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2019年02月23日

2月23日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1623年2月23日は、モルッカ諸島のアンボン島で、アンボイナ事件が発生した日です。

 17世紀、東南アジアに進出したオランダは、アジアの拠点をインドネシアに置きました。当時ジャワ島東側では、ヒンドゥー王国マジャパヒト(1293-1520?)の後、ジョクジャカルタを中心にイスラム国家のマタラム王国(16C末-1755)が米貿易で、西側にはバンテンを都にイスラム国家・バンテン王国(1526?-1813)が胡椒貿易で、それぞれ栄えていましたが、オランダはバンテン王国を服属させて、バンテン東方のジャヤカルタ市にアジア貿易の本拠地を築き、ジャヤカルタ市は1619年にバタヴィア市と改称されました(現・ジャカルタ市)。ジャワを拠点としたオランダは、17Cの間に、モルッカ諸島・マラッカ・セイロン・ケープといったかつてのポルトガル領を次々と占領していきました。

 オランダがアジア貿易を有利に動かしていた時、モルッカ諸島で大きな事件が勃発しました。オランダは1607年にポルトガルから同諸島を領有していましたが、1600年に東インド会社を設立したイギリスが、モルッカ諸島の1つであるアンボン島に商館を設置し、そこに日本人傭兵を置いていました。これには1619年における英蘭同盟により共存策をとっていましたが、イギリス商館に不審を抱いたオランダ商館長は、イギリス商館の日本人傭兵を捕らえ、そこでの自白からイギリス側のオランダ商館襲撃計画が発覚したのです。1623年2月23日、オランダ商館側はイギリス商館長、商館員、日本人傭兵ら21人全員を拷問のうえ虐殺しました。これがアンボイナ事件です。事件の影響でイギリスの東南アジア経営は頓挫し、イギリスはモルッカ諸島から撤退することになるのです。

引用文献『世界史の目 104話』より

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