2016年03月05日
熱帯魚の歴史を紐解いてみた
熱帯魚の歴史を考える
観賞魚は2千年以上も前から、熱帯魚の歴史は19世紀から…
観賞魚ということでは、中国では、フナ(もしくはコイ)を選択的に繁殖させ、今日よく知られた金魚等を生み出すことが、2,000年以上前に始まったと考えられる。中国の宋王朝(960年 – 1279年)では、金魚が屋内に持ち込まれ、大きな陶器の容器の中でそれらを楽しむことが行われていたと言われています。
古代エジプトでは、神聖な魚としてオクシリンコス(アロワナの仲間エレファントノーズフィッシュと考えられている)が寺院の長方形の池で飼われている描写が、美術で見付かっています。
観賞魚の養殖ということでも、西暦3〜4世紀頃、突然変異した黄赤色のフナが採れ、「金魚」という名前の起源となったそうです。 約1500〜1600年前の中国では、もうすでに飼育されていて、その美しさに惹きつけられた人々が、新たな変種同士を交配させながら、長い年月をかけ様々な品種が生み出されました。
日本へは室町時代(1336〜 1573年)の終わり頃に渡ってきたと言われています。当時はとっても貴重な魚で、ごく一部の上流階級の家庭にしか出回りませんでした。しかし江戸時代も後期になると養殖が盛んになり、一般の町民たちの間で飼育されるようになりました。
このように装飾目的で魚を飼うことは、実に古い時代から、多くの文化の中で行われていました。
いわゆる熱帯地方の熱帯魚が今日のように、広く一般に飼育されるようになったのは19世紀が始まりといわれています。南アメリカやアフリカを訪れたヨーロッパの人々が、現地に生息する熱帯魚に魅せられて持ち帰って飼育したのが始まりです。
英国で、アクアリウムで魚を飼うことに火を付けたのは、1851年のロンドン万国博覧会でした。ここでは、鋳鉄の枠組みを持つ華麗なアクアリウムが展示されました。
枠付きガラスのアクアリウムは、航海中に植物を持たせるように1830年代に開発された園芸家用のテラリウムを改造したものでした。テラリウムとは、ヘビなどの動物も含めて、陸上の動植物をガラス容器などで飼育・栽培する技術のことです。こうした19世紀のアクアリウムは、火でアクアリウムの水を加温できるように、金属の底面パネルを使っていました。
また、ドイツ人は英国人に匹敵する関心を持ち、19世紀の終わりまでにハンブルクは多くの新種をヨーロッパにもたらす港になった。ドイツは、今でも多くの優れたブリード種を産み出す生産地となっています。
第一次世界大戦の後、家庭に電気が普遍的に通されるようになると、アクアリウムは一段と普及していきました。電気によって、人工照明、空気注入、ろ過や暖房が可能になり、アクアリウムの技術に大きな進歩がもたらされました。
日本に熱帯魚が伝わったのは19世紀の後半でした。一般に飼育されれるように広がったのは二次戦後の昭和30年代からでした。当時は温度調整の設備もあまりなかったので、飼育者は大変苦労したようでした。1960〜1970年代頃から熱帯魚飼育に関心を持った人が、一定の自然環境の再現に尽力する姿が見られるようになりました。
1980年代後半からは、テレビドラマ等で、度々インテリアとして登場するようになりました。航空輸送が可能になったことから、遠方から非常に種々さまざまの魚が成功裡に輸入されるようになりました。
新しい保有者を惹きつけ、これが大衆化を支え、現在世界的に約6,000万のアクアリウム保有者がいると推定され、また彼らによって複数のアクアリウムが維持されているものと推測されています。アメリカでは、アクアリウム保有者のかなりの割合(40%)が常時2つ以上の水槽を保有しています。
飼育器具の発達や取扱業者の拡大とともに、次第に熱心な愛好者を増やし、現在では、手軽な飼育セットなど設備も整って、比較的簡単に飼育できるような環境になっています。
養殖による品種改良種の方が育てやすい場合が多い
改良品種」とは、原種の中で、人間にとって「主に観賞価値が高い」個体を選んで、繰り返し交配を行い、「品種」として固定化したものを言います。
