。目前の木々と、崖を挟んで向こう岸の木々が「陸続き」に見えることもあるのだ。

崖を挟んで向こう側に行こうと思ってしまうレベルの錯覚なら、ヒトの場合普通にある。突然目の前に空間が現れてキモを冷やしたことはこれまでに何度かあった。

もしこのケースに相当するのであれば、鹿もきっとさぞかし怖かったと思う。でも実はこの種の危険は人間にとっても「山で起こる恐怖」なのだ。こえーよー!!!

「本家予想ブログ」もよろしくーーー

2018年11月29日

山の恐怖#1/サボリの間のヒラタケ

必ずお読みください!

もう何日だったか忘れてしまったが、ヒラタケ後半戦、例年よりだいぶ量が少ないものの、まずまず順調である。

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↑きもちわるい道に発生してたヒラタケ
↓同じ。でもこっちのはあまりにも巨大であまりにも真っ白で、ちょっと気持ち悪くて収穫は見送った。
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↑もう出ねえだろうなーと思ってた気持ち悪い道メインのホダ木、今度こそ打ち止めっぽい
↓ヒラタケではない。色合いはシモフリシメジだけど、ヒラタケが生えてる木に生えてた不明種。前回「ヤナギマツタケに似てる」といったやつに似てる。傘色は違うけど。でもヤナギマツタケはこの時期には出ないはず・・・
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↑2本目のホダ。第2弾がやっと出たか。ちょっと小さいなーと思って、翌日まで待つことにした。これが土曜、翌日が日曜だったので誰か持ってくかなーとは思ったが・・・
↓翌日。ほとんど成長に変化はなかった。たぶんだいぶ冷え込んできた関係で成長が遅くなっているのではないか。
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↑こんな感じ。手前のちっこいのはちょっと前まで「シメジ」としてスーパーで売られていたサイズのヒラタケ
↓いつもこんな感じで収穫してます。これでだいたい2kgちょい。
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ヒラタケの色は、芦毛馬が好きな私にとっては好きな色である。ただ、およそ華やかさには欠けるなぁと思う。ひゃっはー!!!状態のときにヒラタケ画像だらけのこのページを見ると、カームダウンの効果は高いかもしれない。でもヒラタケを生で見るのは危険。ヨロコビと食欲が増してひゃっはーも加速するだろう。

で、ここからは「気分をザワつかせたい人」におすすめのお話。山の恐怖である。今回も現実的な恐怖。

上画像のように、ヒラタケ後半戦にいそしんでいたときに、これは起こった。といっても、この前載せた一連の「腹立つできごと」よりもちょっと前に起こった恐怖。

ちょうど「腹立つ」のときに黄色い暴走バカ車に襲撃されたのと同じ、林道で最も大きなカーブで目の当たりにした。「腹」のときにも少し触れたが、そこに雌鹿の亡骸があった。いや、おそらく雌鹿なのだと思う。はっきりは見ていないが、かなり大きな茶色の動物の頭部が、大きなカーブにしつらえられたガードレールの向こうに覗いていた。

胴体は見えなかった。だから根拠に基づいてはっきりと雌鹿と断定したわけではない。でもあれが雌鹿でなかったら・・・じゃあなんなんだよという新たな疑問&恐怖が浮上するので、消去法で雌鹿ということにしなければならない。話がややこしくなっちゃうんでね。

ではなぜ雌鹿の胴体が見えなかったのか、そして雌鹿としても差し支えないのか・・・ここに今回紹介する「恐怖」の本質がある。ちょっと考えてみてほしい。みなさん、どうして雌鹿のような大型獣の胴体が見えなかったと思いますか?

恐怖ではあるけれど、ホラーではないので「雌鹿の頭部だけが落ちていた」というわけではない。胴体はほぼ間違いなくそこにあったのだ。でも、それが見えなかったのである。なぜか・・・そのとき、私は雌鹿の胴体とはまったく異質のものをしっかりと見ていたのだ。

まさに「恐怖」であった。そろそろ答えが見つかったと思うので種明かしすると、実は、とんでもねえ数の「鳥」が雌鹿の胴体があるはずの場所に群がり、もそもそもそもそもそもそもそもそ・・・とうごめいていたのだ。私は思い出していた。ガキのころ偶然テレビでみてトラウマになった、ヒチコックの「鳥」を。

私は「しーらない。なにもみーえない」と念じながらその脇をすり抜けようとしたが、カーブのRが小さい(曲率が大きい)くせに勾配も非常に急である。私がいくら知らぬ存ぜぬを貫こうとしても、車のエンジンが「はいはい鳥のみなさーん、車が通りますよー!!!」と大声で唸りやがったので、鳥の数羽が飛び立った。

釣られて10羽くらいのカラスとやたらデカイ茶色の鳥2羽くらいが舞い上がった。もう「鳥」と「オーメン2」というトラウマ2部作を同時に思い出さざるを得ない状況は避けられなかった。誰もいない山の中で・・・こんなのカオスのどん底である。意味わかんねえわもう。

あのデカイ茶色(鳥のほう)はなにか?何年も、毎日のように山に入っているが、見たことがない。ここらでみかける鳥の最大の種はカラスである。次いでオオタカと思われる種。一瞬オオタカかとも思ったが、オオタカにしてはデカすぎる。オオタカとはいうけれど、意外と小さい鳥である。まあタカだからね。ワシじゃないから。

トンビかなぁとも思ったが、このへんにトンビがいるなんていう話は聞いたことがない。とすると、可能性があるとすればフクロウだろうか?フクロウなら、季節によってはこのあたりでほうほうと鳴くことがある。でもフクロウってあんなにでけえのか?カラス2羽分はゆうにあったぞ。私の車を先導するように遊弋飛行していたが、鳥にしてはやたらとケツがでかく見えた。

ところで雌鹿はなぜあんなところで死んだのか――思ったよりも話が長くなりそうだ。
雌鹿と思われる大型獣の死についての考察および、そのことに関係するまた別の恐怖についても後日言及する。

「本家予想ブログ」もよろしくーーー

2018年11月26日

第12R〜不明種数種/山の恐怖#0

必ずお読みください!

