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2016年05月15日
びわ湖大津館〜柳が崎湖畔公園 滋賀県大津市
びわ湖大津館の隣、柳が崎湖畔公園「イングリッシュガーデン」のバラ!
とても綺麗です。
花と湖に気軽にふれあえるおすすめの観光スポットです。
お土産に「滋賀ぽてっち えび塩」を買いました。
ビールのアテにぴったりです。
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びわ湖大津館は、1934年(昭和9年)、外国人観光客の誘致を目的に県内初の国際観光ホテルとして建築された建物(旧琵琶湖ホテル本館)をリニューアル活用した大津市の文化施設です。
旧琵琶湖ホテル時代には、『湖国の迎賓館』として昭和天皇を始め多くの皇族の方々、ヘレン・ケラー、ジョン・ウエイン、川端康成など多分野の著名人をお迎えし、名実ともに県下唯一の格式を持ったホテルとして営業されておりました。
建物の設計は、東京歌舞伎座や明治生命館等を設計したことで有名な岡田建築事務所(岡田信一郎創設)によるもので、桃山様式と呼ばれる特徴的な和風の外観と洋風の内観は、琵琶湖の風景と古都大津の風土に見事に調和したデザインとなっております。
1998年(平成10年)、琵琶湖ホテルが新しく浜大津に移転することになり、この建物の取り壊しを惜しむ多くの市民の声に応えて、大津市が耐震と改修保存を行い、2002年(平成14年)4月から柳が崎湖畔公園 びわ湖大津館として新たに開館致しました。
現在、3階建の館内にはレストランやショップの他、貸会議室・貸ホールや市民ギャラリーなどがあり、人々が集い、創造や交流を生み出す場として利用されています。
柳が崎湖畔公園には、びわ湖大津館の他、約5,900uに広がるイングリッシュガーデンやびわ湖遊覧船が楽しめる柳が崎湖畔公園港もあり、花と湖に気軽にふれあえる観光スポットとなっています。
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びわこ大津館WEBサイトより出典
とても綺麗です。
花と湖に気軽にふれあえるおすすめの観光スポットです。
お土産に「滋賀ぽてっち えび塩」を買いました。
ビールのアテにぴったりです。
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びわ湖大津館は、1934年(昭和9年)、外国人観光客の誘致を目的に県内初の国際観光ホテルとして建築された建物(旧琵琶湖ホテル本館)をリニューアル活用した大津市の文化施設です。
旧琵琶湖ホテル時代には、『湖国の迎賓館』として昭和天皇を始め多くの皇族の方々、ヘレン・ケラー、ジョン・ウエイン、川端康成など多分野の著名人をお迎えし、名実ともに県下唯一の格式を持ったホテルとして営業されておりました。
建物の設計は、東京歌舞伎座や明治生命館等を設計したことで有名な岡田建築事務所(岡田信一郎創設)によるもので、桃山様式と呼ばれる特徴的な和風の外観と洋風の内観は、琵琶湖の風景と古都大津の風土に見事に調和したデザインとなっております。
1998年(平成10年)、琵琶湖ホテルが新しく浜大津に移転することになり、この建物の取り壊しを惜しむ多くの市民の声に応えて、大津市が耐震と改修保存を行い、2002年(平成14年)4月から柳が崎湖畔公園 びわ湖大津館として新たに開館致しました。
現在、3階建の館内にはレストランやショップの他、貸会議室・貸ホールや市民ギャラリーなどがあり、人々が集い、創造や交流を生み出す場として利用されています。
柳が崎湖畔公園には、びわ湖大津館の他、約5,900uに広がるイングリッシュガーデンやびわ湖遊覧船が楽しめる柳が崎湖畔公園港もあり、花と湖に気軽にふれあえる観光スポットとなっています。
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びわこ大津館WEBサイトより出典
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2016年05月14日
夢実現! −大津市坂本−
夢実現! −大津市坂本−
滋賀県の比叡山のおひざ元!
自宅近く、大津市坂本の静かな住宅街をぶらぶら散歩していた時、
ふと眼に留まった石碑がありました。
「夢実現」・・・石碑のタイトルとしては、ストレートな言葉で珍しいなと思いつつ
近づいて、みると、、、
「夢実現」
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この辺りは、比叡山山麓の山紫水明に恵まれた地であるが、時折、風情を一変して猛威をふるう風水害に悩まされてきた。
それゆえ、山を削り、谷あいを埋め、新しい住宅地を築くことは、先祖から綿々と語りつがれ、広がってきた夢であった。
この夢を現実のものとする人々の大きな意志と不断の努力により、今、その姿が眼前に広がり、現実に至ったのである。
ここに、一つの夢が実現したことを記念するとともに、輝く未来への新たなる夢を続けることを誓い、碑を建立する。
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今は、風水害もなく平和な土地ですが、以前は厳しい環境のもと、暮らしていたんだな〜と思いながら
まだまだ、実現できていない、自分の夢をふと想い、頑張らねば!!と思いました。
足洗川沿いに細い道を歩くと小さなお地蔵さんや五輪塔や道祖神などの石仏がたくさん並べて祭られています。
「おかえりじぞうさま」と書かれた標識もあります。
昔、このあたりは紅染寺の境内であったとも言われています。
阿修羅屋地蔵尊
雨よけ小屋がけのよう粗末な小屋の中に祭られている小さなお地蔵さんです。
地蔵脇の説明では、
「伝教大師が人々の幸福のため自ら刻まれた坂本六地蔵内の一躰であるが、日吉神社早尾境内にお祭りしてあったのを慈覚大師が現在のところに移されたものである」
と書いてありました。
阿修羅屋地蔵尊の脇には、居酒屋「酒楽」があります。最近出来たお店ですが、時々呑みに行ってます!!
