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2022年09月23日

日本人はどこから来たか

要約


アフリカで誕生した人間は、どのルートで日本に来たか。
道ルート 歩いてメソポタミア(イラク)→北インド→中国→朝鮮半島→日本
海ルート 船でインド→マレーシア→インドネシア→フィリピン→日本→千島列島→シベリア・アメリカ
日本人はアフリカと同じ古い遺伝子を持っている。中国人は新しい遺伝子しか持たない。
日本には古い遺跡が多く、中国寄りの日本海側ではなく、太平洋側から多く発掘されている。
以上の理由から、かつては道ルートだと考えられていたが、現在は海ルートが有力になりつつある。

本文

日本人はどこから、いつ頃来たか。起源は東アフリカのあたりですね。これはかなり学説が定説になっている。

問題なのはアフリカからユーラシア大陸に渡った時に、だいたいアラビアあたりから経由してた来たというふうに思われるんですが、大きく言って、陸を歩いて来たか、海を渡って来たか。従来は全部陸だと思ってたんです。なんで陸だとは何も考えないで、おそらく歩いてきたんだろうっていうのが最初の考えです。

そうしますと、シナイ半島のところに出ましてね。それから西のヨーロッパの方に行く人たちと、東に行く人たちがいて、東に行く人たちは、インドの北方ぐらいまで来て、そこから中国の方に、少し北を回って行くということが行われたというふうに言われていたんですが、これはね、ちょっと気候とか、それから人間が歩くということの困難さ、道はなくて猛獣とか色々いますんでね、そういう点では海の方がうまくいったかも知れないんですね。最近は遺伝子の研究が進んで、どうもアフリカからインドの南を通って、インドネシアあたりまで来て、そこから北に登ってきたんじゃないかという説も有力なんですね。

それで、中国より日本の方に早く来たんじゃないか。実はこんなこと言うと怒られちゃうんですよ。何故怒る人がいるかと言うと、頑強な先入観のある人がいるんですね。日本より中国の方が早いはずであると言う。まったく根拠ないんですけど、そういう概念を持っている人がいるんですね。日本には、とにかく中国から来たに決まってるんだということを言うんですね。なんでですかって聞いても、いやそれはもう決まってるじゃないかって、こういう風に言われましてね。
僕は科学が好きで探究心が旺盛でですね、別段先入観をあまり重要視しないんで。

今の遺伝子の研究から言うと、まず海岸線を来たみたいですね。アフリカから出てインドの南に一部上陸して、スリランカですね。その頃は海の状態が今と違うんで、今のシンガポールのところは海峡じゃなくて陸だったと思うんですが、そこに1回上陸して、それからさらに太平洋があまり広いんで、陸地沿いに上に上がりましてね。フィリピンから、台湾、日本と来て、そのまままっすぐ千島列島の方まで行った。あんまり寒いんで、西の方に引き返したのが中国の方に行ったと。それからこんな寒いのぐらい平気だって言うんで行ったのが、アメリカに入ったという、そんな風なのが今の感じとしては正しいんじゃないかと思うんですね。先入観があると、中国が先と思っていると、それはもう冗談じゃないよって言うんでしょうけど、やっぱり海のほうがはるかに移動しやすいんですよね。

