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2015年10月20日
「 妹子の郷」−滋賀県大津市−
滋賀県「道の駅」スタンプラリー 第2弾は、
道の駅「 妹子の郷」
「妹子の郷」は、滋賀県大津市の湖西道路(国道161号)に2015年8月4日オープンしたばかりの新しい施設です。
私の会社からほど近くにあり、その周辺は、琵琶湖や比良山の豊かな自然環境に恵まれ、夏場のウォーターレジャーからスキー・スノーボードなどのウインタースポーツ、トレッキングなど、年間を通じて自然体験ができます。また「妹子の郷」は観光コンシェルジュやデジタルツールを活用した情報発信も行なっています。
「妹子の郷」の名称は、公募により名づけられ、かの有名な遣隋使・小野妹子(おののいもこ)からとっています。
ちなみに「妹子の郷」周辺が古代の豪族の和邇(わに)氏やその支族である小野氏の拠点であったといわれております。
小野妹子公園については、このブログでも案内しています!ここをクリックして下さい
「道の駅 妹子の郷」情報
<営業時間>
特産品販売所:9:00〜18:00(冬季営業時間)
レストラン:10:00〜19:00(L.O18:00)
情報提供施設:9:00〜19:00
コンビニ:24時間
EV充電器利用可能時間:9:00〜18:00
休館日:年始1月1日〜1月4日(コンビニは除く)
<駐車場>
大型:28台 普通:87台
<レストラン>
・地元産もち米「滋賀羽二重」を使った餅
・棚田米のご飯
・琵琶湖で捕れたビワマス、アユ
・1頭買いした近江牛
<特産品>
・比良すいか
・近江米
・地域野菜を使ったお弁当
・手作り味噌
・堅田落雁
・一休せんべい
妹子の郷公式サイトはこちらから
道の駅「 妹子の郷」
「妹子の郷」は、滋賀県大津市の湖西道路(国道161号)に2015年8月4日オープンしたばかりの新しい施設です。
私の会社からほど近くにあり、その周辺は、琵琶湖や比良山の豊かな自然環境に恵まれ、夏場のウォーターレジャーからスキー・スノーボードなどのウインタースポーツ、トレッキングなど、年間を通じて自然体験ができます。また「妹子の郷」は観光コンシェルジュやデジタルツールを活用した情報発信も行なっています。
「妹子の郷」の名称は、公募により名づけられ、かの有名な遣隋使・小野妹子(おののいもこ)からとっています。
ちなみに「妹子の郷」周辺が古代の豪族の和邇(わに)氏やその支族である小野氏の拠点であったといわれております。
小野妹子公園については、このブログでも案内しています!ここをクリックして下さい
「道の駅 妹子の郷」情報
<営業時間>
特産品販売所:9:00〜18:00(冬季営業時間)
レストラン:10:00〜19:00(L.O18:00)
情報提供施設:9:00〜19:00
コンビニ:24時間
EV充電器利用可能時間:9:00〜18:00
休館日:年始1月1日〜1月4日(コンビニは除く)
<駐車場>
大型:28台 普通:87台
<レストラン>
・地元産もち米「滋賀羽二重」を使った餅
・棚田米のご飯
・琵琶湖で捕れたビワマス、アユ
・1頭買いした近江牛
<特産品>
・比良すいか
・近江米
・地域野菜を使ったお弁当
・手作り味噌
・堅田落雁
・一休せんべい
妹子の郷公式サイトはこちらから
タグ:大津市
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2015年10月19日
「竜王かがみの里」−滋賀県竜王町−
滋賀県「道の駅」スタンプラリー開催中!!
仕事の途中でふと立ち寄った滋賀県竜王町の道の駅「竜王かがみの里」で見かけたポスター
−−−−滋賀県「道の駅」スタンプラリー開催中!!−−−
面白そうなので早速チャレンジ(^.^)
と言うわけで、滋賀県にある19ヶ所の「道の駅」をめぐってみました(^.^)
第一弾は、もちろんここ「竜王かがみの里」
滋賀県竜王町の国道8号線沿いに位置する道の駅で、かつて東山道、中山道で栄えた宿場「鏡の宿」があり牛若丸(源義経)が元服した地と言われています。キャラクターの「近江うし丸」も誕生!しています!
