2014年09月30日
ベトナムの旅15
夜中にチェックインさせてもらい朝までグッスリ寝て、朝に改めて従業員さんに感謝をして、日常のハノイに戻った。朝は牛乳とサンドイッチを食べて3人は次に急ぐ事にした。ベトナムは縦長い国であるので旅がしやすい。それを知ってか、ハノイからホーチミンのバスチケットが手に入りやすく安宿街に泊まる観光客向けにバスがある。
何社かあるのだが、shin cafeが出してしるバスの評判がいいので、そこでチケットを購入。途中下車は可能で降りた街で再度乗るには予約をすれば、そのチケットで乗れる。値段は日本円で5千円程度。バックパッカーの為に作られたバスツアーであり、それを作ったベトナム人社長も良く考えた方法である。shin cafeを選んで正解だった事を今でも思い出す。結構、ハノイとサパで長いをしてしまったので先を急ぐ為に宿の従業員さんにサヨナラをして次の街へと急いだ。
ベトナムの旅14
ラオカイから電車でハノイに戻る時に、ラオカイ駅前で果物など食べ物を野外で売っている人達がいたので、食べ物を買って木の椅子の電車に乗り込んだ。ここから、8時間掛かるので過酷な移動となる。電車が走り出して4時間が過ぎた頃に、ベトナム人のオバちゃんが騒ぎ出した。どうやら、荷物を盗まれたらしい。自分達は荷物棚にチェーンをして南京錠をしていたので被害に合わなかったが、オバちゃんの荷物はトイレに行っている間に盗まれたようで、大泣きしていた。助けようにも盗まれてしまった物に関しては助けられない。警察も呼ぶ事なくオバちゃんは自分の駅で悲しく降りて行った。ハノイにようやく着いたと思ったら、夜中0時を過ぎていたがホアンキエム湖をグルっと周る形で安宿街に着いた。サパを出る前に泊まったホテルの前で足を止めたがシャッターが閉まっている。朝まで待つ事にしようとしたが、シャッターをノックしたら、従業員が小さい窓から外を覗いてくれて、自分達の顔を見ると歓迎して入れてくれた。部屋は1番上の階の3人部屋を与えてくれた。なんといい人達なんだ。こんな夜中に泊めてくれるなんて感謝感激だった。木の椅子で8時間、疲れた体をフカフカのベッドで寝れるのは嬉しかった。
ベトナムの旅13
サパに着いてから、この町の魅力に取りつかれてしまい、1週間を過ごした。
毎日、モン族の女の子達と遊んで、村にも訪れてみた。町から1時間ほど歩いてみたところ、ちょっと怖かったけど、村に入ってみた。モン族の人達は歓迎してくれた。それは、その村の女の子からバッグを買ったのを、女の子が村の人に教えたみたいで村の中を案内してくれた。家畜に臭いも強烈に臭かく、トイレの設備も整ってないが、そんな事は、みんなの笑顔が掻き消してくれた。モン族(少数民族)の生き方は、力強く清々しい。何も不自由なく生きている人間とは根本的に違う。日本も昔は、こんな生き方だったのだろう。また行けるとしたら、サパに行きたいと思う。モン族の皆さんありがとう!と思いサパをあとにした。
2014年09月29日
ベトナムの旅12
てっちゃんと西森さんと3人でバスに乗りサンデーマーケットに行ってきた。花モン族と言うだけあって、頭に被っている布がカラフルで衣装も派手。たくさんの花モン族の人が集まると凄い綺麗になる。欧米人が写真を撮りにくるのが分かるほど素晴らしい光景だった。自分は、花モン族の頭に被っている布を買った。今でも大事にしている。バスでの往復で滞在時間が1時間しかなかったので、サパに戻った。サパでは欧米人向けのカフェもあるので食べ物には困らない。モン族の女の子がチャーチに行こうと言うので参加してみた。モン族はキリスト教を信仰しており、日曜日の夕方になると礼拝するのだ。外は真っ暗になり、モン族の女の子が礼拝堂のドアから外の月を見ている姿が、どこかで見た光景と重なった。まさしくジブリに出てくるような、アニメの一幕であった。青い衣装に、足には小さいながら筋肉が付いていて、髪の毛は伸び切っているがボサボサなのに恰好いい。後姿の写真を撮りたかったが、写真を嫌う人もいるので頭に焼き付けておいた。ナウシカを見ている感じでもあった。それを見ていた自分に声を掛けたのが、西森さんだった。あの子、めちゃくちゃ恰好いいな!と言っていた。全くの同感だった。あのシーンは自分の心の記憶として、今でも忘れる事は出来ない。
ベトナムの旅11