観賞魚ということでは、今では実にさまざまなものが見られる金魚についても、室町時代〜江戸時代、その後と、実に長い年月をかけて、日本人好みに改良されたものでした。
熱帯魚についても、品種改良が進められたことにより、現在は、観賞用としてより美しく色上げされたものや、環境適応能力を強めたものが出回るようになり、初心者でも飼育しやすくなりました。さらに購入しやすい金額になり、誰でも熱帯魚をたしなめるようになりました。今ではポピュラーなネオンテトラでさえ出回った頃は高級魚でした。
こうした品種改良には、突然変異による変化によるものと、交雑による改良種の2つがあります。
アルビノは先天的なメラニンの欠乏により、黒系の色素が作れない遺伝子レベルの突然変異体です。人間では白子と呼ばれ、シロウサギやシロヘビ、ハツカネズミも、この突然変異によるものと言われています(これに対し、シロクマはもともと白い動物になります)。アルビノは、目が1番の決め手になります。色素欠乏により、瞳孔の毛細血管の色がそのまま透き通って見えてしまうしまうために、赤い目をしています。
ロングフィン(ヒレが通常よりも長く伸びる個体)も、ある種の奇形とも言うべき異常な個体、突然変異種です。ゴールデンタイプも突然変異で産まれたものでした。こうした突然変異種も、最初はまだまだ現在のような素晴らしいものではなく、ゴールデンタイプのエンジェルフシッシュは、5年くらいかけてやっと純粋種として固定することができたと言われています。
現地採取のワイルド種は、つい少し前まで現地の川で泳いでいた魚で、できれば現地と同じ環境を作ってやることが望ましいことになります。一般的に元気のいい個体を選べば、養殖個体のほうが、育てやすいことが多くあります。
ワイルド種が乱獲や法規制により採取できなくなる一方で、現在、多くの美しいブリード種が出回り、わたしたちの目を楽しませてくれています。
観賞魚は2千年以上も前から、熱帯魚の歴史は19世紀から…
観賞魚ということでは、中国では、フナ(もしくはコイ)を選択的に繁殖させ、今日よく知られた金魚等を生み出すことが、2,000年以上前に始まったと考えられる。中国の宋王朝(960年 – 1279年)では、金魚が屋内に持ち込まれ、大きな陶器の容器の中でそれらを楽しむことが行われていたと言われています。
古代エジプトでは、神聖な魚としてオクシリンコス(アロワナの仲間エレファントノーズフィッシュと考えられている)が寺院の長方形の池で飼われている描写が、美術で見付かっています。
観賞魚の養殖ということでも、西暦3〜4世紀頃、突然変異した黄赤色のフナが採れ、「金魚」という名前の起源となったそうです。 約1500〜1600年前の中国では、もうすでに飼育されていて、その美しさに惹きつけられた人々が、新たな変種同士を交配させながら、長い年月をかけ様々な品種が生み出されました。
日本へは室町時代(1336〜 1573年)の終わり頃に渡ってきたと言われています。当時はとっても貴重な魚で、ごく一部の上流階級の家庭にしか出回りませんでした。しかし江戸時代も後期になると養殖が盛んになり、一般の町民たちの間で飼育されるようになりました。
このように装飾目的で魚を飼うことは、実に古い時代から、多くの文化の中で行われていました。
いわゆる熱帯地方の熱帯魚が今日のように、広く一般に飼育されるようになったのは19世紀が始まりといわれています。南アメリカやアフリカを訪れたヨーロッパの人々が、現地に生息する熱帯魚に魅せられて持ち帰って飼育したのが始まりです。
英国で、アクアリウムで魚を飼うことに火を付けたのは、1851年のロンドン万国博覧会でした。ここでは、鋳鉄の枠組みを持つ華麗なアクアリウムが展示されました。
枠付きガラスのアクアリウムは、航海中に植物を持たせるように1830年代に開発された園芸家用のテラリウムを改造したものでした。テラリウムとは、ヘビなどの動物も含めて、陸上の動植物をガラス容器などで飼育・栽培する技術のことです。こうした19世紀のアクアリウムは、火でアクアリウムの水を加温できるように、金属の底面パネルを使っていました。