「竜王かがみの里」情報
路線名:一般国道8号沿い
所在地:滋賀県蒲生郡竜王町鏡1231−2
電話番号:0748-58-8700
FAX番号:0748-58-8710
<営業時間>
物産館 9:00〜18:00
休館日/火曜日(祝日の場合は翌日、7月下旬から9月下旬は無休)
レストラン 11:00〜17:00
休館日/火曜日(祝日の場合は翌日、7月下旬から9月下旬は無休)
※ トイレ・駐車場・公衆電話は24時間利用できます。
駐車場:77台 [大型車7台/普通車70台]
レストラン:義経弁当、地場産品を食材としたメニューを提供
ショップ:野菜等を中心として、地場産品を販売。また、地元産業の加工品などについても販売。
「竜王かがみの里」ホームページ
牛若丸(源義経)が元服した地はここです(^.^)
仕事の途中でふと立ち寄った滋賀県竜王町の道の駅「竜王かがみの里」で見かけたポスター
−−−−滋賀県「道の駅」スタンプラリー開催中!!−−−
面白そうなので早速チャレンジ(^.^)
と言うわけで、滋賀県にある19ヶ所の「道の駅」をめぐってみました(^.^)
第一弾は、もちろんここ「竜王かがみの里」
滋賀県竜王町の国道8号線沿いに位置する道の駅で、かつて東山道、中山道で栄えた宿場「鏡の宿」があり牛若丸(源義経)が元服した地と言われています。キャラクターの「近江うし丸」も誕生!しています!
「竜王かがみの里」情報
路線名:一般国道8号沿い
所在地:滋賀県蒲生郡竜王町鏡1231−2
電話番号:0748-58-8700
FAX番号:0748-58-8710
<営業時間>
物産館 9:00〜18:00
休館日/火曜日(祝日の場合は翌日、7月下旬から9月下旬は無休)
レストラン 11:00〜17:00
休館日/火曜日(祝日の場合は翌日、7月下旬から9月下旬は無休)
※ トイレ・駐車場・公衆電話は24時間利用できます。
駐車場:77台 [大型車7台/普通車70台]
レストラン:義経弁当、地場産品を食材としたメニューを提供
ショップ:野菜等を中心として、地場産品を販売。また、地元産業の加工品などについても販売。
「竜王かがみの里」ホームページ
牛若丸(源義経)が元服した地はここです(^.^)
タグ:竜王町
2015年10月06日
岸和田祭りの運営組織・団体について
町会が運営組織
岸和田だんじり祭りの運営は、町会が運営組織となっています。
各町で「だんじり」をそれぞれ所有して曳行しています。
町会は年齢別に「世話人」「若頭」「組」「青年団」「少年団」などのいわゆる「祭礼団体」を組織し、世話人の責任者が「曳行責任者」を担当します。町会長は、全体の責任者たる「総括責任者」となります。「曳行責任者」は、現場の最高責任者として「総括責任者」(町会長)とともに、2日間のだんじり曳行の重責を担う事となり、不幸にして事故が起きたり死傷者が出た際、刑事責任を問われるのはこの「総括責任者」と「曳行責任者」となります。
少年団・子供会:中学生まで
15歳くらいまでの少年少女で構成されています。前方の安全な場所でだんじりを曳く、町によっては綱先(つなさき:一番先頭)を少年団が担当しているところもあります。
婦人会
直接曳行にはかかわらず、だんじり曳行の携る者の各種サポートを行ったりします。
青年団:16〜27歳くらい
綱を曳く「綱先」「綱中」「綱元」と、だんじりに乗って太鼓や鉦、笛を鳴らす「鳴物」または「囃子方」に大別できる。綱を持つのを卒業すると「追い役」となり、曳き手を統率したり前方の安全確認などを行う。青年団長も「追い役」のひとりである。
組:28〜37歳くらい
青年団を卒業した27,8歳以降の者で構成され、後梃子(うしろてこ)を担当する。拾五人組、参拾人組など町によって名称が異なります。
若頭:38歳〜47歳くらい
青年団・組のまとめ役として事実上、祭を取り仕切ります。だんじりの足回りの管理も行い、曳行の際は前梃子(まえてこ)を担当しています。
世話人:48歳くらいから
祭り全体の運営を行う、町全体のまとめ役となります。
相談役・賛助員・参与
町によって名称は異なりますが、世話人を終えた年配者の組織です。町の長老として祭りのしきたりなどを後進に指導します。
岸和田祭りでは各組織が一体となり、気が合った時に一番良い「やりまわし」が出来ます(^'^)
岸和田だんじり祭り 2014年9月12日 大手町貝源 やりまわし
↓
岸和田だんじり祭りの運営は、町会が運営組織となっています。
各町で「だんじり」をそれぞれ所有して曳行しています。
町会は年齢別に「世話人」「若頭」「組」「青年団」「少年団」などのいわゆる「祭礼団体」を組織し、世話人の責任者が「曳行責任者」を担当します。町会長は、全体の責任者たる「総括責任者」となります。「曳行責任者」は、現場の最高責任者として「総括責任者」(町会長)とともに、2日間のだんじり曳行の重責を担う事となり、不幸にして事故が起きたり死傷者が出た際、刑事責任を問われるのはこの「総括責任者」と「曳行責任者」となります。
