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2021年10月28日

弱者共存という生き方

選挙戦では多様性だとか富の分配という言葉があふれています。

原資がどこからなんて問う事自体失礼なことでやる気と頑張りで酢みたいな感じでおめでたいですね。

結果の出せない人間をわざわざ助ける政策は大部分の人には聞こえよく心地いいわけです。

くだらない学校教育のおかげで結果は出せないけど頑張ったから結果を出した人と共有できると考えてしまいます。

だからこそ医師や弁護士にも自分たちと同じモラル、常識を要求してさらに成功しているのだから高貴で慈悲の精神がないといけないと説教がましくなるわけです。

そして今までの日本社会では悪目立ちを避けるためにそういう風潮に合わしてきましたよね。

でもね、もういいでしょう。

何の結果も出せない人間と共有する時間も空間も思いもありませんよと言っていいです。

理屈、理論が本質にストレートすぎて人の自己主張が傷つけられてもいいと考えるのも多様性ではないでしょうか。

弱者切り捨てはダメだといいながら外国人労働者の大量受け入れには反対する低能な人々。

平等の線引きを自分基準でしかしていないのですから誰もが自分基準でいいのです。

弱者切り捨て、弱者軽蔑。

面白いなあと思うのも自己基準ですよね。

困っている人困窮している人の原因をとことん探して結果本人の自己責任だと誰もがわかったときに助ける必要ありますか。

コロナ協奏曲がはじまってから個人の尊厳と公共の利益を議論することがいろいろなところで見られましたが、多くの国民は国が個人の主権を制限することはいやがるのに富裕層のお金をみんなに分配するのは賛成するんですよ。

何かおかしくないですか。どれだけ低能人間が優遇されなければいけないのでしょうか。

そんなことを考えているとこの国の大多数が弱者なわけです。

その弱者を切り捨ててはいけないようです。

だったら共存しかないですよね。

でもね、富裕層のお金の分配がありだというのなら弱者の人権の分配もありだと思います。

自分がいい思いをしたい持っている人のものが欲しい、いいじゃないですか。

金が欲しいならどうぞ、ではこちらは労働力をもらいますよ。

どちらもかなり罵り合ってどぎつくやればいいんです。

そして行き着く先が楽しみです。

またローマ時代のように市民と奴隷という風になっていくのではないかと思います。

そうなったときに快適に過ごせるクラスに入りたいですね。

ガンガン行きましょう。弱者切り捨てではなくて共存です。とことん共存です、嫌がっても首根っこ引っ張って走らせましょうね。








posted by rfderaq at 23:52| (カテゴリなし)
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