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2014年09月23日

中国の旅46

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早朝、南寧の駅にバスは着いた。聞いた事のない街でも、中国の人口が多いので街が大きい!駅前に安宿があると情報を得ていたので、すぐに探す事が出来た。早朝の出勤ラッシュと重なってしまったのか、バイクが物凄く多い。広州も多かったが、車の比率と比べると南寧は桁違いだった。東南アジアに入った気がした。バスの中では睡眠不足だったので宿に入ると誰か1人寝ていたが、3人部屋で窓側のベッドで自分も転がるように寝てしまった。お昼前に起きたら、廊下側に寝ていたのは白人だった。英語で挨拶するとオーストラリア人だと言う。自分と同じくベトナムに行く所らしい。とりあえず、頭を洗いたいので共同シャワーに入り歯を磨いてスッキリ☆ちょうどお昼時なので外に出て昼飯を食べに行ってみた。宿から出て2分歩いた所に弁当屋があった。ご飯を入れて、ショーケースの中に10種類位の品があるので指で刺して豪快にぶっ掛けてくれる弁当だ。品数を多くすると高くなるので、2品だけ選んでお会計。だいたい80円くらいで買えて量が多いので弁当屋は気に入っている。あとは飲み物を買い部屋へと戻ってベッドの上で食べるのみ。戻るとオーストラリア人は壁に背中を付けて本を読んでいた。白人の良く見る姿だ。自分がベッドで弁当を食べ始めると、どこで売っているんだ?と聞いてきた。いつも何食べてるの?と聞いてみるとカップラーメンとバナナばかりだと言う。中国では英語が通じないので、どの国のバックパッカーも困っているのは同じなんだと実感。弁当屋の場所と買い方を教えてあげると彼も買いに出掛けて行った。10分のしないうちに帰ってきて食べ始めたら、美味しい!と言う。南寧に来て3日らしいが、ほとんど外に出ていないらしい。自分は食べ終わると街の散策へと出掛けた。


2014年09月22日

中国の旅45

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次の日の朝、ホテルのチェックアウトをして、バス停に向かった。南寧に行くバスが海南島から直接あるのか知らなかったが、地図を持ってチケットカウンターへ。南寧行きのバスはあったが3時間も待たないといけなくなってしまった。長距離バスは疲れるので食料を買って出発時間まで待つ事にした。やっとバスが出発して、また恐怖の船に乗る事になったがドライバーの技術が凄いのか分からないが、何台も良く乗るもんだとつくづく思う。天候は回復して晴れ間が覗いているが、波が荒くて船酔いしそうなほど揺れた。本土まではそんなに時間は掛からないが、これで中国版ハワイとおさらばになった。頭の中はベトナムの事でいっぱいになってきた。いよいよ、陸路での国境を渡る楽しみが膨らんできた。バスは本土に着いて、夜中も南寧を目指しバスは走り続けた。


中国の旅44

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ホテルの窓にぶるかる大粒の大雨。テレビで天気予報を見ているが、雨マークが付いているだけで説明は中国語で分からない。季節外れの台風ではないみたいだが、明日もこんな大雨だと動けない。ビールで酔っ払ってきたから、シャワーを浴びて綺麗な部屋で寝る事にした。次の日、やはり雨だった。でも、大雨ではなく小雨に変わってきて、午後には曇りになった。午前中はベッドの中でゴロゴロしていたが、雨が上がったので街に出てみた。思ったよりも街が大きくて、ガイドブックに書いてあるメインストリートに行ったが、旅行者が寄るような目新しい物はなかった。夕方まで色んな所に行ったが、あんまり面白くなかったので、明日に南寧に向けて出発する事にした。南寧がベトナムとの国境に向けての最後の都市になる。中国で買っておける物は買っておかないとベトナムでは手に入らなく物もあるので南寧を目指す事にした。夜は昨夜と同じレストランで食べた。ちょっと高いが味は最高なので、牛肉炒めとご飯をオーダー。スープは無料でついてきた。んー、美味い!全部で800円くらい。日本だと安いが、中国では贅沢した気分になる。昨日と同じく、ビールを買って部屋で、ゆっくりとテレビ鑑賞。テレビが付いている宿に何回か泊まったが、衛生放送ではいつもACミランのサッカーをやっている。そんなにACミランのファンが多いのか疑問に思ったが見ていて1番分かりやすいので、ついつい見てしまう。その当時はサッカーなんて興味なかったので、ただ見ているだけだった。明日はバスで南寧に移動。何時間掛かるか分からないけど、いっぱい寝ておこうと早めの就寝にした。


