2018年05月27日
5月27日は何に陽(ひ)が当たったか?
1332年5月27日は、イスラム世界最大の歴史哲学者、イブン・ハルドゥーンの生年月日です。
ハルドゥーン家の祖先は南アラビアが発祥で、8世紀にイベリア半島、13世紀に現チュニジアの首都チュニスに移りました。イブン・ハルドゥーンは、そのチュニスで生まれました。
イブンは生来、歴史、哲学、法学、詩学など諸学問を好み、チュニスの有能な学者から多くを学んだ、早熟の天才でした。14世紀半ば、イブンの少年期、黒死病の流行でイブンの両親をはじめ、イブンを育てた学者たちを多く失いました。
その後、若くして高官に昇りつめて出世するも、その才能を妬まれて、退任を余儀なくされ、地中海に興ったイスラム王朝の王室を転々としました。君主の寵愛を受けて重臣として庇護を受けるも、権力争いや陰謀に巻き込まれて暗殺されかかったり、投獄されたりしました。こうしてイブンは各国の政界や官界に関わりながらも波乱に富んだ激動の前半生でありました。
イブンは43歳の頃に政局から身をひき、アルジェリアのイブン・サラーマという山城にこもり、アラビア語で記された歴史書『省察すべき実例の書、アラブ人、ペルシャ人、ベルベル人および彼らと同時代の偉大な支配者たちの初期と後期の歴史に関する集成』を完成させました。これがイブンの代表作であり、『世界史序説(歴史序説)』と呼ばれて人々に知られていきました。『世界史序説』は名前が示すごとく、歴史とは何かを表す、"序論"および"第1部"に相当する部分で構成されています。他にも『イバルの書』という西アジア史の歴史書も著しました。これにより、イスラームにおける歴史研究の第一人者としてその地位を確立しました。
その後イブンはエジプトのカイロにあるスンナ派のマムルーク朝(1250-1517)に移住したが、君主の寵愛を受けて同王朝に仕え、1382年には大法官に任じられました。しかしこの機会も謀反で失脚する憂き目となりました。1401年にはシリア遠征を行っていた中央アジアのイスラム王朝であるティムール朝(1370-1507。首都サマルカンド)の初代君主ティムール(在位:1370-1405)との会見を経験しました。
程なくしてカイロに戻ったイブンは、その後も王室に入り役職を務めておりましたが、1406年、同地で没しました。
ハルドゥーン家の祖先は南アラビアが発祥で、8世紀にイベリア半島、13世紀に現チュニジアの首都チュニスに移りました。イブン・ハルドゥーンは、そのチュニスで生まれました。
イブンは生来、歴史、哲学、法学、詩学など諸学問を好み、チュニスの有能な学者から多くを学んだ、早熟の天才でした。14世紀半ば、イブンの少年期、黒死病の流行でイブンの両親をはじめ、イブンを育てた学者たちを多く失いました。
その後、若くして高官に昇りつめて出世するも、その才能を妬まれて、退任を余儀なくされ、地中海に興ったイスラム王朝の王室を転々としました。君主の寵愛を受けて重臣として庇護を受けるも、権力争いや陰謀に巻き込まれて暗殺されかかったり、投獄されたりしました。こうしてイブンは各国の政界や官界に関わりながらも波乱に富んだ激動の前半生でありました。
イブンは43歳の頃に政局から身をひき、アルジェリアのイブン・サラーマという山城にこもり、アラビア語で記された歴史書『省察すべき実例の書、アラブ人、ペルシャ人、ベルベル人および彼らと同時代の偉大な支配者たちの初期と後期の歴史に関する集成』を完成させました。これがイブンの代表作であり、『世界史序説(歴史序説)』と呼ばれて人々に知られていきました。『世界史序説』は名前が示すごとく、歴史とは何かを表す、"序論"および"第1部"に相当する部分で構成されています。他にも『イバルの書』という西アジア史の歴史書も著しました。これにより、イスラームにおける歴史研究の第一人者としてその地位を確立しました。
その後イブンはエジプトのカイロにあるスンナ派のマムルーク朝(1250-1517)に移住したが、君主の寵愛を受けて同王朝に仕え、1382年には大法官に任じられました。しかしこの機会も謀反で失脚する憂き目となりました。1401年にはシリア遠征を行っていた中央アジアのイスラム王朝であるティムール朝(1370-1507。首都サマルカンド)の初代君主ティムール(在位:1370-1405)との会見を経験しました。
程なくしてカイロに戻ったイブンは、その後も王室に入り役職を務めておりましたが、1406年、同地で没しました。
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タグ:イスラーム史 イブン・ハルドゥーン
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posted by ottovonmax at 00:00| 歴史