2018年06月28日
后汉书 宋弘传
貧賤の知は忘れるべからず、糟糠の妻は堂より下さず。
この言葉は、後漢の武帝が寡婦となった姉を人格|風采ともにすぐれた大司馬・宋弘と結婚させようとしたときの、宋弘の答えの中に出てくるものである。
武帝が「人は身分が高くなれば交際相手をかえ、富めば妻を替えるものだが……」と、妻を替えるようほのめかすと、宋弘は、「自分が裕福になったからといって貧しいときの友人を忘れたり、苦労をともにした妻を追い出すようなことをしてはいけません」と切り返した。
贫贱之知不可忘,糟糠之妻不下堂。
【宋弘】东汉初年大司空,宣平侯。光武帝刘秀之姐,湖阳公主新寡,刘秀有意将她嫁给宋弘。刘秀召见宋弘,让公主藏在屏风后。刘秀说:“谚言贵易交,富易妻,人情乎?”宋弘答道:“臣闻贫贱之知不可忘,糟糠之妻不下堂。”光武帝听后,回过头向里边的湖阳公主说:“事不谐矣(此事难办了)。”
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この言葉は、後漢の武帝が寡婦となった姉を人格|風采ともにすぐれた大司馬・宋弘と結婚させようとしたときの、宋弘の答えの中に出てくるものである。
武帝が「人は身分が高くなれば交際相手をかえ、富めば妻を替えるものだが……」と、妻を替えるようほのめかすと、宋弘は、「自分が裕福になったからといって貧しいときの友人を忘れたり、苦労をともにした妻を追い出すようなことをしてはいけません」と切り返した。
贫贱之知不可忘,糟糠之妻不下堂。
【宋弘】东汉初年大司空,宣平侯。光武帝刘秀之姐,湖阳公主新寡,刘秀有意将她嫁给宋弘。刘秀召见宋弘,让公主藏在屏风后。刘秀说:“谚言贵易交,富易妻,人情乎?”宋弘答道:“臣闻贫贱之知不可忘,糟糠之妻不下堂。”光武帝听后,回过头向里边的湖阳公主说:“事不谐矣(此事难办了)。”
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