サパに着いた、次の日の朝に宿の小さいレストランで朝ご飯を済ませた。外に出てみると若干肌寒いが、ちょっと歩けばライステラスが見えて景色も空気もいい環境に嬉しくなる。モン族の女の子達が村で作ったバッグや財布などを売って来る。最初は面倒だなぁ、と思っていたが、目的はサパの少数民族を見に来てるんだって事を思い出した。まだ小学生にもならないような子達ばかりで、メインストリートには20人〜30人は常時いる。最初の日は何も買わずに英語が堪能な子供達に日本語を教えてあげた。カメラを向けると逃げていくのが疑問だったが、昔から外国人が来ては写真を撮られているのが拒絶するようになったんだなぁ。と感じた。街の中には市場もあり、建物の中に入ると沢山の食料や雑貨がある。これは、ここに住むベトナム人用に作られたのかベトナム人ばかりが買いに来ている。モン族の衣装は青で、インディゴ染めが基本。なので、売っている物もインディゴ染めで女の子達の手は染め汁で手が青くなっている。もう一つの民族は、ザオ族で赤が基本。女性でも髪の毛のサイドが坊主にしていて、旅行者と友好関係にあまりない。サパにいる間は、モン族の女の子達ばかりと話したりしていた。サパには日本人旅行客も来ていたが、だいたい1日か2日で帰ってしまう。自分達は1週間滞在して楽しんだ。2日目にはバッグを買ってあげたら喜んで写真を撮らせてくれた。そこから、他の子達とも仲良くなっていった。たった、3ドルくらいで仲良くなれるなら安いもんだけど、この子達にしてみると大金なんだと知った。明日の日曜日にはサンデーマーケットがあるので、是非行ってみてはどうかと教えてもらえた。バスで行かないといけないが、花モン族と言う、モン族の親戚がマーケットを開くらしい。これはラッキーだと思い、宿の人に聞いてチケットを買った。モン族の女の子達は、朝から夕方まで外国人相手に物を売っている。どこから来ているかは分からないが近所って訳でもなさそうだ。小さい子供だけど、日本の子供と比べると力強く生きているのには関心してしまった。
ベトナムの旅10
ラオカイまで電車では、そう遠くはなかった。ラオカイから先は中国になる。ラオカイで電車を降りるとサパ行きのバスの客引きが寄ってくる。見渡す限り、バスは全部同じだから値段で決めるしかない。交渉して1番安いバスに乗り込んだ。ここから、サパまで何時間掛かるかも分からないが、白人の旅行者もいたので、バスの中で聞いてみたら、夕方には着くとの事。バスは山道を走り続け夕方になった。半分バスの中で寝ている時に、サパに着いた。あと、1時間で周りは全く見えなくなるほど暗かった。そして、山を上がったので肌寒い。バスを降りると宿の客引きが多かったが、逃げずに値段交渉してみた。1人の客引きは複数の宿を案内出来ると言う。じゃあ行ってみるか。と案内された宿はメインストリート沿いにある、かなり綺麗な宿で、まだオープンしてから1年くらいだと言う。料金も一泊3ドルと安いので早速決めさせてもらった。客引きは帰って行ったが、明日の朝にでも、この宿の主人からリベートをもらいに来るんだろうな。と感じた。部屋にバックパックを置いてメインストリートを歩いてみた。すでに日は沈み、外は薄暗い街灯が少しあるだけ。でも、カフェなどが開いていて、その光が街を明るくしている。白人バックパッカーがカフェにいたので、近い所でそこのレストランに入った。ベトナムでハズレが少ないのはフォーなのでフォーを注文。味も中々美味しい。ご飯を食べて宿に帰ったら、宿の主人がもう少ししたら入口のシャッターを閉めると言う。やはり、ベトナム人と少数民族の対立があって、夜中に襲われる事もあるのかな?と思った。部屋には3つのベッドがあり、1つだけダブルベッド。自分はジャンケンに負けてシングルになり、シャワーを浴びようとしたがシャワー室が寒くて、その夜は自分が中国で買ったウォークマンとアメリカのヒップホップを聞きながら、やっとサパに着いた!!と喜びを3人で分かち合った☆
2014年09月28日
ベトナムの旅9
朝1番に起きて、言われたバスを待ったがバスなど来ない。一体どう言う事なのか分からないが、電車があると言う。最初から親切心で教えてくれていたのか、面白がっているのか分からないがバックパックを担いで、30分ほど歩いた所に駅を見つけた。田舎道を歩いているのは、そんなにキツくなかった。昨日にあんな降ろされ方をして、それでも文句も出ずにサパへと向かっている。仲がいいから喧嘩もなかったのだろう。駅に着くと駅員にサパの近くのラオカイまで、電車はあるのか?いつ来るのか聞いてみた。そうしたら、2時間後に来ると言うではないか!電車も走っているのか分からないような駅で電車のチケットを購入しようとしたら、駅員が集まってきた。そう、ここベトナムでは、今でも昔の中国みたいに外国人料金があり、イエンバイに訪れる外国人がほとんどいないので、古いマニュアルを探しているのだ。20分ほど待たされて、ようやく購入。駅前の小さいレストランでフォーを食べて電車を待った。ここは日本人は来ないだろうね、騙されない限りと言って3人で笑っていた。
