2015年03月31日
夢への道筋はある:織田信長
相談者「無謀な挑戦だとは思っていました。いくら頑張っても夢に届かないです…。」
偉人「戦に勝るかどうかと兵力は、必ずしも比例しない。
比例するかそうでないかは戦術、つまり自身にかかっているのだ。」
織田信長(1534-1582)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。織田氏の中でも庶流の生まれであったが、父の代から主家を凌ぐ力をつけ、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ってから飛躍。室町幕府を事実上滅ぼし、畿内を中心に強力な中央集権的政権を確立した。他の有力な大名を抑えて戦国時代の終焉に道筋をつけた最大の功労者で、下克上の時代における最初の天下人となった。
偉人「戦に勝るかどうかと兵力は、必ずしも比例しない。
比例するかそうでないかは戦術、つまり自身にかかっているのだ。」
織田信長(1534-1582)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。織田氏の中でも庶流の生まれであったが、父の代から主家を凌ぐ力をつけ、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ってから飛躍。室町幕府を事実上滅ぼし、畿内を中心に強力な中央集権的政権を確立した。他の有力な大名を抑えて戦国時代の終焉に道筋をつけた最大の功労者で、下克上の時代における最初の天下人となった。
自由奔放で豪快な印象の強い織田信長ですが、戦いに勝つために、緻密な計画をしていました。特にそのことを表しているのが「桶狭間の戦い」です。信長はただやみくもに今川義元を攻めるのではなく、義元が駿河を出発したとき、梁田政綱という家来に絶えずその動きを報告させていました。そして「義元は大高城へ急がず南へ向きを変えて、輿を止めようとしている」という報告を受けたことで、出陣の合図を出したのです。こうして信長は、義元の2万5千の大軍にわずか2千で勝利したのですが、義元の首を取った毛利新助より梁田政綱に厚く報いました。
どれだけ無謀に思える夢でも、必ずそこに至る道筋は存在します。夢に向かって具体的な計画を立ててみましょう。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/3489345
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック