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2018年10月06日

10月6日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1552年10月6日は、イエズス会のイタリア人宣教師、マテオ・リッチ(1552-1610)生誕の日です。

 ローマ教皇の権威を復活させるために結成されたイエズス会は、海外布教、それも新天地への伝道を最も重要な活動としてイグナティウス・デ・ロヨラ(1491-1556)やフランシスコ・ザビエル(1506-52)らによって結成され、ザビエルらの志を継いだのがマテオ・リッチです。1578年、ゴアに派遣されたリッチは、しばらくインド布教を行っていましたが、1582年、マカオへ赴き、同地で中国語と中国における社会と文化を学びました。彼は『天主実義(てんしゅじつぎ)』を著してカトリック教義を漢文に翻訳し(1595)、自身を"利瑪竇(りまとう)"と名乗り、中国の儒学者の衣服を着用、広東地方を転々としました。さらに皇帝、万暦帝(ばんれきてい。神宗。しんそう。位1572-1620)の布教許可を得るため、1601年北京に入りました。

 儒教では、君主という概念を"天帝"・"上帝"と表しますが、リッチらはこれらを、キリスト教の神"デウス"と重ね、"デウス"を"天帝"・"上帝"と解釈しました。さらに、儒教の祖・孔子(こうし。B.C.551-B.C.479)の崇拝や祖先崇拝(霊前で香をたいて祈る等)といった伝統的儀礼(儒教の典礼)は、宗教的儀式ではなく世俗的な行事として黙認し、一方で、洗礼の際に行う塗油の儀式などは中国では不適だと感じたことで、あえてキリスト教独自の儀式に対しての強制は行いませんでした(リッチ方式)。
 また中国には西洋学術(地理・数学・天文学)や西洋技術も紹介し、同国では好意的に受け入れられました。北京入京後、万暦帝に謁見したリッチは、自鳴鐘(じめいしょう)と呼ばれる西欧式時計や西洋楽器などを献上し、好意的に受け入れられました。
 リッチは1602年、6枚1組の世界地図『坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)』を刊行、はじめて世界の大きさを知った中国の知識人階級に大きな影響を与えました。特に中国の政治家・学者であった徐光啓(じょこうけい。1562-1633。著書『農政全書』)は感銘を受け、翌年キリスト教の洗礼を受けました。

 徐光啓は翌1604年科挙試験に合格、進士として翰林院(かんりんいん。詔書起草機関。皇帝顧問機関)に出仕、リッチの教えを受けて、古代ギリシア数学者のエウクレイデス(ユークリッド。生没年不明)の幾何学書『幾何学原論』の前半部を、リッチの口訳と徐光啓の漢文記述という共同作業で完成させました(1607)。これが『幾何原本(きかげんぽん)』です。

 リッチは1610年、北京で没し、ゴアに葬られました。リッチの活躍で、その後の明末清初の時代には多くの宣教師がヨーロッパ各国から訪れるようになっていきました。

引用文献:『世界史の目 第99話』より

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