滋賀県の比叡山のおひざ元!
自宅近く、大津市坂本の静かな住宅街をぶらぶら散歩していた時、
ふと眼に留まった石碑がありました。
「夢実現」・・・石碑のタイトルとしては、ストレートな言葉で珍しいなと思いつつ
近づいて、みると、、、
「夢実現」
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この辺りは、比叡山山麓の山紫水明に恵まれた地であるが、時折、風情を一変して猛威をふるう風水害に悩まされてきた。
それゆえ、山を削り、谷あいを埋め、新しい住宅地を築くことは、先祖から綿々と語りつがれ、広がってきた夢であった。
この夢を現実のものとする人々の大きな意志と不断の努力により、今、その姿が眼前に広がり、現実に至ったのである。
ここに、一つの夢が実現したことを記念するとともに、輝く未来への新たなる夢を続けることを誓い、碑を建立する。
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今は、風水害もなく平和な土地ですが、以前は厳しい環境のもと、暮らしていたんだな〜と思いながら
まだまだ、実現できていない、自分の夢をふと想い、頑張らねば!!と思いました。
足洗川沿いに細い道を歩くと小さなお地蔵さんや五輪塔や道祖神などの石仏がたくさん並べて祭られています。
「おかえりじぞうさま」と書かれた標識もあります。
昔、このあたりは紅染寺の境内であったとも言われています。
阿修羅屋地蔵尊
雨よけ小屋がけのよう粗末な小屋の中に祭られている小さなお地蔵さんです。
地蔵脇の説明では、
「伝教大師が人々の幸福のため自ら刻まれた坂本六地蔵内の一躰であるが、日吉神社早尾境内にお祭りしてあったのを慈覚大師が現在のところに移されたものである」
と書いてありました。
阿修羅屋地蔵尊の脇には、居酒屋「酒楽」があります。最近出来たお店ですが、時々呑みに行ってます!!
2016年05月05日
2016年05月04日
こんなところにお城の跡が、、、大津市 衣川城跡
たまたま、仕事で通りかかった大津市衣川団地の公園で「衣川城跡」を発見!!
団地内の小さな公園で衣川城の曲輪をそのまま利用しているようです(^.^)
興味を持って調べると大津市教育委員会のホームページに情報がありました。
大津市教育委員会のホームページから引用
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<城郭の歴史>
衣川城は山内義重が文暦元年(1234)正月、粟津の合戦に勲功を立て、衣川領を賜り、ここに城を築いた。
11代山内駿河守宗綱は浅井公政、京極高清らと共に永年5年から8年(1508〜1511)にかけて、近江、坂本、石山等の各合戦に朝倉貞景、村上山城守、細川入道高国、河野通直、大内義典等を相手に戦い勝利をおさめた。
しかし、その後大永6年(1526)8月3日の夜、衣川城は細川入道高国の奇襲にあい、南から香東山城守に、また北から島村弾正貴則に挟撃され、一族善戦したるも及ばず衣川城はついに落ちた。
この時かろうじて城を逃れた重清らは伯父の遺志をうけ密かに伊予国宇摩郡近井郷鏑崎村に逃れついに再興の志を果たせず当地に土着した。
衣川には西羅に城の口や開城道などの地名が残っており、昭和43年滋賀県教育委員会の調査によって城跡の一部(溝跡、建物跡など)が確認され、壺等多数の遺物が出土している。
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団地内の小さな公園で衣川城の曲輪をそのまま利用しているようです(^.^)
興味を持って調べると大津市教育委員会のホームページに情報がありました。
大津市教育委員会のホームページから引用
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<城郭の歴史>
衣川城は山内義重が文暦元年(1234)正月、粟津の合戦に勲功を立て、衣川領を賜り、ここに城を築いた。
11代山内駿河守宗綱は浅井公政、京極高清らと共に永年5年から8年(1508〜1511)にかけて、近江、坂本、石山等の各合戦に朝倉貞景、村上山城守、細川入道高国、河野通直、大内義典等を相手に戦い勝利をおさめた。
しかし、その後大永6年(1526)8月3日の夜、衣川城は細川入道高国の奇襲にあい、南から香東山城守に、また北から島村弾正貴則に挟撃され、一族善戦したるも及ばず衣川城はついに落ちた。
この時かろうじて城を逃れた重清らは伯父の遺志をうけ密かに伊予国宇摩郡近井郷鏑崎村に逃れついに再興の志を果たせず当地に土着した。
衣川には西羅に城の口や開城道などの地名が残っており、昭和43年滋賀県教育委員会の調査によって城跡の一部(溝跡、建物跡など)が確認され、壺等多数の遺物が出土している。
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タグ:大津市