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2019年12月03日
私が長い時間をかけて仕込んだ意地悪
動揺して、リカバリー出来ずに一日がすぎたこと。
彼氏からラインが来た。
動画が添えてあった。
前の、あの家の前を、
車で通過する動画だった。
「だいぶ変わってたよ」
と。
少し高台になっているので
車道からは見上げる形になるのだけど、
母が一から育てた甘夏のみかんの木は、切られているのか、
綺麗さっぱりなくなっていた。
ボロい賃貸に住んでいた頃から
「庭でみかんを育てたい」と希望していた母が、
引っ越してすぐに植え、立派な木になっていた、あの甘夏。
毎年たくさんの実をつけるようになり
ご近所にも配っていた甘夏。
お隣の駐車場に少しはみ出してしまうからと、
こまめに素人剪定したりして。
あの家を追い出されるときも
「あの子たち、この甘夏、育てきるかね」
と私がきくと
「もうこの木は何もしなくても大丈夫だから」
と言っていた。
動画は五秒程度で、
家の前を一瞬だけ過ぎるもので、
他には、私が甘夏の数年後に植えた温州みかんの小さな木が実をつけて見えた。
こっちは切られてないんだ…
最後まで母が、
心残りにしていたブルーベリーの木は
奥の方にチラッと見えた。
よかった、残ってる。
こっちこそ、水ももらえずこの夏に枯れて切られただろうと思っていたのに。
この一年、
私も母も、姪っ子に対して「みかんは無事育ってる?
ブルーベリーは大丈夫?」
と聞くことが出来なかった。
「もう切ったよ」と答えられるのが怖かったから。
この一年の間に何度も
「あの家、どーなったか見に行く?」と彼氏にも聞かれ、
その度に
「ううん、いい」
と答えていた。
見るのが怖かった。
なのに、何でわざわざ動画まで撮ってくるかね。
まぁ、彼氏も心配というか、
気がかりだったのだろうけど。
「甘夏ないね」
と私が返信すると
「こめんね、言わずにおれんかった」
と返事がきた。
きっと、彼も胸がいっぱいなんだろうな、と思ったから、
腹もたたなかった。
ただただ、悲しかった。
悲しくて悲しくて。
あの家を買って、
引っ越す前から私と妹は、
「お母さん、みかんの木植えられるね」
と何度も言いあっていた。
母の夢を叶えられるのが嬉しくて嬉しくて。
家を買ったと母に伝えたときも
「みかんの木、植えられるよ」
と一番に言った。
引っ越してから、すぐに苗を買いに行き
大騒ぎで植えた。
最初の数年は、我が家の冗談みたいな小さな木と近所の立派な木を比べては
「今に見ておれ〜」と笑い合った。
甘夏がなくなったことが悲しいんじゃない。
あの思い出も、
あの気持ちも、
全部もう、どうでもいいものみたいに扱われたことが分かって
…いや、そんなこと本当はとっくに分かってたけど、
形として分かって、
もうどうしようもなくて、
もう、どうしようもなくて。
母もきっとずっと、
あの甘夏はどうなっただろうと思っているのに、
それを考えたら悲しいからと
打ち消して、
そうやって今も、
悲しい気持ち打ち消しているはずで。
お母さん、ためだった。
甘夏、切られちゃった。
お母さんを喜ばせたくて
あの家を買ったこと、
みかんを植えたこと、
頑張って大きく育ててもらったこと、
全部、ごめん、傷つけるためにしたことみたい。
まるで、傷つけるために、時間をかけて仕込んだ意地悪みたい。
あの家を買ったりしなければ
ずっと母はあのボロい賃貸で
「庭にみかんの木を植えたいねぇ」と夢を見ながら
幸せに暮らしていたのに。
ごめんね、
夢だけ見せて、取り上げて。
お母さん、ごめん。
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彼氏からラインが来た。
動画が添えてあった。
前の、あの家の前を、
車で通過する動画だった。
「だいぶ変わってたよ」
と。
少し高台になっているので
車道からは見上げる形になるのだけど、
母が一から育てた甘夏のみかんの木は、切られているのか、
綺麗さっぱりなくなっていた。
ボロい賃貸に住んでいた頃から
「庭でみかんを育てたい」と希望していた母が、
引っ越してすぐに植え、立派な木になっていた、あの甘夏。
毎年たくさんの実をつけるようになり
ご近所にも配っていた甘夏。
お隣の駐車場に少しはみ出してしまうからと、
こまめに素人剪定したりして。
あの家を追い出されるときも
「あの子たち、この甘夏、育てきるかね」
と私がきくと
「もうこの木は何もしなくても大丈夫だから」
と言っていた。
動画は五秒程度で、
家の前を一瞬だけ過ぎるもので、
他には、私が甘夏の数年後に植えた温州みかんの小さな木が実をつけて見えた。
こっちは切られてないんだ…
最後まで母が、
心残りにしていたブルーベリーの木は
奥の方にチラッと見えた。
よかった、残ってる。
こっちこそ、水ももらえずこの夏に枯れて切られただろうと思っていたのに。
この一年、
私も母も、姪っ子に対して「みかんは無事育ってる?
ブルーベリーは大丈夫?」
と聞くことが出来なかった。
「もう切ったよ」と答えられるのが怖かったから。
この一年の間に何度も
「あの家、どーなったか見に行く?」と彼氏にも聞かれ、
その度に
「ううん、いい」
と答えていた。
見るのが怖かった。
なのに、何でわざわざ動画まで撮ってくるかね。
まぁ、彼氏も心配というか、
気がかりだったのだろうけど。
「甘夏ないね」
と私が返信すると
「こめんね、言わずにおれんかった」
と返事がきた。
きっと、彼も胸がいっぱいなんだろうな、と思ったから、
腹もたたなかった。
ただただ、悲しかった。
悲しくて悲しくて。
あの家を買って、
引っ越す前から私と妹は、
「お母さん、みかんの木植えられるね」
と何度も言いあっていた。
母の夢を叶えられるのが嬉しくて嬉しくて。
家を買ったと母に伝えたときも
「みかんの木、植えられるよ」
と一番に言った。
引っ越してから、すぐに苗を買いに行き
大騒ぎで植えた。
最初の数年は、我が家の冗談みたいな小さな木と近所の立派な木を比べては
「今に見ておれ〜」と笑い合った。
甘夏がなくなったことが悲しいんじゃない。
あの思い出も、
あの気持ちも、
全部もう、どうでもいいものみたいに扱われたことが分かって
…いや、そんなこと本当はとっくに分かってたけど、
形として分かって、
もうどうしようもなくて、
もう、どうしようもなくて。
母もきっとずっと、
あの甘夏はどうなっただろうと思っているのに、
それを考えたら悲しいからと
打ち消して、
そうやって今も、
悲しい気持ち打ち消しているはずで。
お母さん、ためだった。
甘夏、切られちゃった。
お母さんを喜ばせたくて
あの家を買ったこと、
みかんを植えたこと、
頑張って大きく育ててもらったこと、
全部、ごめん、傷つけるためにしたことみたい。
まるで、傷つけるために、時間をかけて仕込んだ意地悪みたい。
あの家を買ったりしなければ
ずっと母はあのボロい賃貸で
「庭にみかんの木を植えたいねぇ」と夢を見ながら
幸せに暮らしていたのに。
ごめんね、
夢だけ見せて、取り上げて。
お母さん、ごめん。
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