ここ数カ月で発見した不明種きのこ。もう今回は予想すら不可能なので、知っている人がいたら教えてくださーい!とただただお願いするしかない回である。

なんとか1.JPG
なんとか2.JPG
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これは調べがついてほうほうなるほどへーなんて言ってた覚えがあるが、もう忘れてしまった。調べをつけるのがけっこうたいへんだったきのこなので、もう調べたくないという理由で掲載した。要は、知ってる人は教えてね、というところである。

ちなみに神社入り口鳥居付近にあった古そうな切り株から生えていたきのこ。確かこれ、食えるんじゃなかったかなー。食えるけどまずいですよ的なきのこだったように思う。発生時期は、こちらも不明種だった第2Rのきのこと同時期。

第2Rの不明種もどなたかぜひ教えてください!じゃあ次。

おしろい.JPG
おしろい1.JPG

色的時期的には有毒のオシロイシメジかなーと思ったが、オシロイ感が全然ないのがどうだろうか?白いきのこといえば真っ先に思い出すのがドクツルタケだが、そういう系統のきのこではない。柄の感じからシメジ系じゃないのかなぁ・・・という気がする。ぽつんとたった1本だけ生えていた。時期はついこないだ。

大規模な絶壁前のちょっとしたサバンナ的草地に生えていた。夏にはヤマブキがちょぼちょぼ生え、台風で豪快にぶち折られた山柿の木が近くに生えていた。ほんじゃあ次。

やなぎ.JPG
やなぎ1.JPG

これは廃道に入る前の林道の小規模広葉樹林帯の、台風にひねり折られた広葉樹から生えていたきのこ。ヤナギマツタケってやつに似てるみたいだが、なんか違うんだよなー。ちなみにコレ系のきのこはヒラタケが映えるのと同じ木から、ヒラタケと一緒に生えていたりする。

でもヒラタケと一緒に生えてたやつは、もっとハタケシメジ、シモフリシメジ的雰囲気のきのこだった。木から生えるシメジなんて見たこともきいたこともないからシメジではないと思うんだけど、さっぱり想像がつきません。

つーことで、どなたかどれか1つでもご存知の方は、どうぞご忌憚なく教えてください。では、ここからはガラッと雰囲気を変えて「山の恐怖」について。

ヒラタケ大漁の回では、オオスズメバチとクマが怖いなんていう話をしたが、やっぱり現実的な怖さという意味ではこいつらが断然怖い。その怖さを今日目の当たりにした。オオスズメバチはもうさすがにまったく見ない。いや、クマだって実際に見たわけではないが、今日はクマの濃厚な気配を察知したので、ちょっとこれについてご報告。

実は私、野生獣の糞には割と詳しい。別にそういう趣味があるわけではないが、山に入れば必ずといっていいほど何らかの動物の糞を目にするのだ。ちなみにはっきり目にしたことがある野生獣は、数が多いと思われる順にカモシカ、タヌキ、シカ、リス、キツネ、イノシシの子である。イノシシの子は別の山で、そちらはちょっとした観光地になっているため、大勢の観光客と一緒に見つけた。

観光客たちはのんきにカワイイを連発していたが、ヘタをすれば一緒にいた数人全員が命を落とすことになったかもしれないほどの、たいへんな危険であった。はっきり言って、イノシシは怖い。クマなんて比じゃないほど怖い。私は山でイノシシに出くわしたらもうあきらめる。まさか人が入るエリアに真昼間からイノシシが出るわけがないと思ってはいたが、子供とはいえ、実際に見てしまったのだから参った。

まあこれは一昨年くらいの話なので、その後イノシシの事故があったなんていう話は聞かないから、親がどこかに連れて逃げたのだろう。で、問題はクマのほう。実は、今日廃道入り口すぐのところに、クマの糞らしきものを発見したのである。これとまったく同じ場所に、一昨日もかなり大型獣のものと思われる糞があった。

そのときはこれは何の糞だろうか判断がつかなかったが、今日はおそらくクマのじゃねえかなぁと感じた。クマの糞て、割と食ったもんがそっくり糞になるんだそうだ。今日目撃した糞はまさにそんな感じ。もう山では見なくなったが、このあたりに多い山柿の実のような色の糞と、いかにも糞らしい色のペースト状の糞があった。

クマの糞て、けっこうペースト状になることが多い。しかも何かの実と思われる糞も一緒にあったから、これはどうやらいよいよクマなんじゃないの?と危惧している。糞もかなり新しい感じだったので、けっこうなニアミスだったのかもしれない。

あとは、私はけっこうフユイチゴが好きで、大量に生えている中からちょこちょこフユイチゴをつまんで食っている。これも実は危険なのだ。この山にはキツネ(ホンドギツネ)がいるので、エキノコックス感染症の恐怖も意外と身近・・・こえー。

つーことで、また折を見つつ、あと2〜3回くらいは「山の恐怖」にも迫りたいと思う。こういう現実的な恐怖とはまた別角度の怖さも経験しているので、これについても書いておこうと思う。そのうちね。
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