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2022年12月13日

昭和天皇とマッカーサー 昭和天皇の3大功績3

IMG_3163_2.JPG

昭和天皇の3大功績で、今日は3番目ですね。
責任の取り方ということについてお話しますが、これは本当に天皇陛下は偉いなあと思いますね。

もちろん天皇陛下の功績を云々するということは、それ自体がちょっとやりにくいことでありまして、私もちょっと迷ったんですが、そうこうしてるうちに、天皇陛下の悪口を言う人が多いもんですから、やはりこれはきちっと、こちらの方がやっとかなきゃいけないと思いましたし、もう一つは私この前、あまり思想的な背景のない講演会に行きましたら、演題に日の丸が上がってて、そしてみんなで君が代を歌ったんですね。まあ300人ぐらいおられましたかね。

もちろん私は日本国を大切にしてますし、日本国民である私が国旗の前で国家を歌うというのはごくごく普通のことなんですが、それでもちょっと引っかかるところがあったんですよ。心の中にですね。深く反省しました。やっぱり僕は自分で考えてることを一つずつ考えてきて、それで行動してきたつもりなんですけどね。やはり日本を恥ずかしめる人たちの影響を受けてるなと、こう思いましたね。

やはりもう1回、次回は日本人の誇りを持って、日本の国旗を見ながら、ちゃんと国歌を歌えるようにしたいと。もちろん歌いましたけど、心に引っかかりなく歌い方をしたいと思いました。

ところで昭和天皇の3大功績でありますが、戦争が終わりまして、マッカーサー司令官が日本に上陸してきて、ある時に天皇陛下がちょっとお会いしたいと言うんで、マッカーサーはまあいろいろお考えになったようですね。マッカーサーも。敗軍の将だから、あまりいろんなことをしたくない。かといって敗軍の将であるので、やっぱりなんとかそれは違いをつけなきゃいけないってことで、マッカーサーも非常に天皇陛下に失礼なことないように、自分の事務所に天皇陛下をお呼びし、かつ自分は比較的ラフな格好で出られたということもですね、後のマッカーサーのいろんな記述を読みますと、まあそういうふうに思います。

ここで天皇陛下が言われたことですね、これはまあ大変に素晴らしいことだと思います。
今日はマッカーサーと天皇陛下がお会いになった写真とですね、ここからちょっと画面を切り替えてもらって、次の文章をですね、ちょっと貼り付けてほしいと思います。

584px-Macarthur_hirohito.jpg
Wikipediaから

これはぜひ日本人ならですね、1回は読んでほしいと思うんですが、マッカーサーの回顧録、1963年に書かれたものですね。それの日本訳をここに付けました。

「天皇の話はこうだった。『私は戦争遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました。』――大きな感動が私をゆすぶった。死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳士であると思った。」(『マッカーサー回顧録』1963年)

こう書かれております。人間ですからね、やはり失敗したと思っても、何かそれをごまかそうと思ったり、償おうと思ったり、まあ今の政局なんか見てますとね、首相にしても大臣にしても、見苦しいですよ。

やっぱりね、これは昭和天皇お一人が、僕は偉かったわけじゃないと思うんですね。日本は約2,000年前に、この天皇陛下というものをいただいて、その方は毎日毎日、日本人の幸福を祈ると。こういう形をとったわけですね。

あの男系男子相続になってるのは別に女性を軽く見てるわけじゃなくて、遺伝が男系男子しか行かないもんですからね。その後2,000年にわたって一応男系男子相続を守った形になっております。もちろんこのことはなかなか人間としては難しいことですが、しかしそういう建て前で、日本が運営されてきたということは間違いないですね。
その中でやっぱり歴史的な重みが昭和天皇にこういう態度を取らせたんだと思うんですね。

マッカーサーが言ってるように、もうすでに東京軍事裁判ではっきりとしておりましたけども、日本人の中で戦争を推進しようと思ったのは、言ってみればソ連のスパイとか、スパイに騙された人たちとか、朝日新聞とか、そういう戦後に全く違う顔をした人たちであって、日本人の本当に日本を大切にしてたり、責任を持ったりしてた人たちは、戦争がしたくなかったんだということがよく、もう既に、この時に分かっておられましたね。
これがここに書いてあるように、責任を取るべき人ではない人が、しかも死刑になるという可能性のある人が、自分で責任を負おうとしている。これこそが紳士だというわけですね。

実は日本人はこれを見て、別に特別じゃないなと。日本人の態度としてはいつもそうだと。乃木大将にしても、全部そうだと。こういうふうに思いますよね。
ただやっぱり外国人、特にアメリカ人、ヨーロッパ人、中国人なんかから見ればね、この昭和天皇が言われたことは特別なことですよ。

特別なことですね。だからマッカーサーはこれに非常に感激してる。それまではどちらかというと占領の時に、天皇陛下になんか罰を加えると、日本人がまた揉めるんじゃないかとかいう、そういうテクニカルなことで天皇陛下を軍事法廷とかそういうふうに呼ばなかったんですね。ですけど実はこの話を聞いてね、天皇陛下に会われてから全く考えが変わっちゃったんですね。

まず日本が戦争したんじゃない。周りから日本に戦争するように仕掛けて、どうにもなんないから日本が戦争したんだと。これはマッカーサーがアメリカに帰って、非常にアメリカ議会で大歓迎を受けて、有名な言葉で、その時にマッカーサーが言った言葉が、「老兵は死なず。ただ消えゆくのみ。」
演説の最後に言いました。このアメリカ中が注目してたアメリカ議会での演説の時に、日本から戦争したんではない、日本のあの戦争は日本の自衛戦争であった、というふうに発言してくれてるわけですね。

