以前、「神田川」は、男性視点の歌だった。」 という文章を書いた。
あなたはもう忘れたかしら。 と
歌い出し、 洗い髪が芯まで冷えて・・と
絶妙に女性と勘違いされるように仕組んであるのか、無意識なのか ともかく男性視点であると結論した。
それを探してみると、2017年に書いている。 https://fanblogs.jp/ozawarina/archive/30/0
最近、またこの話題が出てきたので、検索してみた。
なんと、作詞者の喜田条忠氏が 2021年〈令和3年〉11月22日に他界されていたことを知った。
その追悼の意味で出てきたと思われる動画を発見した。
その中で、当時の木造アパート「富士荘」を作詞者の喜田条忠が尋ねるシーンがあった。
そこで、はっきりと 「生活そのものを書いていた。日記ですよね。」と述べている。
ラサール石井の
「女性側の真理として書いたか?」という問いに、
「全く意識はなかった。自分の気持ち 」と喜田条忠は、答えている。
これで、
「
一緒に出ようねって 言ったのに
いつも私が待たされた
」
待たされた私は、男だったとハッキリした。
このタイムスタンプあたりからである。 ぜひ、神田川世代には見て欲しい。
https://youtu.be/e8iXvU477BI?t=305
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