平清盛 第30回「平家納経」
清盛の次男・基盛の死という大きな悲しみが、栄華を極めつつあった平家一門を襲う。
これを機に清盛は、保元・平治の乱で命を落とした者たちの冥福と、さらなる繁栄を祈願するため、絢爛(けんらん)豪華な33巻の経典を作り上げ安芸国の嚴島の社に奉納することを決意する。
公卿(くぎょう)の仲間入りを果たし、“平家”と呼びならわされるようになった清盛(松山ケンイチ)ら一門。棟梁(とうりょう)の清盛は、二条天皇(冨浦智嗣)と後白河上皇(松田翔太)の双方に忠義をつくしながら、その家を守っていた。
一方、配流先の讃岐国(さぬきのくに)で穏やかに過ごしていた崇徳上皇(井浦新)は、かつての所業を省み、自らの写経を弟・後白河院に送る。しかし、これを気味悪がった後白河院から受け取りを拒否された上、折あしく崇徳院の息子・重仁親王死去の知らせも届く。二重の衝撃を受けた崇徳院は、これまでの不遇な人生を反すうするうち、恨みの頂点に。ついには舌をかみきり、流れる血で呪いの歌をしたためる──。
折しも平家では、基盛(渡部豪太)が不慮の事故で落命する。悲しみのふちにいた清盛は、西行(藤木直人)と語らううち、今の繁栄は多くの犠牲の上に成り立っていると痛感。これまで志半ばで死んだ者たちの魂を鎮めるために、安芸(あき)の嚴島(いつくしま)の社への経典の奉納を決める。
1164(長寛2)年8月、経典はついに完成。しかし、平家一門が船で安芸へ向かう途中、突然海が大しけに。彼らは無事に経典を奉納できるのか!?
(2012年7月27日 NHKネットステラ)
崇徳院が、写経を突っ返された上に息子の死を知って、恨みつらみでのた打ち回る描写、まるでホラーのようで…「すっごいな」でも「やりすぎ?」と思ってみてましたが、実は能の「松山天狗」等が元になっていたんですね…。
「崇徳院」で誰もが思い出すのは、やはり「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の…」という歌を手掛かりに熊さんが若旦那が見初めた娘を探し回る…このお話でしょうね(?)
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