これもやはり天皇陛下のこの会見が、ものすごく大きな意味を持っていた。日本人っていうのは間違ってなかったんだ。仕方がなかったんだ。
世の中には仕方がないってことありますよね。自分の子供が殺されようとなっている時に、自衛のために父親が相手を殺すってこともありますんでね。そういうものの一環であって、人間としてはこれを非難することはできないと、マッカーサーはその時を思ったんですね。

後にマッカーサーは、トルーマン大統領とうまくいかないし、多くの政治家とうまくいかなかった。第二次世界大戦の英雄でもあるヨーロッパ戦線の英雄、アイゼンハワーでしたね。アイゼンハワーはその後、大統領になりました。マッカーサーは不遇に終わりましたが、この不遇というのはある意味ではね、マッカーサーのこういう軍人としての筋の通った、やっぱり人間だった。
アメリカ人としては非常に特殊ですよ。アメリカ人は割合と偉くなっても、我が身可愛い、自分の理に沿うことをやるというのが普通です。だからマッカーサーが日本に占領軍のトップとして来たってことは、大変に日本にも幸運だった。しかしそれは単に偶然な幸運ではなくて、やはり日本人が持っている魂、天皇陛下がお持ちになっているこういう精神に基づいて、やはりそういうふうにそれが行われたと私は感じますね。

日露戦争の時に、ロシアという非常に強い、ものすごく強い国が日本に攻めてきたんですが、日本にその時偶然な幸運っていうのがいっぱいあったんですね。
朝鮮半島に上陸した日本軍が、朝鮮半島の北の鴨緑江を渡れないんですよ。向こうにロシア軍がいて、機関銃で撃って来るから。しかしちょうど日本軍が渡るために少し場所を変えた時に濃霧が来て、そして日本軍がほとんど無傷で渡ったとかね。
それから陸軍では奉天会戦の時に、向こうは36万人の陸軍ですね、こっちが24万人の陸軍ですよ。しかもこっちは疲れ果ててる。そういう状態で戦いが始まって、劣勢だったにもかかわらず、戦いの山場になった時に突如、奉天ではそれまで見られなかったような砂嵐に見舞われて、日本人は砂嵐を背にして相手に鉄砲を撃てばいい。ロシア軍は砂がもう目の方に入ってくる。真正面から砂嵐が来るっていう状態で、退却せざるを得なくなった。陸軍においてはあの当時これが、2大素晴らしい日本の幸運でしたね。

それから海軍ではもちろん2つありましてね。1つは旅順艦隊がウラジオストックに逃げていく時に、日本艦隊がそれを追うんですけど、ちょっとヘマがありましてね、大幅に遅れて。それもやっとやっとウラジオストックの手前で、日が没する30分ぐらい前に追いついて、たまたま日本の軍艦が撃った大砲の玉がですね、大砲の玉ったら、だいたい300発に1発ぐらいしか当たらないんですよ。会戦ではだいたい6,000mとか8,000mから離れて小さい船を狙いますから。海に落ちて水柱ばかり立つんです。それが最初かどうかちょっとそれは分かんないんですけども、戦闘の最初の頃に撃ったやつがちょうど旗艦の司令官のいるところから斜めに入ってって爆発した。大きな打撃を受けたわけですね。ところが次に撃った1発が、また同じところに飛んでって、同じところに入って、それで爆発した。これでもうロシアがウラジオストックに逃げることができなくなった。これはものすごく幸運ですね。

あの大勝利をした日本海海戦では、これに類するすることが山ほどあったんですが、これは下瀬火薬(※1)とか伊集院信管(※2)とか、海軍のものすごい猛訓練とか東郷平八郎司令官の豪胆な作戦とか、こういったものもあります。
日本の教育も寄与しましたね。国語、算数、理科、社会をしっかりと兵士に教えて、平均点を取るというやり方で、優れた兵士が愛国心を基に戦ったということも非常に良かったと思いますね。まあそういうことで、まあしかし幸運でもありました。日本が周りを全部白人に囲われて戦って、結局、大東亜戦争は目的を達成せずに終戦を迎えましたが、その後再び経済で持ち直して、1990年には世界に冠たる国になった。この財産は私たちは絶対に手放しちゃいけないと思います。

天皇陛下という存在も、これもやはり私たちの宝であります。その点で、もう少しマスコミ、文化人を中心として、物事をちゃんと調べて、深く考えて言ってほしい。
自分が得をするとか、まあみんながこう言ってるからということでは、絶対に動いてほしくない。私はこの昭和天皇の3大功績という、少し気張ったヒバリクラブをやったのは、そういう私の気持ちであるというふうに理解していただきたいと思います。

武田邦彦 ヒバリクラブ
昭和天皇の3大功績(3)責任の取り方
https://youtu.be/hyV9zUcDZJQ

※1 下瀬火薬 海軍技手・下瀬雅允が開発。命中した瞬間に激しい熱を発して、敵の甲板上のものをすぐさま焼き尽くす鍛鋼榴弾。
※2 伊集院信管 海軍少将・伊集院五郎が開発した信管。少しの衝撃でも敏感に作動し、爆発を起こさせた。
(WEB歴史街道 日本海海戦で敵艦隊を震撼させた「下瀬火薬」と「伊集院信管」から
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/2319


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