ベトナムの旅8
バスターミナルでサパ行きのバスを探していたら、若いベトナムの兄ちゃんがサパなら、この車だと兄ちゃんのバンを指差した。割と安い値段で乗せてもらって、しかもエアコン付きで快適にサパに向かった。快調に車を飛ばしていた所、兄ちゃんがサパは左だ、俺たちは真っ直ぐ行くと言う。偉い早く着いたんだなと思って見えてきた看板を見ると、サパまで300キロ。やられた。。。しかも降ろされた町は地図にも書いてないほど田舎だった。どこだか分からない町と言うか村で、村民が話しかけてくるが、ベトナム語では通じない。自分達は歩きながら、サパの地図を見せる事しか出来なかった。村民の兄ちゃん達が、近くの町までバイクを乗せてやると言うが、かなり高い金額。歩いて行くと伝えると村中の人達が笑い出した。それもそのはず、近くのイエンバイと言う町までは30キロ以上ある。さすがに可哀想に思ったのか、バイク3台を出してくれて、400円でイエンバイまで連れて行ってくれると言う。周りも暗くなってきたのでお願いしたら、バイクはイエンバイまで飛ばしてくれた。しかし遠い。本当に町に着くのか不安にもなった。夜の10時近くにイエンバイの宿に到着。そのまま、お金を払ってバイクは帰って行った。なんかやたらとピンクのネオンの宿だなーと思ったら置屋だった。宿の周りには女の子達が一杯いる。外の七輪で貧相なトウモロコシを焼いている。自分達は近くの小汚いレストランが開いていたので夕食を取り、宿へ戻った。てっちゃんは1番年下だが、1番しっかりしており、今どこにいて、明日はサパまでどう言う風に行けばいいのか?とフロントで聞いている。自分と西森さんは、女の子達と話して遊んでいたが、明日の早朝5時には出ないといけないと言われ、すぐに寝る事にした。部屋はラブホテルなので、クイーンサイズのベッドで3人で寝た。
ベトナムの旅7
中国からベトナムに入国するルートは2種類あるが、自分達はマイナーなルートで国境を超えてきた。もうちょっと内陸から入る国境があり、ベトナムに入った所でサパと言う街がある。そこは、ベトナムの少数民族で人気のあるスポットであったので、2人に行かないか聞いてみたら、すんなり行こうとなった。出発は年始を開けてからにする事に決定。今日は今年最後の日。夜中は盛り上がるんだろうなと意気込んで、ハノイのクラブへ行く事になったが、クラブの中は白人や日本人も多かったが、なぜかカウントダウンもせずに夜中に年は明けた。そうだった、ベトナムは旧正月がメインの国であった。なんか拍子抜けして、クラブを出て宿に帰った。その次の日にサパにバスを探して向かう事にした。
ベトナムの旅6
ハロン湾のツアーから帰ってきたオッちゃん達の話を聞くと、オッちゃんは船に乗って、ずーっと吐いていたそうだ。二日酔いで昨夜の事も覚えておらず、ひたすら宿の人達や僕等に謝ってきた。いい人だけに飲み過ぎには注意ですね!としか言えなかった。フロントに行くと白人が持つ大きいバックパックを背負った日本人がチェックインしてきた。早速、話をしてみると宿泊者も集まり出してきた。南アフリカからアジアへの旅をしてきて、ハノイで最後だと言う。中国は行かないのか?と聞くと、中国はバックパッカーで話を聞いているが興味が沸かないのでハノイから日本に帰ると言う。2年間掛けて南アフリカから来たと言うと、みんなが凄い!と言う。自分からしてみると旅は誰でも出来る。ヒマと金があればパスポート1つで行けるのに、なぜか長い旅をしている人を凄いと言うのか分からない。仕事もしないでフラフラと好きな事を毎日出来て、ストレスなく暮らせる、旅と言うか現実逃避の堕落した生活が凄いとは思えなかった。1日数百円で生活出来るなら、働かないで過ごせた方が楽だ。3年旅をして1年日本でバイトするのが多いのは、働くのが嫌いで日本社会に溶け込めない逃げ道とも言える。こういう人を見ると次の街へと急ぎたくなる。自分の目標がないまま旅をしてきたが、ヨーロッパまで行ってやる、目指すはイスタンブールだ!と安易な考えで決めた。てっちゃんと西森さんと次に中国方面に戻ってしまうが、サパに行かないか?と言って見た。