また、ドイツ人は英国人に匹敵する関心を持ち、19世紀の終わりまでにハンブルクは多くの新種をヨーロッパにもたらす港になった。ドイツは、今でも多くの優れたブリード種を産み出す生産地となっています。
第一次世界大戦の後、家庭に電気が普遍的に通されるようになると、アクアリウムは一段と普及していきました。電気によって、人工照明、空気注入、ろ過や暖房が可能になり、アクアリウムの技術に大きな進歩がもたらされました。
日本に熱帯魚が伝わったのは19世紀の後半でした。一般に飼育されれるように広がったのは二次戦後の昭和30年代からでした。当時は温度調整の設備もあまりなかったので、飼育者は大変苦労したようでした。1960〜1970年代頃から熱帯魚飼育に関心を持った人が、一定の自然環境の再現に尽力する姿が見られるようになりました。
1980年代後半からは、テレビドラマ等で、度々インテリアとして登場するようになりました。航空輸送が可能になったことから、遠方から非常に種々さまざまの魚が成功裡に輸入されるようになりました。
新しい保有者を惹きつけ、これが大衆化を支え、現在世界的に約6,000万のアクアリウム保有者がいると推定され、また彼らによって複数のアクアリウムが維持されているものと推測されています。アメリカでは、アクアリウム保有者のかなりの割合(40%)が常時2つ以上の水槽を保有しています。
飼育器具の発達や取扱業者の拡大とともに、次第に熱心な愛好者を増やし、現在では、手軽な飼育セットなど設備も整って、比較的簡単に飼育できるような環境になっています。
養殖による品種改良種の方が育てやすい場合が多い
改良品種」とは、原種の中で、人間にとって「主に観賞価値が高い」個体を選んで、繰り返し交配を行い、「品種」として固定化したものを言います。
観賞魚ということでは、今では実にさまざまなものが見られる金魚についても、室町時代〜江戸時代、その後と、実に長い年月をかけて、日本人好みに改良されたものでした。
熱帯魚についても、品種改良が進められたことにより、現在は、観賞用としてより美しく色上げされたものや、環境適応能力を強めたものが出回るようになり、初心者でも飼育しやすくなりました。さらに購入しやすい金額になり、誰でも熱帯魚をたしなめるようになりました。今ではポピュラーなネオンテトラでさえ出回った頃は高級魚でした。
こうした品種改良には、突然変異による変化によるものと、交雑による改良種の2つがあります。
アルビノは先天的なメラニンの欠乏により、黒系の色素が作れない遺伝子レベルの突然変異体です。人間では白子と呼ばれ、シロウサギやシロヘビ、ハツカネズミも、この突然変異によるものと言われています(これに対し、シロクマはもともと白い動物になります)。アルビノは、目が1番の決め手になります。色素欠乏により、瞳孔の毛細血管の色がそのまま透き通って見えてしまうしまうために、赤い目をしています。
ロングフィン(ヒレが通常よりも長く伸びる個体)も、ある種の奇形とも言うべき異常な個体、突然変異種です。ゴールデンタイプも突然変異で産まれたものでした。こうした突然変異種も、最初はまだまだ現在のような素晴らしいものではなく、ゴールデンタイプのエンジェルフシッシュは、5年くらいかけてやっと純粋種として固定することができたと言われています。
現地採取のワイルド種は、つい少し前まで現地の川で泳いでいた魚で、できれば現地と同じ環境を作ってやることが望ましいことになります。一般的に元気のいい個体を選べば、養殖個体のほうが、育てやすいことが多くあります。
ワイルド種が乱獲や法規制により採取できなくなる一方で、現在、多くの美しいブリード種が出回り、わたしたちの目を楽しませてくれています。
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