少年団・子供会:中学生まで
15歳くらいまでの少年少女で構成されています。前方の安全な場所でだんじりを曳く、町によっては綱先(つなさき:一番先頭)を少年団が担当しているところもあります。
婦人会
直接曳行にはかかわらず、だんじり曳行の携る者の各種サポートを行ったりします。
青年団:16〜27歳くらい
綱を曳く「綱先」「綱中」「綱元」と、だんじりに乗って太鼓や鉦、笛を鳴らす「鳴物」または「囃子方」に大別できる。綱を持つのを卒業すると「追い役」となり、曳き手を統率したり前方の安全確認などを行う。青年団長も「追い役」のひとりである。
組:28〜37歳くらい
青年団を卒業した27,8歳以降の者で構成され、後梃子(うしろてこ)を担当する。拾五人組、参拾人組など町によって名称が異なります。
若頭:38歳〜47歳くらい
青年団・組のまとめ役として事実上、祭を取り仕切ります。だんじりの足回りの管理も行い、曳行の際は前梃子(まえてこ)を担当しています。
世話人:48歳くらいから
祭り全体の運営を行う、町全体のまとめ役となります。
相談役・賛助員・参与
町によって名称は異なりますが、世話人を終えた年配者の組織です。町の長老として祭りのしきたりなどを後進に指導します。
岸和田祭りでは各組織が一体となり、気が合った時に一番良い「やりまわし」が出来ます(^'^)
岸和田だんじり祭り 2014年9月12日 大手町貝源 やりまわし
↓
2015年10月03日
岸和田だんじり祭りの歴史の勉強!!
泉州・泉南一円、10月の秋祭りがはじまった!
9月の岸和田祭りが終わり、泉州地域では、
岸和田の山手地域に始まり、貝塚市、泉大津市、忠岡町、高石市、泉佐野市、泉南や泉州地域各地で
10月の祭礼が始まりました。
先週から今週の日曜日に各地で「試験曳き」という、練習のようなものが、始まりました(^'^)
練習と言っても、ほとんど本番と変わらない迫力で、単純に曳行時間が短いだけです!
これからしばらく9月に終わった岸和田祭りについて記事をアップしていきます。
あくまで個人的な記事ですので祭り関係者の皆さま、間違いなどあればお許し下さい(^_^;)
約300年の歴史と伝統を誇る「岸和田だんじり祭」
元禄16年(1703年)、時の岸和田藩主岡部長泰(おかべながやす)公が、京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、米や麦、豆、あわやひえなどの5つの穀物がたくさん取れるように(五穀豊穣)祈願し、行った稲荷祭がその始まりと伝えられています。昔は、穀物がたくさん取れるよう祈願したお祭りでしたが、今は社会の構造も様子も変わってきました。収穫をともに願い、祝うといったことからはじまった一年に一度の祭りは時代がかわり、社会が変わる中にあっても、人々の気持ちの根本に流れる「地域」を結びつける精神は、ずっとつながってきています。
岸和田城天守閣から見ただんじり
↓
「だんじり」とは、もともとお祭りのときに曳く出車(だし)や屋台(やたい)のことで、この車にいろいろなものを飾って、中に人が乗り、囃子(はやし)をします。
一般的に「だんじり」と表記します。
だんじりの大きさは、高さ約3.8m、長さ約4m、幅約2.5m、重さ約4トンで「けやき」で作られています。なんとすべて釘を使わずに組み立てられています。
だんじりには、住吉型の「上(かみ)だんじり」に対し、岸和田型の「下(しも)だんじり」と大きく二つに分かれています。江戸時代は「三つ屋根だんじり」や「四つ屋根だんじり」があり、城門をくぐるために、屋根を上下にずらせる「からくりだんじり」などもありました。岸和田以南(岸和田、貝塚、熊取、泉佐野、田尻)では岸和田型となり、和泉市、高石市、泉大津市、堺市は上だんじり・下だんじりが混在していますが最近は下だんじりが増えつつあります。
なお、堺より北は下だんじりはほとんどありません。
周囲の彫り物は、源平合戦、大坂夏の陣など戦記物語の名場面を彫り上げた力作で、人馬とも精巧かつ力強く、すばらしいものです。
彫り物だけでなく、だんじりを飾る金綱、前旗、後旗、すべて金系・銀系で豪華絢爛です。江戸時代の文化が、現在も引き継がれてきました。
大手町だんじり清払い式
↓
町によって違いますが、2本の綱の長さは、100m〜200m、ひき手は500〜1000人です。
日中は地車(だんじり)が勇壮、豪快に町中を駆け回り、特に勢いよく街角を直角に曲がる「やりまわし」は一番のみどころです。夜に入ると、地車は約200個の提灯に飾られて華麗な姿に変身します。提灯を揺らしながら夜の町を行く姿には情緒があり、ゆっくりと祭りの風情が楽しめます。
次回はだんじり祭りに関わる、団体や組織についてアップします!
