*埼玉県比企郡吉見町にある真言宗智山派の寺院になります。山号は岩殿、院号は公明院です。
本尊は聖観世音菩薩。
坂東三一三箇所11札所、関東八十八箇所75番札所。⋆
吉見観音の名前で親しまれているこの安楽寺、今から1300年ほど前に、行基菩薩が岩室に観音像を安置したのが始まりといわれています。平治の乱後には、源範頼がこの地を領するようになります。その時に本堂と三重塔を建立したと伝えられます。しかし、約450年前の上杉憲政と北条氏康の*松山城合戦の時にすべての伽藍は焼失してしまいます。この日もちらほらと家族連れの方やカップルが参拝にやってきていました。中には真剣に長い時間手を合わせて拝んでいる方も見受けられました。
*(松山城とは、四国のではなく埼玉県東松山市にあった松山城のことです。このあたり一帯は北条氏が治めていた場所になります。)
現存する本堂は寛文元年(約340年前)の再建されたものになります。五間堂の平面を持つ密教本殿で、江戸時代前期の建築様式を伝える貴重な建築物です。また、本堂の中には左甚五郎の作といわれる「野荒らしの虎」も納められています。左甚五郎といえば日光の眠り猫が有名ですよね。
朱い阿吽像
安楽寺の門には朱い金剛像が二体左右に配置されています。ほとんど有名な寺院にはこのような像が配置されていますね。阿形像のほうは怒りの表情を表し、吽形像のほうは怒りを内に秘めた表情といわれています。どちらも怒りなんですね。阿吽の呼吸という言葉はこの二体の像から来ています。寺院を守る役目をしているそうです。顔だけでも怖いのに朱色というのが怖さを倍増させていますよね。このような像の顔ってだれかモデルがいるんでしょうかね。すべてインドから来ているとしたらインドの方がモデルでしょうか。
三重塔
松山合戦の際にこの三重塔も焼失してしまったのですが、今から約350年前の寛永年間に再建されたものになります。それでも古い建築物ですよね。この塔の高さは24.3メートルになります。昭和28年に有形文化財として県の指定を受けています。雰囲気的には京都にある五重塔よりも和かな感じのする塔です。350年も前に再建させられたんだと思うとすごいの言葉しか出ません。とにかく古さをあまり感じない。きれいですし、頑丈に見えます。昔の人の建築技術は素晴らしいですね。
仏像と鐘堂
本堂の右横にはやや大きい仏像が鎮座しています。その後ろの背景に三重塔が見えますね。さらに手前には水子地蔵も並んでいます。全体的にきれいな寺院でした。この辺りは行者などが修行したような場所もあり、山自体が岩盤でできています。近くに百穴などの古代の石室群が見られます。岩盤を削って作った岩室観音像というものもあります。
*吉見観音(安楽寺)
〒355−0151
埼玉県吉見町御所374
*アクセス東武東上線「東松山駅」からタクシーで10分
関越道「東松山IC」から20分
駐車場約100台
*参拝時間・夏/8:00~17:00
冬/9:00~16:00
注(コロナの影響により、拝観時間の短縮、朱印時間の変更、拝観休止日などがあります。)
主な年間行事
- 1月:元旦会
- 3月:節分会
- 6月18日:厄除観音会
- 8月9.10:四万六千日(千灯篭)
- 9月18日:施餓鬼会/冬至星供養祭
詠歌
吉見よと 天の岩戸を 押し開き 大慈大悲の 誓いたのもし