中国の旅43

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この強風・大雨のせいか、レストランに客はいなかった。店員さんがメニューを持ってきてくれたが、中々のいい値段だった。そういう時には、チャーハンが一番安くて間違えがないのでチャーハンを注文した。自分には高級なレストランだったが、チャーハンの味も結構いい味だった。外は増々雨が酷くなる一方で、店員さんも帰れるのか心配していた。客がいないせいか、店員さんが話掛けてきた。日本人?と言われたので「そうです^^」と答えた。あの当時は、反日教育はされていたが、特に差別を受けたりもなく、ほとんどの人が優しかった。広州で一緒だったドミトリーの日本人がロン毛で南京に行った時に、地元の子供たちから石を投げられて、地元の日本語が話せる中国人に助けられた話を思いだした。恐らく、日本人と分かって石を投げたのもあるかもしれないが、ロン毛はホモだと思われたんじゃない?と部屋のみんなで笑っていた。本人も「そうかもしれないです。」と言って、髪の毛を次の日切ってきた。チャーハンを食べて部屋に戻り、ホテルの売店でビールを買ってきたので、外の大雨を見ながら、テレビを付けてゆっくりと過ごした。


2014年09月21日

中国の旅42

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三亜に3泊したのちに、海口へとバスで移った。海口のバス停が近づくにつれて雨が激しくなってきた。空も昼なのに真っ暗。バックパッカーとして初めての雨の中での宿探し。慣れてない頃はガイドブックを見て宿を決めていたが、今ではそんな事をしなくなっていた。情報が自然と入ってくるのと、知らない街でも何とかなると言うのが分かってきていたのでガイドブックは見てなかったが、さすがに大雨では探しておけば良かったと後悔したが、無情にもバスが海口に着いてしまった。バスを降りると土砂降り。近くに中級ホテルがあったので、すぐに入ってみたがフロントらしきものがない。そこに若い男女がいて何やら言ってきているが、こっちは一泊いくら?一番安い部屋くらいしか言えない。色々とやり取りしていると、女の子がパスポートを出してと言ってきた。パスポートを預けると、一泊千円ほどですと返してきた。あとで分かったのだが、自分が行った所は宿泊棟で隣の建物がフロントだった。一泊のお金を払いパスポートを返してもらって部屋へ通された。物凄い綺麗☆!料金以上に豪華でもあるし、ツインしかないのだろう。早速、シャワーを浴びて着替えた。外を見ると道には誰もいなく、雨が横殴りになっている。台風が直撃したような感じだった。あの女の子は、ずぶ濡れの自分が可哀想になって、あの子がチェックインの手続きをしてくれて一番安い部屋にしてくれたんだと思った。あの子達はセキュリティーの役目だったのか。と反省させられた。あの子達の所へ行き、ありがとう!と伝えるとニコッと笑ってくれた。ジェスチャーで外は危ない。ご飯は、そこにレストランがあります。と教えてくれた。なんと優しいんだろ。と思い、そういえばお腹空いていたのでレストランへ向かった。


