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2017年10月20日
6. 〜私の人生〜part 1
こんにちは!シュガーです!
ロシアの結婚レポートについて書きたかったけど、なんとなく今までの人生について振り返りたくなったので書きます。
暗い内容なので、苦手な方はスルーしてください
マリッジブルーになってしまったので、今までの人生に比べて彼といることがいかに幸せなのか自分に気がつかせるために思い出して整理しようと思います。
カテゴリ違いですいません
父は公務員、母はコンパニオン、その二人の間にシュガーは産まれました
2つ下に弟もいます。
あまり記憶にないけど4歳までは普通に幸せな人生だった。
5歳くらいから両親が豹変しました。
父から母へのDVが始まり、父はよく警察に捕まっていた。
母は母で私への虐待を開始
怒鳴られ、殴られ、卑劣な言葉を浴びせ続けられた。
おかげさまで私は大人になってからPTSDと診断され今もパニック障害と闘っている。
(シュガーの彼氏は全部わかってくれている)
かれこれ4年毎月1回病院に通っています
若かった父は母へのDVだけではおさまらなかった。
私の家は田舎だからデカいんだけど、長い階段から父は祖父をつき落としたり、祖母の額をハサミで切りつけた。
階段から転げ落ちていくおじいちゃん。
額から血を流してあんたは逃げなさいと叫ぶおばあちゃん。
当時6歳の私の目に強くその光景がこびりつき、今でもフラッシュバックする。
そして母は祖母をでかい包丁で切りつけた。
もう地獄だった。
毎日怯えて泣いてた。頑張って弟を守った。
そして祖父はしばらくして亡くなり、父は家から姿を消した。
でも母の虐待は止まらなかった。
本当に苦しめられた。
10歳だった私は毎日死にたいって思ってた。
そして母は自殺をした。
死に切れなかったから自殺未遂ですね。
合計10回くらい自殺未遂して毎回1〜3ヶ月、または1年ほど入院していました。
シュガーは当時8〜10歳。
だいたい母は睡眠薬とかその辺の薬を30粒一気に飲んで死のうとしました。
母が自殺しようとするたびにシュガーは必死に止めた。
ヒステリックになって叫ぶ母。
抑えきれなくて、薬を飲まれた。
泣きながら病院に電話して救急車よんで、説明して、看病して。。。
辛かった。
母にご飯をあげたり、私の小さな体で精一杯母を抱えてトイレに連れてって用を足させたりした。
そして、母は回復するとまた私を虐待した。
ドライヤーで頭殴ったりとか。
こんなことされても私の母。
だから見捨てられなかった。
でも母は私を見捨て、どこかに消えた。
取り残された私と弟は児童施設に入れられる話がでてきた。
でも祖母が私達兄弟を引き取ってくれた!
祖母には本当に感謝してもしきれない。
祖母がいたから私は今の自分がある。
女で一つで私と弟を育てあげた祖母。
本当に祖母はすごい。
ありがとうおばあちゃん。。
でも祖母はすごく厳しかった。
マナーが悪かったり、テストで悪い点を取ると死ぬほど怒られた。
トイレで吐くまで泣かされた(笑)
何度も家を追い出された。
しょっ中怒鳴りつけられるし、叩かれるし、、、
母ほど酷くはなかったけど。
今でもたまに家追い出されて、トボトボ夜中そこら辺あるいて足音たてないで家に入ったりすることあるけど(笑)
でもご飯を作ってくれて、洗濯をしてくれて、学校に通わせてくれたのは本当に感謝してる。
そしてシュガーは16歳になると、地元の進学校に入学。アルバイトをして毎日死ぬほど働いた。
将来自分でお金稼げるようになりたいから、勉強もたくさんした。
学年で20位とか。微妙!
でも進学校だったから上の方だったんですよ!
小論文が得意で全国小論文模試では毎回5位くらいでした。微妙!
でも全国ですからね!(笑)
そして19歳になったシュガーの元に父が現れた。
《つづく》
この話はすべて実話で作り話ではないです。
次くらいからは明るい話題になっていくのでよろしくお願いします(*^_^*)
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