2008年11月08日
広島カープの大ファンだった筑紫さん。
旅の途中―巡り合った人々1959-2005
昨年5月に自らガンを発病している事を告白後は、メディアへの露出度も減り、今年の3月に正式に降板していました。
7日午後1時50分、肺がんにより都内の病院で死去73歳でした。
慎んでご冥福をお祈り致します。
そんなに人に会って、どうするの?
そろそろ回想録を……、と提案されて、筑紫さんは考えました。
ジャーナリストとして歩んできた自分は、何かを成し遂げてきたわけではない。むしろ、いろいろな形で「弥次馬」として関わってきた他人様を書くことで、かえって自分を表現できるのではないか、と。
といっても、交友関係は広く、語るべき取材対象も多岐にわたっている筑紫さんですから、取りあげたい人を全て書いていたら、いったいいつ終わるのかわからなくなります。本書執筆に当たって決めた方針は、「一業種一人」という制限です。
ですから、「ニュース23」のエンディングテーマを作曲して歌ってくれた井上陽水も、朝日新聞社内で認め合った“畏友”石川真澄も、他の人物のエピソードの一部に登場するだけです。筑紫ファンには若干もの足りない気もしますが、確かにこの一冊を読めば、筑紫さんの歩んできたジャーナリスト人生、反体制的な生き方が俯瞰できます。筑紫さんの意図通りといってよいでしょう。
私があらためて感じたのは、筑紫さんの文章の魅力の一つは詩的表現にある、ということでした。
なかでも、絶筆『我、拗ね者として生涯を閉ず』の完成を目前にし、壮絶な最後を遂げた本田靖春氏を追悼した文章は、読者の心に染みる、魅力に満ちた文章でした。
ジャーナリストとして敵も多かった筑紫さん。
掲示板などで色々書かれてますが、酷い内容も・・・
筑紫さんの発言行動は、凄い影響力があったんだなと改めて思いました。
でも、同じ人間として人の死をそんなふうに・・・悲しいです。
ご冥福をお祈り致します。
昨年5月に自らガンを発病している事を告白後は、メディアへの露出度も減り、今年の3月に正式に降板していました。
7日午後1時50分、肺がんにより都内の病院で死去73歳でした。
慎んでご冥福をお祈り致します。
そんなに人に会って、どうするの?
そろそろ回想録を……、と提案されて、筑紫さんは考えました。
ジャーナリストとして歩んできた自分は、何かを成し遂げてきたわけではない。むしろ、いろいろな形で「弥次馬」として関わってきた他人様を書くことで、かえって自分を表現できるのではないか、と。
といっても、交友関係は広く、語るべき取材対象も多岐にわたっている筑紫さんですから、取りあげたい人を全て書いていたら、いったいいつ終わるのかわからなくなります。本書執筆に当たって決めた方針は、「一業種一人」という制限です。
ですから、「ニュース23」のエンディングテーマを作曲して歌ってくれた井上陽水も、朝日新聞社内で認め合った“畏友”石川真澄も、他の人物のエピソードの一部に登場するだけです。筑紫ファンには若干もの足りない気もしますが、確かにこの一冊を読めば、筑紫さんの歩んできたジャーナリスト人生、反体制的な生き方が俯瞰できます。筑紫さんの意図通りといってよいでしょう。
私があらためて感じたのは、筑紫さんの文章の魅力の一つは詩的表現にある、ということでした。
なかでも、絶筆『我、拗ね者として生涯を閉ず』の完成を目前にし、壮絶な最後を遂げた本田靖春氏を追悼した文章は、読者の心に染みる、魅力に満ちた文章でした。
ジャーナリストとして敵も多かった筑紫さん。
掲示板などで色々書かれてますが、酷い内容も・・・
筑紫さんの発言行動は、凄い影響力があったんだなと改めて思いました。
でも、同じ人間として人の死をそんなふうに・・・悲しいです。
ご冥福をお祈り致します。
【その他の最新記事】
この記事へのコメント