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2020年02月23日

相田翔子 (Wink)

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相田 翔子(あいだ しょうこ、1970年2月23日 - )は、日本の女優、歌手、タレント。本名非公開。別名、鈴木敬子。1988年から1996年まで活動したアイドルデュオ、Wink(活動停止済み)のメンバー。

東京都東村山市出身。血液型はB型。所属事務所はアップフロントクリエイト。義母(夫の母)は司葉子。義兄(夫の兄)は相澤英孝。義姉(夫の兄の妻)は塩川美佳。

子供の頃は、やんちゃでイタズラ好きだったという。3歳の時、肥溜に落ちて偶然通りかかった姉と友達に助けられたことは、トーク番組でよく話題にされる。歌が好きで、よく姉とピンク・レディー等の歌を歌っていた。ピンク・レディーではケイのファンであった。小学校低学年の頃、近所の友達を集めて草芝居を行うなど活発な少女だった。しかし、幼少期は知らない人の前で何かをすることができず、芸能界への憧れはまるでなかったという。

中学時代クラッシュギャルズに憧れ、入団テストを受けるためトレーニングをしていた。全日本女子プロレスのオーディションに数回応募するが、いつも不合格で断念する。

中学2年生(当時14歳)の時に、友人の応募でオーディションを受けたことがきっかけで、渋谷で芸能プロダクションのマネージャーにスカウトされたのち、芸能プロダクションに所属、歌手としてのレッスンを受け始める。当面はモデルとして活動し、歌手デビューは高校進学後にと事務所と話し合っていた。

高校2年生(当時16歳)の時にソロ歌手としてのデビューが予定されていたが、校則で禁止されていることを理由に辞退。

1987年9月、ワニブックス社の雑誌『UP TO BOY』の第9代ミスアップ・グランプリを受賞(第7代グランプリが後にWinkとしてデュオを組むことになる鈴木早智子)。

1988年4月、高校卒業後に鈴木早智子とWinkを結成し、CX系ドラマ『熱っぽいの!』主題歌「Sugar Baby Love」で歌手デビューする。

1996年3月をもってWinkとしての活動を停止する。

Wink活動停止直後の2年間は、マイペースな音楽活動に没頭した時期である。解散の際に1人では何もできないと感じて引退も決意していたが、事務所にそれを伝えたら、相田には作詞と作曲があるではないかと言われて思いとどまった。この時期の音楽活動の成果は、全曲自作曲による2枚のソロ・アルバム『JÓIA』(1996年5月25日)と『Luz』(1997年5月25日)に結実される。

この時期の活動について、本人はアーティストであることにこだわり過ぎていたという。そして「表現者である限り、恥をかいてもいいから、もっとありのままの自分を表に出していこう」と決心する。この強い決意がバラエティ番組等への進出への大きなターニングポイントとなる。

相田翔子 - Wikipedia

Wink - Wikipedia

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