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2020年01月04日

フィル・ライノット (シン・リジィ)

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フィル・ライノット(Phil Lynott、1949年8月20日 - 1986年1月4日)は、アイルランドのロック・シンガー、ベーシスト、詩人。

その功績に敬意をこめて"ザ・ロッカー" (The Rocker) と呼ばれる。かつて日本語では「フィル・リノット」と表記されていたが、近年は「ライノット」でほぼ統一された。

南米イギリス領ガイアナのジョージタウン出身の父、アイルランド人の母の元にイングランドのスタッフォードシャーで生まれる。母が折からのアイルランドの不況のため出稼ぎに出なくてはならなくなり、ライノットは生まれてすぐマンチェスターにある祖母の家に預けられ、学齢期にダブリンに移るまでそこで過ごす。幼いころのライノットは、映画館で上映されていた西部劇と、エルヴィス・プレスリーの音楽の虜となった。このことは後の音楽活動に多大なる影響を与える。

学業を終えると本格的な音楽活動の道に進み、ブラック・イーグルスを経て、当時アイルランドで最も先進的なロックを演奏していたとされるスキッド・ロウに加入。ここでベースの奏法を習得し、以後ライノットの演奏スタイルが確立される。

スキッド・ロウ脱退後はポエトリー・リーディングの会を開きながら音楽に携わる。当時のアイルランドの流行にあわせアコースティックなサウンドにアプローチしたが(これはシン・リジィ初期まで続く)、幼いころからロック志向を持っていたライノットにとっては本意ではなかったという。

1969年に高校時代の友人ブライアン・ダウニーらとシン・リジィ (Thin Lizzy) を結成し、中心メンバーとして活躍した。

1983年にグループ解散後、新バンド「グランド・スラム」を結成したが不調に終わり、ソロ活動やゲイリー・ムーアとのコラボレーションを行っていたが、1986年にヘロイン注射に伴う内臓の感染症、敗血症により急死。36歳。

1978年、ゲイリー・ムーアのソロ・アルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ』の制作に携わり、最高位8位のシングル・ヒットとなった「パリの散歩道」の作詞を手がける。この曲はムーアの代表曲として彼の生前、必ずライブで取り上げられていた。歌詞の冒頭は"I remember Paris - in 49"(1949年のパリを覚えているよ…)で始まるが、これは父親に宛てたメッセージである。フィルの父親セシル・パリスはブラジル系黒人の軍人であり、アイルランド駐屯中に母親と出会う。1949年にフィルは生まれるが、父親は彼の顔を見ることなく帰国。なお、ライノットは1976年に父と対面を果たすが、自分の幼少期に不在だった父に対して良い感情は持てなかったという。

フィル・ライノット - Wikipedia

シン・リジィ - Wikipedia
posted by あかぎ山はるな at 06:53 | TrackBack(0) | Music

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