中国の旅41

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三亜の街に着いた時に汚ない宿やが目に止まったが、そこは港だった。
自分は海水浴がしたかったので、街から離れた、ちょっとランクの高い部屋に泊まる事にした。レジャーでは1番安かったが一泊千円以上した。部屋はシングルでシャワーとトイレ付きで壁も白く塗られていて綺麗☆
日中は海に行き、ご飯は宿で食べていた。ボーッとするのには最高だったが、中国人のマナーが酷くて折角の綺麗な海もゴミの海辺となっていた。
広州で別れた、てっちゃんが海南島に来ると言っていたが、いつ来るんだろう?もしかして、三亜には来ないのかな?と思い海も飽きてきたので、街に出てみた。タクシーの運転手が英語で話しかけてきたので、暇だったので道端で話をした。運転手は暇みたいで無料でいいから乗らないか?と言う。そんな美味しい話がないから乗らないと言うと、本当に無料でいいから真珠屋に行かない?と言う。真珠に興味ないと言うと色々連れて行くから真珠屋に行ってくれと言うので、まだ午前中で明るいので、三亜の見どころを見て写真を撮ってもらったりして、真珠屋に行った。立派な建物で、自分が入ると店内の照明が点灯した。中には20人ほどの店員がいて、ショーケースを見ても真珠の素晴らしさが分からない。店員が一生懸命に説明するのだが、分からないと返答する。仕方ないから長いしてあげたが、それでも20分が限界。何も買わずに店を出ると、運転手がやっぱり何も買わなかったのか。と言い。要らないし、買わないよ。と伝えると、じゃあ帰ろうと元の場所に戻った。なんか可哀想だから、10元をチップであげた。そうしたらホテルまで送っていくよ。と言うので、人を探してるから、ここでお別れだよ。と告げて街をブラブラした。待ち合わせをしている訳でもないし、今みたいに携帯も海外で持ってなかったので、明日にチェックアウトして海口に戻ろうと決心した。もしかしたら、海口で、てっちゃんに会えるかも。と思い三亜をあとにした。


中国の旅40

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さて、海口まで来たが、自分の目的地は島の南にある三亜と言う街。中国の海で一回泳いでサヨナラしたくなったからだ。最初は中国を抜けてカザフスタンを目指す予定だったが極寒の季節に入ってしまったので南下してきた。じゃあ、中国の海で泳いで記念にしよう!と思いついたが、三亜までの行き方が分からないのでバス停で聞いてみた所、自分の乗っていたバスが目的地まで行くとの事。なんだ、そのまま乗っていれば良かったのか。しかも、三亜まで自分のチケットで行けるらしい。チケットを買った時な海口までと思っていたが、最後まで支払っているのは知らなかった。数時間で三亜に着いた。海や港が見えるが、海水浴をしている人達が、なんか昔の日本を見ているような感じだった。女性の水着の古いファッションにゴミはそこら中に散乱。まっ、みんなやりたい放題って事で自分もそこら辺にゴミ捨てても構わないんだな。と開きなおった。


2014年09月20日

中国の旅39

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海南島の街、海口を目指した自分は、また1人になった。広州では日本人だらけで行動していたが、また1人になり寂しくなったりもした。広州の市場で猫がゲージに入れられてるのを見て、ここは猫も食べる習慣があるのか。と、みんなで猫たちを見ていた事や裏通りにはコピー商品が売っていて笑ってたあの時を思い出すと更に寂しくなってきた。バスでの移動になったが、海を渡るのにどうやって行くのかが不思議だった。でも理由は簡単だった。バスを船に乗せるのだ。しかも、たくさんの車両を乗せる為にギリギリまでタイヤを船の隅に付ける。運転技術も凄いが一歩間違えると転落するし、積載量をオーバーすると船は沈む。バスから降りて船のトイレに行くと、日本語でトイレと書いてある。昔の日本で使われていた船が、こんな所で活躍している事にも驚いた。よく見たら至る所に日本語のプレートが付いている。日本嫌いなら外して使えばいいのに、なぜ日本語のプレートを付けているのか分からなかった。船は海口に着き、船からバスが出る時はみんなバスに乗せられた。バスが船から落ちそうだ、エンジンを唸らせて船と陸の間においた板の上をバスを走らせる。やっとの思いで陸に渡った。バスは海口の街の真ん中で終点となった。


中国の旅38

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広州でベトナムのビザ発行を待っているのは長くて苦痛かと思ったが、色んな事があり、ここがターニングポイントって事もあった。折り返しではないが、この先の旅に影響する事が起きていた。やはり、8人が同じ部屋で同じ行動をするのに不満を持つ人は自分だけではなかった。それは、ボス的存在のパソコン野郎が毎日のルールみたいのを作っていたのが原因であった。1日1日経つにつれて、そのルールは壊されていき、4日もするとルールはなくなった。化けの皮が剥がれた感じでもあり、その元日テレパソコン野郎は1人で行動する事になった。そこで仲良くなった、自分の1才年下の『てっちゃん』と7才年上の『西森さん』と街を散策するようになった。みんなクセがなかったから仲良く出来たのかもしれない。次はベトナムを目指すと言う事で、どこかで会うかもしれませんね!と話していた。自分は海南島を目指し、てっちゃんはアモイ、西森さんは広州にまだいる事となった。ビザを受け取った自分は先に広州を出る事になった。自分は中国のハワイへと向かった。