遺跡の関係でも、日本はいわゆる石器時代の遺跡の数だけ言うとですね、日本が一番今多いんじゃないかと思うんですね。だいたい17,000箇所ぐらいで遺跡が見つかってるんですよ。どうして日本だけ石器時代の遺跡が多いのか。日本は研究が進んでるからっていう答えもあるんで、何とも言えないんですけども。秋田県から群馬、埼玉、東京あたりですね。静岡それから広島、島根あたりですね。それから沖縄まで、3万5千年前くらいの石器時代の遺跡が山ほどあるんです。総計で17,000とか見つかっている。ものすごい数が多い。それでこのくらい多いという事になるとですね、我々が勉強で習った中国の歴史なんかより飛び離れて古いんですよ。でこれは中国を渡ってきたということに反論するわけじゃなくて、私はもう全然プレーンで、先入観とか損得とかないんでまったく学問的に考えればですね、中国まで来たのがだいたい古くても4万年くらいなんですよ。ですから日本にですね、同じ年代の遺跡がこれほど1万何全個も見つかるってことはですね、どうも日本のほうが早いかなと思うんです。しかも太平洋側と日本海側の遺跡の数を見ますとね、太平洋側とか瀬戸内海のところがものすごく多い。関東平野で山ほど見つかってましてね。それから静岡県だとか今の三重県ですね。それから瀬戸内海ですと、大阪とか岡山あたり山ほど遺跡が見つかっているんですね。私は思うにはですね、大陸の方から来たなら、北九州とかそれから山陰とかですね、それから新潟とか富山あたりに遺跡が多いはずなのに、全然違うんですよ。

中国から来たって堅く信じてる人とか、中国から来たという理屈にしないと、文部省からお金が出ないというのがあってですね、だいたいそういう文献が多いんですけれども、どうもフラットに見るとそういう感じがしますね。
例えば昔は骨なんかでやってたわけですね。人骨で。今は遺伝子がどんどんどんどん解析されていますので、それから見ると海を渡って日本が先だと。だからどこから日本に人が来たのっていう問いかけ自身が間違ってて、どうも日本はかなり早いと。マレーシア、インドの南部、マレーシアあたり、インドネシアですね。次日本と、そういう順序で来たっていう風に思うんですね。今まで民族学とかいろんな先生の話を、僕は好きなんで色々聞くとですね、必ず先入観があって、とにかくメソポタミア、それからインド北部、中国、日本というですね、もう決まりきった何かあったんですね。

道がないじゃないかとか、寒いじゃないか、とちょっと昔からそういう疑問があったんですけど、そういう点では現在言われているような海ルートの方がちょっと可能性が高いかなぁと思いますね。インド洋を船で渡るというのはそれほど難しくはないんですよ。それからインドネシアまで到達したら、フィリピン、台湾とあって、島伝いに日本にくるっていうのは、それは大陸を歩いてくるよりかなり楽だろうと思いますね。それで遺伝子的には、日本人の遺伝子と朝鮮、中国人の遺伝子と全然違うんです。ですからね、たぶん日本に来た人たちはむしろ北の方にさらに行って、シベリアに行ったりですね、アメリカの方に行ったりして、それから全然別系統で中国に入ってきたかですね。それとも日本人とあのチベットとちょっと似たところがあるので、そういう点で、チベットから中国を経て日本に来たんだけども中国に住んだ人は全部皆殺しされたという解釈もできます。中国っていうのはほとんど皆殺しが多いんですよね。
日本人は非常に古い遺伝子を持ってるんです。アフリカから出てきたばかりの遺伝子を持ってる。中国人はまったくもってません。新しい遺伝子なんですね。ですから遺伝子が全然違うんですよ。そういう点からいうとですね、やはりあの日本人は全然別と。この日本人が全然別のルートでインドネシアあたりを通って日本に来たというとものすごく理屈に合う研究結果がいっぱいあるんですね。ですから多分私はですね、今のところですよ、日本人は中国とか大陸から来たんではないと。全く独自の民族だと。独自の民族だがゆえに、日本人だけ独立の宗教とか、独立の全然違う考え方を持ってて奴隷なんかできなかったとか、階級制ができなかったとか、こういう後の日本の社会構造っていうのは、日本人がアフリカ、インドの南部インドネシア、フィリピンと通ってきたから全く別なんだというふうに今は考えています。

学問っていうのは、時代によってどんどん変わるんですよ。変わるにしても、現在の学問を先入観なく考えるっていうのが重要で、学問は政治とか思想とは違いますので、そこも考えなきゃいけないと思います。

武田邦彦 ヒバリクラブ
【武田邦彦のブログ】2022年7月18日 シリーズ「日本」日本のルーツA
https://youtu.be/ifxbNiUWMSo

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