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2019年03月25日

3月25日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1801年3月25日は、ドイツの初期ロマン主義詩人および小説家のノヴァーリスこと、フリードリヒ・フォン・ハルデンベルクの没年月日です(1722-1801)。

 オーベルヴィーダーシュタット(現ザクセン・アンハルト州内)の貴族の家に生まれ、イエナ大学、ライプツィヒ大学、ヴィッテンベルク大学等で諸学を学びました。その中のライプツィヒ大学では初期ロマン派のシュレーゲル兄弟(兄アウグスト。1767-1845。弟フリードリヒ。1772-1829)と交流を深めました。法学を学んだヴィッテンベルク大学卒業後はテンシュタットで法曹界で実務を取りました。この頃に当時12歳の少女ゾフィー・フォン・キューン(1782-97)との出会いを果たします。ノヴァーリスとは10歳差でした。出会った時、ノヴァーリスは「出会った15分間が僕の運命を決定した」とのちに語ったとされております。
 翌1795年、ノヴァーリスとゾフィーは婚約します(ゾフィーの両親によれば、結婚はあまりにも早すぎるとのことで、ノヴァーリスが社会的に大成することを条件に結婚を認められることになりました)。
 ノヴァーリスにとって、ゾフィーの存在は創作活動に新たなインスピレーションが注入されました。しかしゾフィーは結核性肝臓腫瘍を患い、1797年3月19日に若くして亡くなりました。ノヴァーリスは、愛するゾフィーを神秘的な存在としていつまでも崇拝し、何度もゾフィーの墓前に姿を見せました。1800年、ノヴァーリスは墓前に現れたゾフィーからの啓示ともいうべき神秘が伝わり、『夜の讃歌(Hymnen an die Nacht)』が完成したと言われております。

 1797年、ノヴァーリスはフライベルクの鉱山学校で地学研究に転じて、翌98年再婚も果たし、1799年には製塩所に勤務、その後テューリンゲン郡の地方長官の採用を受けることにもなっていましたが、かねてから肺を患ったノヴァーリスは、1801年3月25日、28歳という若さでこの世を去りました。
 没するまでノヴァーリスが書き綴った未完の長編小説『青い花(Heinrich von Ofterdingen)』はヨハン・ゲーテ(1749-1832)の『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代(Wilhelm Meisters Lehrjahre。1796)』を現実的すぎるとして非難し、これに対抗できるロマン派小説として書かれたものです。

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