中国の旅37

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昼の時間に広州に着いた。大都市だが、旅するには小さい街の方が小回りが効いて楽しめる。駅から出たが乞食は見かけないが、公安がたくさんいる。恐らく乞食を排除しているのだろう。広州の宿は予め決めておいたのだが、駅からかなり遠い。道も混んでいてタクシーやバスなど使ったら時間がかかりそうだったが、バイクタクシーがあった。いよいよ南に来たんだなと感じさせてくれる光景だ。バイクタクシーとは最初に地図を見せて料金交渉する。最初はぼってくるんだろうなと思っていたが意外と安い。大都市は物価が高いはずだが、交通機関は安いのか?とりあえず2台同じ値段で宿まで行ってもらう事にした。広州の道はどこも渋滞あせあせ(飛び散る汗)その渋滞の中をバイクは飛ばして行き先に向かってくれる。これは便利な乗り物だと関心した。20分ほどで宿に着いたが快適で素早く届けてくれるなんてバイクタクシーは、これからの旅で使う事が多いんだろうなと思わされた。宿は白い建物で、昔にイギリスが統治した時に造られたような建物だった。建物に入るとレストランになっており、その奥がフロントだった。チェックインを済ませると部屋に通された。部屋には二段ベッドが4つの8人部屋になっていた。全員が日本人のバックパッカーで、1人はラップトップを持って来ており、何時でも袋に入れて大事にしていた。何でも猿岩石が香港からイギリスまで同行したと言っていたが、どうも嘘臭い。日テレを辞めて旅をしていると言っているが相手に出来なかった。色んな人がいたが、もっと強烈なのがいた。体は細くて小さく人懐っこい感じですぐに話掛けてきた。自分より5才年下で、中国に着いた時にパスポートを売って欲しいと中国人バイヤーに言われて、30万円ほどで売ってしまったと言う。おー面白いのー、こやつは。と思った。まだ、20才で海外も初めての割にはパスポートの大切さが分からず金目的で売ってしまったらしい。この宿には一ヶ月ほどいるらしく当局と日本大使館から、この宿にいるように言われているので動けないとの事。奴のパスポートは、すぐに使わられてしまい購入した中国人が成田空港で捕まってしまい、その因果関係を警察が探っているみたいで、日本人でありながら日本にも帰れない奴がいるのには頼もしかった。お金も底をついてきたみたいで、みんなからおこぼれをもらっていた。朝は、みんなでお粥屋に行って食べていて30円ほど。帰ってきて、二度寝して昼に弁当屋で50円ほど。夜はその日によって違う。ベトナムに入るのにビザが必要なので、陸路で行くには広州が最後の取得出来る都市となる。早速、在中ベトナム大使館へバイクタクシーで向かった。古い雑居ビルに入ると薄暗く、小さい事務所が大使館だった。
ビザが降りるまで5日掛かると言う。そんなに待たないといけないのか!共産主義の国だから仕方ないと、またバイクタクシーで宿に戻った。宿にいる日本人は、1人でもいなくなるとどこに行ったのか気になるらしく、ベトナム大使館に行っただけなのに、行動力あるね!とか言われる。大理に行ってきた話をすると、マリファナ持ってるの?とパソコン野郎が言ってきた。大理以外に持ち出して捕まると大変だから持ってないよ。と言うと、あー欲しかったな!と言っていた。自分で行けばいいのに、なんで広州から出ないのか良く分からないが、それなりの付き合いをして過ごした。やっぱり面白いのが夜にレストランが閉まると奥だけバックパッカー用に電気を付けてくれる。そこでパスポート売人野郎とビールを飲みながら話すのが楽しかった。しかも、ビールだけは奴がどっかから仕入れてくる。今考えると不思議な事だが誰からもらっていたのだろうと考えてしまう。


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