2014年 岸和田だんじり祭り かんかん場 やりまわし 大手町の動画です。
↓
9月の岸和田祭りが終わり、泉州地域では、
岸和田の山手地域に始まり、貝塚市、泉大津市、忠岡町、高石市、泉佐野市、泉南や泉州地域各地で
10月の祭礼が始まりました。
先週から今週の日曜日に各地で「試験曳き」という、練習のようなものが、始まりました(^'^)
練習と言っても、ほとんど本番と変わらない迫力で、単純に曳行時間が短いだけです!
これからしばらく9月に終わった岸和田祭りについて記事をアップしていきます。
あくまで個人的な記事ですので祭り関係者の皆さま、間違いなどあればお許し下さい(^_^;)
約300年の歴史と伝統を誇る「岸和田だんじり祭」
元禄16年(1703年)、時の岸和田藩主岡部長泰(おかべながやす)公が、京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、米や麦、豆、あわやひえなどの5つの穀物がたくさん取れるように(五穀豊穣)祈願し、行った稲荷祭がその始まりと伝えられています。昔は、穀物がたくさん取れるよう祈願したお祭りでしたが、今は社会の構造も様子も変わってきました。収穫をともに願い、祝うといったことからはじまった一年に一度の祭りは時代がかわり、社会が変わる中にあっても、人々の気持ちの根本に流れる「地域」を結びつける精神は、ずっとつながってきています。
岸和田城天守閣から見ただんじり
↓
「だんじり」とは、もともとお祭りのときに曳く出車(だし)や屋台(やたい)のことで、この車にいろいろなものを飾って、中に人が乗り、囃子(はやし)をします。
一般的に「だんじり」と表記します。
だんじりの大きさは、高さ約3.8m、長さ約4m、幅約2.5m、重さ約4トンで「けやき」で作られています。なんとすべて釘を使わずに組み立てられています。
だんじりには、住吉型の「上(かみ)だんじり」に対し、岸和田型の「下(しも)だんじり」と大きく二つに分かれています。江戸時代は「三つ屋根だんじり」や「四つ屋根だんじり」があり、城門をくぐるために、屋根を上下にずらせる「からくりだんじり」などもありました。岸和田以南(岸和田、貝塚、熊取、泉佐野、田尻)では岸和田型となり、和泉市、高石市、泉大津市、堺市は上だんじり・下だんじりが混在していますが最近は下だんじりが増えつつあります。
なお、堺より北は下だんじりはほとんどありません。
周囲の彫り物は、源平合戦、大坂夏の陣など戦記物語の名場面を彫り上げた力作で、人馬とも精巧かつ力強く、すばらしいものです。
彫り物だけでなく、だんじりを飾る金綱、前旗、後旗、すべて金系・銀系で豪華絢爛です。江戸時代の文化が、現在も引き継がれてきました。
大手町だんじり清払い式
↓
町によって違いますが、2本の綱の長さは、100m〜200m、ひき手は500〜1000人です。
日中は地車(だんじり)が勇壮、豪快に町中を駆け回り、特に勢いよく街角を直角に曲がる「やりまわし」は一番のみどころです。夜に入ると、地車は約200個の提灯に飾られて華麗な姿に変身します。提灯を揺らしながら夜の町を行く姿には情緒があり、ゆっくりと祭りの風情が楽しめます。
次回はだんじり祭りに関わる、団体や組織についてアップします!
2014年 岸和田だんじり祭り かんかん場 やりまわし 大手町の動画です。
↓